昭和41年

年次経済報告

持続的成長への道

経済企画庁


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昭和40年度の日本経済

概況

昭和40年度前半の景気の推移

昭和39年半ばから進行していた不況は、年末になって一層深刻の度合いを強め、40年に入ると、製品在庫率は増え、企業倒産は増大し、卸売物価や株価は低下した。生産や出荷の減少は比較的わずかであったが、製造業の雇用も40年1~3月以降減少に向かった。しかし不況は秋には底をつき、年末には幾分明るさが見られるようになった。

昭和39年中に、供給と需要のアンバランスが拡大していったことは、鉱工業生産、出荷、製品在庫の動きを示す第1図から知ることができる。生産や出荷は39年中増勢を続けたが、生産は出荷を上回り製品在庫は増大した39年12月末の水準を38年12月末と比較すると、鉱工業生産12%増、出荷10%増で、製品在庫は20%も高く、企業は製品在庫の圧迫に苦しんだ、そこで40年に入ると、生産を制限する業種が増え、生産指数も秋まで停滞した。しかも出荷も頭打ちとなったので、製品在庫は40年秋ごろまで増え続けた。

第1図 鉱工業生産、出荷、在庫および在庫率の推移


需給のアンバランスが続いたために、卸売物価も7月まで下落した。倒産は、中小企業ばかりでなく大企業にも及び、5月には大証券会社にも経営の破たんを来たすものが現れ、日銀が昭和初年の金融恐慌以来はじめての特別融資を行って収拾にあたったが、経済界の不安は著しく強まった。

一方国際収支はこの間にめざましい改善をみせた。経常収支は、昭和39年10~12月期から黒字に転じた。これは主に輸出の増大によるもので、40年の4~6月には輸出は前年同期を3割以上も上回った。長期資本収支が39年10~12月から赤字に転化したが、経常収支の受超が大きかったため基礎的収支の黒字は持続した。

今回の不況は、国際収支の不均衡を是正するために、昭和38年末から実施された金融引き締め政策が発端となったものであるが、国際収支が改善したので、金融引き締めは40年の始めから解除された。日銀は、1月、4月、6月の3回に渡って公定歩合を引き下げ、その結果、公定歩合は日歩1銭5厘と26年以降の最低となった。また7月からは市中銀行に対する窓口規制も廃止された。

一方財政面では、先行き税収不足が見込まれることを考慮して、6月初め予算の1割留保を決定した。しかし、金融を緩和しても不況の進行がやまないので、7月になって、公共事業の促進、1割留保の解除、財政投融資計画の増わく、国債発行の準備等が決定され財政面からも積極的に景気の回復が図られることになった。


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