昭和38年

年次経済報告

先進国への道

経済企画庁


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総説─先進国への道─

新しい環境の下での発展─先進国への道─

消費者物価の上昇と経済構造の先進国化

 先進国への接近が対外面においては自由化の要請という形をとったが、一方経済の内部構造の変化としては、新規労働力に対する需要が増大し、労働需給のひっ迫という完全雇用国に似た問題を提起するに至った。それが1つの要因となって消費者物価の上昇という現象をもたらしている。

 最近の消費者物価上昇は36年度以降年々6%以上と大幅であり、景気調整の過程においても上昇テンポに衰えをみせなかったことは既に述べた。このような消費者物価上昇の要因には天候不順による野菜の値上がりなどの経済外的要因に帰すべきものもあるが、基本的には高度成長の持続の結果、農業、中小企業の供給体制の遅れによる供給不足と共に、人手不足が激化し、今までの低賃金、低生産性部門での賃金上昇が大幅となって、この部門での生産性を上回る賃金、業主所得の上昇が行われたからに他ならない。

 いままでの日本経済には、いわゆる二重構造が存在し、低生産性部門でも賃金格差を利用して、生産性の低いことをカバーして何とかやってゆけた。例えば、サービス産業などでも低賃金の労働力を利用することによって消費者に安いサービスを提供することが可能だったのである。しかし、先進国ともなるとそうはいかない。生産性の上げ難い部門では価格上昇によって補う形をとって、賃金格差、所得格差を生じないようにする。例えば 第26図 にアメリカと日本との消費者物価の国際比較を示すが、公定レートの360円では、日本の方が、サービス料金、野菜などが割安になっている。そして、最近では、穀物、タバコ、交通通信料金など値上げを押さえられているものは別として、今まで割安だったものほど上昇率が高いという傾向がある。いわば、最近の日本の消費者物価の上昇にはこのような物価構造が先進国に近づく過程で起きたものも含まれているとみられる。

第26図 消費者物価構造の近代化過程

 先進国に追いつく努力をすることは主として製造業の部門で生産性を挙げることであるが、そうした場合結局それにみあって賃金上昇をもたらすことになる。そして遅かれ早かれ賃金上昇は全産業に波及することになって消費者物価の上昇をよび起こすのである。 第25図 にこの3年間の各国の賃金上昇率と消費者物価上昇率との関係を示すが、先進国はどこでも物価上昇に悩んでおり、賃金上昇の半分以上は物価上昇に食われていることが分かる。

第25図 消費者物価・賃金変動の国際比較

 日本の消費者物価構造の先進国化は避けえざる事実である。先進国へ近づくスピードによって問題はかなり違ってくるが、急げば急ぐほど消費者物価上昇が起きてくる。しかし、このことが現在のような6%以上の消費者物価上昇につながるかどうかにはなお問題が残っている。少なくとも 第25図 にみるごとく国際的にみて、この3年間の賃金上昇と消費者物価上昇の関係では日本は物価上昇が激し過ぎる形をとっている。

 今30年から34年までの消費者物価の安定期と、34年以降の上昇期とを比較してみると安定期の消費者物価の上昇率は年率1.0%であったのに対し、上昇期には5.2%と大幅であった。物価安定期においては 第27図 のように製造業の生産性は年率8.4%の伸びであり、賃金上昇は5.7%と生産性を下回る伸びであった。しかもこの間は人手不足がまだ激しくなく、労働力の流動性もまだ低かったので、一部の賃金上昇が全体の賃金上昇をよび起こすという波及効果が低く、サービス業、卸小売業の賃金上昇は製造業の賃金上昇率を下回る4.8%に留まっていた。この場合でも、サービス業、農業などでは労働生産性の向上は年率3~4%に留まるのでやはりある程度のサービス料金や農産物価格の上昇がこの間行われた。

第27図 生産性・賃金・賃金コストの上昇率と消費者物価の推移

 ところが34年以降は、人手不足の激化から卸小売業での賃金上昇が激しくなっている。特に37年度には製造業の賃金上昇を上回る上昇率であった。生産性上昇率の低いところでの賃金・業主所得上昇が激しいことがことさら消費者物価上昇に拍車をかけることになっているとみられる。いわば最近の消費者物価の上昇は、卸小売業などで遅れた賃金上昇の追いつき過程が始まったことと、若い年齢では先進国並に労働力の流動性が高まっていることから賃金格差の縮小過程が進んでいることに加え、値上がりムードに便乗した価格、料金のつり上げがみられたことによって特に加速されたものとみてよい。

 今後の安定成長の過程では消費者物価の上昇テンポも幾分緩んでくると考えられるが、いったんこのような形で物価上昇が起こってしまうと、賃金上昇からの物価上昇へのはねかえりが一段落しても、次の波及過程として消費者物価上昇が再び製造業の賃金上昇をうながすことが起きやすい。いわゆる物価─賃金の悪循環が始まってしまうと物価上昇がスパイラル的に上昇してしまうことになる。その場合には製造業でも生産性を上回る賃金上昇が起こることにもなりかねず、卸売物価までがコスト面からの上昇を余儀なくされることになる。

 現に日本経済では、37年度において製造業でも賃金上昇が生産性を上回った。37年度は景気調整の年でもあり、現在の日本経済が既にこの悪循環の段階に入ったとはみられないものの、年率6%を上回る物価上昇が3年も続くと、コスト・インフレの懸念もでてくるし、今後の国際競争力強化についても憂慮される問題である。また物価上昇の持続が国民生活を損なう恐れも十分あるだけに、我々は日本経済の今後の成長にあたって消費者物価の安定に真剣にとりくまねばならないといえよう。

 今後も日本経済が先進国に追いつくためには高い成長率を続けねばならず、賃金格差の縮小も賃金格差が先進国並になるまでは続けねばならない。成長のなかで前向きに物価の安定を図るためには、人手不足経済に応じた雇用賃金対策と賃金格差縮小過程の続く経済に見合った経済構造の近代化を図ることがまず必要となってこよう。

雇用、賃金体系の近代化

 賃金上昇でコストがあがって大変だという場合でも、今まであまりにも豊富な労働力に慣れ過ぎた企業経営を行っていたことについての反省が足りないのではないだろうか。人手が足りないということのなかには人手を節約する努力と工夫が足りない面もうかがえる。

 そうはいうものの35年以降の人手不足は企業だけのせいではなく新規労働力の供給不足であり、高度成長の結果の労働需要の急増に基づくものであろう。しかし人手不足の激化の第1の要因には人手不足の声が大きくなるにつれて、かえって大企業の一部などでは人手の取り過ぎという現象も起きてきている点が挙げられる。どれだけ、雇用をとり過ぎているかを統計的に明らかにすることは難しいが、高度成長のなかで需要の急増に対処すべく人海戦術で雇用を増加させた業界も少なからずあった。生産上昇に対して雇用上昇がどれだけ行われたかという雇用弾性値を測定してみても30~35年まではで0.45であったものが、35~36年には0.54とかなり上昇している。生産の伸びが大きいうえに弾性値が高まったのだから労働需要が特に大きくなったのである。弾性値が高まったという事実のなかには構造的、技術面の問題もあろうが、人手不足の中でも労働節約的な方向へは動いていなかったことを意味している。

 第2には労働需要が新規労働力に偏ったことが人手不足を激化させている。37年には500人以上の大企業は中学卒の31%を吸収しているが、33年ではわずか11%を占めていたに過ぎなかった。若い労働力の供給が減っている中でも大企業は若い労働力を優先的にとってしまうためにこのような形になったのであるが、それだけ中小企業での若い労働力の不足を激化させ、初任給の急上昇をもたらすことになっている。若い労働力の方が使いやすいし、比較的低賃金で済むということからそこに需要が殺到するのは当然ともいえるが、これだけ人手不足が厳しくなると、もっと中高年齢層の活用を考え直さねばならなくなってこよう。 第28図 のように先進国に比べると日本の労働ヶ年齢構成はなお若い人で占められているが、最近の人口増加のパターンからみていずれは老齢化することは必然と考えねばならない。若い労働力だけに頼る経営では人手不足は解決しないのである。

第28図 製造業労働者の年令構成

 しかし、現在の賃金体系、いわゆる年功序列型賃金で、年さえとれば給料があがっていく型では企業経営としては平均賃金を押さえる一手段として老齢化をくいとめるために若年工に執着せざるを得ない。労働力の老齢化と共に、賃金体系をより能率に応じたものに訂正することがまず問題となってくる。賃金の上昇傾向の強まるなかで、賃金コストの上昇を防ぎ物価の安定化を図る手段のひとつとして、雇用賃金体系の近代化が挙げられる。

農業、中小企業、流通部門の改善

 賃金上昇を物価にはねかえらせないための第2の手段としては、いまの段階で賃金上昇の激しくなった部門の生産性向上に努力することである。

 一般的には消費財部門、農業、サービス業、流通部門での生産性向上は難しい。しかし日本の現状ではもっと生産性を上げうべきところも生産性向上の努力がおろそかにされてきたという事実が指摘される。

 第29図 には1953年から60年までの製造業のなかでの投資財産業と、消費財産業の生産性上昇の比較を行っているが日本経済の高度成長の中で消費財産業の生産性向上が遅れてきたことが分かる。もちろんテレビや合成繊維などいわゆる成長業種での生産性向上は大きかっただろうが、食品工業、木材木製品工業など古い生活資材で、生活必需品的なものでは停滞性が強い。特に諸外国と比べても日本の消費財産業の生産性向上テンポが遅いことは注目しなければならない。何も日本の消費財産業の生産性向上に困難な面が多いという理由はないので、結局投資財部門への投資が集中し過ぎて、いわゆる「投資が投資をよぶ効果」の経済成長であったことがこのような産業の生産性上昇に格差を生じせしめたものとみてよい。 第29図 にみる投資財産業での高度成長の場合に日本では賃金上昇に遅れをもたらしたものの投資財産業の賃金上昇をよんだ。それが消費財産業の賃金上昇にも影響を及ぼし消費財産業における生産性上昇を上回る賃金上昇になったのである。

第29図 消費財、投資財の生産性と賃金上昇率の国際比較

 製造業のなかでさえもこのような不均衡発展があるのだから農業、中小企業となると一層問題は深刻になってくる。

 中小企業についてみれば一般的には生産性向上が目覚ましく行われたというものの、それは成長産業である機械の下請けなどの部門において合理化が進んだことが大きい。消費財産業の中小企業の停滞性は高度成長の中でもなかなか改善がみられなかった。例えば 第30図 にみるように30年から35年までの付加価値増加額のうち機械工業は37%を占め高い成長力を示しているが、更にそのうちの7割を大企業が占めている。一方繊維での伸びは小さく、しかも繊維全体の増加分の7割近くを中小企業が占める形となっていて、消費財産業は停滞的であるうえに中小企業の比重の増大がみられる。

第30図 30~35年の粗付加価格増加に対する寄与率

 中小企業の近代化も、親企業が自分の利益のために下請け企業の育成を図っているところには発展の動機があるが、問屋下請けのごとく、単に低賃金の有利性を利用していたものでは生産性向上の努力が遅れ、賃金上昇がそのまま消費財物価の上昇にはねかえる形をとるものが多い。今後は消費財部門の中小企業の近代化が当面の課題と考えられる。

 農業にしても一般的にいうと日本農業の生産性向上は目覚ましい。農業全体ではこの6年間年に4%ずつの生産性向上がみられるし、米作でも年率2.9%の上昇率である。世界各国と比較するとかなり生産性上昇率の高い国といえよう。農業における労働生産性向上の急速に進んだ原因は、技術発展による反当たり生産量の増大もあるが、農業人口の流出が自然に人手節約的な技術導入のやむなきに至り、今まで労働を過剰に投入していた農業では毎年20万人をこえる労働力が工業へ流出する形でかなり順調に生産性向上が行われたのであった。

 しかし今や人口流出が激しいために人手不足は農業においても目立ち、農業日雇いの労賃も36年、37年と2年間20%以上の上昇を続けた。生産性はあがったがそれ以上の賃金上昇である。これが農民の自家労働の評価を高め、ひいては農産物価格上昇の一因となっていると考えられる。

 特に米の場合は現在「生産費所得補償方式」とよばれるやり方で米価が決定されているので、都市の賃金が米の生産性向上を上回ってあがると米価にはねかえる仕組みになっている。37年産米の生産者米価は150kg当たり1,124円の値上げをみたが、そのうち労賃評価の上昇による分が6割を占めている。

 消費者米価は一応生産者米価とは別に決められる建前で、財政負担によって低めに押さえられているが37年には5年振りに12%の消費者米価の引き上げをみた。また生産者米価があがって米による収入が増えると、農民は他の作物についても米作並の収入があることを望むことから農産物価格の上昇が起きるのである。最近の野菜、果物価格の上昇によって収益性もかなり高まったが、従来はかなり低くそれが需要の急激な増大に見合う供給力増大を妨げ野菜、果実価格の上昇をよんだものと考えられる。

 ゛結局、農業においても手間をかけないでしかも収益のあがる農業にしなければ都市賃金の上昇の影響を直接、間接に受けて価格をつり上げる形をとることになる。現在軒並みに農産物価格が上昇しているといわれるが、 第31図 にみるごとく多数羽飼育の普及で生産性向上が大幅に行われた鶏卵や、供給力に余裕があり手間がはぶけた「じやがいも」などでは比較的価格は落ち着いている。このような事例からみても、農産物の価格安定には経営規模の拡大、労働節約的な技術普及、あるいは主産地形成による供給量の安定的増大が重要な政策といえよう。

第31図 鶏卵、ばれいしょのコストと価格

 最後に物価問題について近代化を迫られているものは流通部門である。日本経済の高度成長において見忘れられていた部門として卸小売業の非近代的な構造が指摘される。

 流通部門の近代化の遅れた要因は、近代化を要請する動機がなかったことと、生産部門に比べ近代化が難しく、制度的、歴史的慣習にしばられているところが大きかったからである。しかし、生産面での大量生産化に伴い、大量販売の必要が生じてきたこと、小売業における賃金上昇、人手不足から、小売商自体の生産性向上を余儀なくされてきたこと、更に流通機構の未整備が消費者物価上昇の一因として挙げられるに及び、流通部門の近代化が「流通革命」というキャッチフレーズと共に急速に脚光をあびて問題となってきた。

 たしかに 第32図 にみるごとく流通部門特に小売りのマージンが漸次増大してきており、生産部門の近代化に比べ遅れていることが目立っている。小売り部門のマージンがふくらんでくるのでは、せっかく生産部門で生産性向上を行っても消費者物価の安定に資し得ないことは当然であろう。消費者物価中に占める小売りマージンの比率がサービスを除いた商品では22%に達するが、ここでの合理化が消費者物価に与える影響も無視し得ないものとなっている。

第32図 小売価格構成要素の推移

 現在のような小規模、零細な小売業をそのままにしていたのでは賃金上昇に対処してマージンを節約することは難しい。生産性の高い大規模販売業者の拡大により能率のよい流通組織、太く短いパイプにして消費者と生産者とを結びつけることが重要になってくる。いわゆるスーパーマーケットなどの大型小売店は人手を節約してサービス競争よりも価格競争を行うことで消費者のし好にマッチして急速に進展してきた。スーパーマーケットは販売効率が普通小売店より約3割高いという事実によって低いマージンで伸びてきたわけである。しかし日本のスーパーマーケットはアメリカに比べるとなお能率は低く改善の余地は残されている。今後もスーパーマーケットを含めて小売店の能率向上、流通機構の近代化が物価対策の一面としても重視されねばなるまい。


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