昭和41年

年次経済報告

持続的成長への道

経済企画庁


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持続的成長への道

持続的成長の3つの条件

戦後の日本経済は、早いテンポで成長したが、それは毎年同じペースで伸びてきたわけではない。最近の10年間を振り返ってみても昭和32年、36年、38年という3つの好況の山と33年、37年、40年という3つの不況の谷があった。それは、単純な成長でもなく、単純な景気循環でもない。高い成長力という経済の基本的なすう勢が基底にあり、現実の経済発展がそれをオーバーしたり、不足したりすることによって波動を生じた。いわば成長と変動とが重ね合わされているのが過去10年間の日本経済の姿であって、成長率は年平均約10%であったが、平均的な成長線からのかい離の率は年2.4%となっており、世界で最も大きい。

高い経済成長の達成は、国民福祉向上のため今後とも必要であるが成長過程において激しい景気変動が生ずることは避けなければならない。成長が高くても変動が激しければ、ブーム期には投資は行き過ぎ、反動期には企業倒産の増大、企業経営の悪化等が発生する。戦後の経済はなぜ変動を伴った成長という発展の姿をとったかの原因を分析し、着実な成長を続けるためにはどのような条件が必要であるかを検討したい。

これまで経済のバランスがくずれ、変動が起きた場合を考えてみると3つの型に分けることができる。第1は、有効需要の増加と供給力の拡大とのバランスがくずれた場合である。設備が増え供給力が高まっても、それに見合って需要が増えていくとは限らず、その時には潜在的な成長力と現実の需要とのかい離、すなわち成長ギャップが生じて経済は不況になり、逆の場合にはインフレとなるおそれがある。経済が変動のない成長を続けるためには、供給力と需要とがバランスして伸びなければならない。

昭和32年あるいは36年の投資ブームの時期には、拡大した設備投資がさらに次の需要を誘発して一層供給力の不足をよび起こすという型をとって需要超過が激しくなり、昭和33年や40年には景気の停帯が需要を一層減らし、供給力超過を著しくした。需要拡大テンポが供給力を上回れば経済は、過熱化し、逆の場合には不況となることは当然である。

第2には、国際収支に不安が起きて政策的に経済を引き締めた場合に不況が発生した。国際収支に余裕がなく、そのため企業が適正な利潤をあげるだけの成長が出来なければ、設備は過剰となり経済は停滞する。昭和33年、37年、39年の不況はいずれも国際収支の不安を直接の原因とするものであった。また、日本ではまた表面化したことはないが、労働力供給が不足するために十分な成長ができず、それが停滞の原因となることもある。戦後平均して8.7%(1949─1957年)という急速な成長を遂げた西ドイツが、1958年ごろに労働力不足に陥りそれが主因となって、成長率が3.2%に鈍ったのはその一例だ。

第3は部門のアンバランスが経済の変動を一層深刻にした場合である。例えば、昭和35年以降は、景気の下降期でさえも、サービスや農産物では供給力の増大を需要が上回り、消費者物価の騰貴が生じた。また昭和38年以降は全体の景気は回復しても中小企業の倒産は高水準が続いた。こうした部門間のアンバランスもまた安定した経済の成長を妨げる要因となった。

以上の3つは、もちろん現実にはお互いに関連し合っており、切りはなしてみることは正しくない。国内の供給力をこして需要が一時的に急増したことが国際収支の不均衡の原因となっているし、それが、部門間のアンバランスをつくり出すもととなった。しかし、常にこの3つの原因が同時に作用したというわけではない。例えば昭和40年のように、国際収支の不均衡は解消しても、需給のアンバランスが大きいために、不況からなかなかぬけ出せないという例もあった。

生産力を強めると同時に、需給の均衡を図ること、国際収支や労働力供給の天井を高めること、諸部門間のバランスを維持することが持続的成長の条件である。成長と安定とは本来矛盾するものではない。成長率が低い場合には、変動の幅はわずかでも、不況期には失業が増えたり、国民生活が悪化するという不安定性はかえって強くなるおそれがある。国際比較を行ってみると 第37図の通りで多くの国ではかえって成長率が高い方が安定的だという関係がみられたが、これは成長率が高い経済では、不況でも生産規模が縮小することはほとんどなく、成長率が鈍るだけに止まるからだ。しかし、成長率は高ければ高いほどよいというものではない。それが行き過ぎて過熱し、あるいは成長力を生かしきれずに不況となることがないように導いていくためには常に注意深い調整が必要である。

第37図 実質国民総生産すう勢成長率と不安定性


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