昭和41年

年次経済報告

持続的成長への道

経済企画庁


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持続的成長への道

経済成長の天井

労働力の活用

労働力が不足するためにうまく経済の成長ができないで経済が停滞するといった例が西欧にみられたことは前に述べた。しかし、日本では今までのところそれが経済の成長の障害になることはなかった。それは、昭和30年代が労働力の供給という点で特に恵まれた時期にあり、また労働生産性を高めるという点でも成功したからであった。だが、昭和34〜35年ごろを境にして、労働力需要の増大から労働力需給に変化がみられ、中小企業の求人難、サービス料金の上昇等経済の各分野に労働力不足の影響がみられるようになってきた。今後、労働力を能率的に生産に役立てていくことの重要性は一層高くなっていくに違いない。

30年代に労働力問題が経済成長の制約条件とならなかった第1の理由は、生産年齢人口の増加が大きかったことだ。一国の労働力の源は人口だが、人口のうち15〜64才の生産に従事できる生産年齢人口の数が重要である。生産年齢人口の増加数をみると30〜35年の年平均l00万人増から35〜40年には150万人増と拡大した。

もっとも、生産年齢人口の全部が労働力人口になるわけではない。特に30年代後半ば進学率が上昇したので、生産年齢人口のうち、実際の労働力となるものの割合(労働力率)は低下したが、それでも労働力人口は30年を通じて年平均60万人前後の増加が続いた。

第2は、労働力の年齢構成が若いことである。昭和30年代は労働力の約6割が40才未満であった。

「就業構造基本調査」によって非農林雇用者の供給源をみると第74表に示すように最も重要な供給源は新規学卒者からの流入で全流入者の6割余を占めている。

第74表 非農林雇用への供給源

技術革新の進展が著しかった30年後半において若年労働力の給源に恵まれていたことは経済の発展にとっても大きな役割を果たしたといえよう。

文部省の「学校基本調査」によると新規学校卒業者のうち就職した者の数は、35年の137万人から40年には150万人と増加している。その内訳を学歴別にみると、中学卒が46%、高校卒が44%と中学、高校卒が圧倒的に比重を占めており、その多くは、製造業、特に技術革新の著しかった重化学工業部門に吸収された。

第3は、農家人口の流出や、家庭の婦人の就業化が促進されたことで、これが非農林業雇用の給源としても重要な役割を果たしてきた。

もっとも農林業就業者の流出は若年の世帯員層からあととり、経営主層へと及んでおり、30年後半にはその流出数も出稼ぎ形態での流出を除けば減少している。「農業就業動向調査」によると農家からの流出者(主として農業に従事していたもの)は33年の19万人から36年には30万人に増加したが39年には23万人に減少している。

また、非就業者からの労働力化についても既婚婦人層の就業化も促進されてきたが、他面、女子労働力の増大や所得水準の上昇に伴って女子の退職者も増加しているので労働力率を高めるまでには至らなかった。

第4は非農林雇用の内部でも労働力の流動化が促進されたことだ。非農林雇用者内部の転職者数は「就業構造基本調査」によると34年には1年間に約50万人であったが、37年には90万人、40年には93万人に増加した。転職者の多くは、若年層を中心に小企業から大企業、軽工業から重工業へという型で高生産性部門の発展産業に吸収された。

第5は労働力が増えたばかりでなく、労働生産性も上昇したことである。

就業者1人あたりの実質国民総生産をみると、昭和30〜34年度は年率7.5%であったが、34〜40年度は9.7%増と高まっている。こうした生産性の上昇があったために、前期に比べ、後期は、より高い経済成長をより少ない就業者の増加で実現できた。

生産性の向上は、技術進歩や、資本蓄積によるところが少なくないが、また、低生産性部門から高生産性部門へ労働力が移動したことにもよっている。第1次産業の就業者の比率は、昭和29年度の40%から39年度には26.5%に低下し、第2次産業の就業者の比率が24%から32%へと上昇した(第75表)。

第75表 就業者1人当たり国民純生産額(名目)

昭和29年度から39年度までの間に、就業者1人あたりの名目純生産額は16万円から47万円へ約3倍に上昇したが、生産性の上昇の要因を第76表のような方式によって産業内の生産性の上昇と第1次、第2次、第3次産業間の労働移動によるものとに分けてみると、前者が84%、後者が16%となっている。

第76表 全産業の労働生産性上昇の内容

40年代に入ると、労働供給の姿は30年代とは一変する。生産年齢人口の増加数は35〜40年の年平均150万人から40〜45年は90万人、45〜50年は60万人となり、50年代には50万人台と減少が予想される(第77表)。

第77表 年令別人口の年平均増加数

労働力人口に変化が現れるのは、進学率の上昇から若干ずれることになるが、45年を過ぎると増加率は急速に鈍り、40年の1.3%増から50年には0.8%増となる(第78表参照)。

第78表 労働人口の暫定推計

とりわけ注意を必要とするのは、15〜19才という若い労働力の減少である。昭和35〜40年にもこの年代の労働力は約75万人減少したが、40〜45年にも引き続き同程度の減少となる。

労働力の基幹となる20〜39才層の労働力人口も40年から45年までは増加するが、40年〜50年は大体横ばいとなり、50年から減少に転ずる。

一方、40〜64才の高年齢層は、家庭婦人の就業化や生産年齢人口の高齢化を反映してその増加が著しい。この結果、労働力の高齢化が進み、労働力人口に占める40才以上労働力の割合は40年の40%から50年には45%に高まることになる。

従って、労働力の供給については次のような点で今後問題が生じてこよう。

その1は、だんだんに希小となっていく労働力という生産資源を能率的に使っていけるよう、労働の生産性を高めていくことだ。生産性の上昇には機械化、新しい技術の導入のほか、企業の組織や経済全体の構造をかえていくことが必要である。生産性の低い分野では、その生産力を高めていくと同時に労働者の能力が最も効率的に発揮できるような部門に労働力が円滑に移動できるような対策が必要である。

その2は、中高年層の活用問題である。家庭の婦女子の就業等その活用も大切だが、これからは既存労働力の活用が新たな問題となろう。

今後労働力人口の高齢化は避けられない事実である。職種や技能等労働力需要の質的変化に伴って、職業訓練、転職訓練や労働市場の整備が重要であるが、同時に年功序列制や終身雇用制等の封鎖的雇用慣行を是正することが大切だ。

その3は、企業における労務計画の確立である。労働力の需要と供給の変化に対応して長期的観点に立った労働者の採用や配置計画とその運営の円滑化が重要となろう。


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