昭和37年

年次経済報告

景気循環の変ぼう

経済企画庁


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総説

日本経済の基調変化

景気調整の実態と効果

金融、財政政策の展開

 景気の行きすぎを抑えた引き締め政策の主役は、82年の場合と同じく金融であった。

 もともと、36年度にはいるごろには、金融市場は。自動的なブレーキがかかることによってかなりの引き締まりをみせていた。税収を中心に一般財核の対民間収支が揚げ幅をひろげ、加えて、輸出を大幅に上回る輸入の増大などによって外為会計も揚超に転じたからである。この意味では、国際収支の悪化はおのずから金融引き締めまり要因として働いていたし、また財政も、このような形で景気行き過ぎのブレーキとしての機能を持っていた。

 しかし前述のような引き締め政策の強化や、金融市場の自律的繁忙化も、必ずしも企業の資金需要、ひいては銀行貸し出しを円滑に抑制していく要因とはなりえなかった。企業の投資需要が累積された根強さをもち、資金情勢の悪化にもかかわらず企業が投資態度を変えようとしなかったからである。これには、前回の引き締め時とは異なって引き締めに先立つ35年度後半に、短期外資の大幅流入に伴う金融市場の緩和や、公社債投資信託発足に伴う起債額の大幅な増大があり、また銀行間の貸し出し競争にもはげしいものがあったため、これらが金融面から企業投資を誘発する要因として働いたという事情も影響していた。

 金融引き締めに対して企業はいろいろな形で対応しようとした。第1は流動性の圧縮である。36年1~3月における事業債起債額は、公社債投信の発足を挺子として2,276億円の巨額に達し、企業に資金調達の先行きに楽観的な期待を抱かせると同時に、現実にその流動性を高めた。その後、起債規模が急激に圧縮され、銀行の貸し出し抑制態度が強まるなかで、企業は、このようにして高められた流動性を食いつぶすことで対処しようとした。 第4図 にみるように預金を取りくずしたり、投信受益証券や株式を売却して、投資資金に充当することに懸命とたったのである。

第4図 産業資金供給と通貨流動性

 第2は企業間信用の利用である。設備投資や生産をできる限り高水準に維持したいという企業行動は、比較的資金調達力の強くなった機械工業などの企業に、支払いのシワを寄せる形でも続けられた。また、他方で中小企業が比較的資金的余裕を持っていたから、これに対する与信の回収も資金節約の一手段とされた。

 第3は増資市場への依存である。産業資金供給の中に占める増資の比率は35年度の12%から、36年度には24%へと急増した。もちろん景気見通しの悪化や、法人企業等の換金売りによって株式市況は急落としたが、多くの企業にとってはなお増資が可能であった。いわゆる金繰り増資の集中によって、結局は増資調整の必要が生じたが、その一部は増資つなぎの形で銀行貸し出しに肩代わりされた。

 このような資金面の種々の操作によって、製品在庫累増の圧迫にもかかわらず、企業は生産水準を支え、また設備投資を強行していくことができた。しかし企業の強い資金需要は、これらの措置によってすべて満たされたわけではなく、日銀の強力な窓口規制下においても、なおかつ銀行貸し出しが増え続けていく要因としても働いた。この結果、下期の全国銀行貸し出し増加額は前年同期を下回り、年度間では1兆4,832億円増となったが、いわゆる含み貸し出しが行われたことをも勘案すればかなりの高水準であったとみられる。

 しかし、金融引き締め政策がつづけられていくなかで、このような企業の強気は次第に挫かれていった。銀行貸し出しについても、窓口規制による抑制という面のほか、日銀貸し出しが1年度内で6,860億円も増大する状況下において、資金ポジションの急激な悪化が生じ、貸し出し抑制の必要が一層切実となった。

 このようにして37年度にはいるごろには、大企業を中心とした企業金融は極度のひっ迫を示すに至り、景気に対する先行き不安感と相まって企業家心理も次第に冷却されることになった。金融引綿めは、時間をかけ、企業の抵抗にあいながらも、結局は自らの論理を貫徹したといえよう。

 なお、今回の場合、引き締め政策の順調な浸透を期する反面で、できる限り摩擦を避けようという政府の配慮が示されたことが特色であった。早目に中小企業金融対策がとられ、政府資金による市中保有債券の買い入れや財政投融資の追加支出も行われた。

第5図 日銀賃出と外貨会計対民間収支

生産の下降阻止力

 金融引き締めが強化されて後も。鉱工業生産は。約半年にわたってかなり根強い増勢を続けた。36年10~12月、37年1~3月の生産増加率は月率にして1.4%及び0.4%で、引き締め強化前の4~9月の1.7%に比べると、その上昇テンポは漸次鈍化したが、景気調整の効果が生産を下降に転じさせるまでには。時日がかかったといえよう。

 業種別にみれば、繊維、紙などでは、いち早く操短態勢を固める品目もあって10、11月ごろから減産に転じ、やや遅れて鉄鋼、化学も37年2月から下降に移った。今回の引き締め過程でも、これら生産財業種の反応の仕方は比較的早かったといえる。しかし、景気転換に対して工業生産全体がなお強かったのは、何といっても、これまでの高度成長過程で著しく産業構造上の比重をました機械工業の生産基調に強いものがあったからである。機械工業は、設備投資の強成長持続を反映した資本財機種と、家計消費の高度化を示す耐久消費財機器との堅調に支えられて、引き締め後も3月までは、年率30%というテンポの上昇を続けた。のみならず、割合早目に減産に移った生産財を含めた各業種を通じて、引き締め強化後もしばらくの間は、景気の先行きに対する楽観的な姿勢が保たれ、景気実勢よりも生産を高目に維持しようとする傾きがあったことから、製品在庫は36年10月以降特に累増傾向が目立ち、その結果3月末の水準は引き締め時をなお20%上回っている。

 このような強気の工業生産基調も、製品在庫圧力の急速な増大と出荷の伸び悩み傾向が、景気調整過程でいよいよ明らかになり、価格が軟化の度合いを強めるに及んで、37年度はじめごろから下降局面へと移行するに至ったとみられる。

 景気転換にもかかわらず、生産がなかなか下がらなかったのは、大きく分けて、企業者の要因と需要の要因があった。前者については、第1に企業全般の楽観ムードが割合長く尾を引いていたこと、第2に企業間競争激化のなかで自社の量産態勢を拡充するためのシェア確保の意欲が特に高まっていたこと、第3に経営内部において、設備投資の強成長の結果、資本コストが高まり、賃金コストも増加しているために、採算上なかなか操業を落とせないという要因が加わっていたことなどがあげられる。しかし単に企業側の要因ばかりではない。需要側の要因にも、生産を急速に下降させない根強さがあった。次に需要要因についてみよう。

第6図 引締め後の鉱工業生産の推移

小幅だった在庫投資の減退

 有効需要のうちで、金融引き締めに対する反応が最も早く現れたのは在庫投資である。総在庫投資は、36年秋を境にして、前半の急増と後半の減退という対願的な動きを示した。しかし、その減少幅は、32年の引き締め時に比べると、相対的に小幅で最近に至っている。

 もっとも在庫投資の動きは、流通段階や、メーカーの原材料、仕掛け品、製品別によって、それぞれ違った動きを示した。 第7図 にみるようにいつも景気反応性の早い卸売り在庫投資は、今回の引き締めでも急速な減少を示した。商社や問屋が35年秋以降自由化に備え、あるいは成長ムードによって取引範囲を拡大し過ぎていたためもあって、既に9月の引き締め強化前から資金繰りひっ迫のために減勢に転じ、その縮減幅も大きかった。従って、在庫投資の減少幅が総じて小さかったことは、製造業での在庫調整の遅れに原因が求められる。

第7図 在庫投資の変動

 製造業の在庫投資についてみると、まず、原材料在庫投資は、10~12月期に減少に転じているが、32年の引き締め時にくらべれは、その縮減幅も小さい。これは前述のように生産財生産の減少幅をこれまでは小幅にとどめてきたことに関連している。この点については、引き締めに遭遇したときの原材料手持ちが、生産水準に、くらべ割合低位にあったうえに、需要者も好況の余熱で生産見通しをすぐには変えず、従って急速な原材料在庫べらしの手を打つのに躊躇したからであろう。また設備投資を中心とする最終需要も底固く、多額の受注残高をかかえた機械メーカーは、すぐには鋼材在庫をへらす挙にでなかった。

 生産財産業のなかで、鉄鋼などの資本財関連産業の付加価値の比重が31年当時の51%から36年には78%にまで増えていることからみて、後述の設備投資の高水準持続が原材料在庫投資を底がたくさせる要因として働き続けた面も過少評価できない。

 一方、メーカーの製品在庫投資は、引き締め後著しい増大を示した。製品在庫投資の調整は、前回の引き締めの場合にも他の在庫投資の減少よりかなり遅れたが、今回の引き締め後の製品在庫の累増ぶりはとりわけ大きい。それは産業構造の変化によって、民生電機など成長的見込み生産業種が依然強気の生産を続けていることにもよるが、それ図りでなく、メーカーの引き締め政策の影響に対する見込み違いから累増した面もみられる。

 このように、原材料のような企業の意図的に削減し得る在庫投資の減少が小幅で、企業の意図に反した製品在庫投資が累増し、総在庫投資に占める後者の比重が大きくなっていることは、今回の1つの特徴であった。

根強さを示した設備投資

 景気調整の在庫投資に与えた影響が、総じて小幅であったにせよとにかく速やかであったのに比較して、民間設備投資は反応が遅く、極めて根強い推移を示した。当庁調べの「法人企業投資予測調査」でみると、 第8図 のように36年度下期の設備投資実績(見込み)は、前期に対し13%の拡大で、根強い増勢を示した。業種別にみても、36年度下期の設備投資が上期よりも減少したものは少なく、おおよその業種では設備投資が持続的に増加し、特に自動車、石油化学、電気機械、一般機械、食料品、セメントの増勢が目立った。

第8図 民間設備投資の増勢

 引き締め下で、設備投資意欲がなかなか衰えずに、投資の増勢が根強く続いたのは、主として次の企業要因があったことによる。

 第1には、最近の設備投資には、すう勢的な需要拡大期待でたてられた長期計画型のものが多くなり、企業の景気見通しや資金予測の甘さもあって、継続中の設備投資の急速な転換や削減に踏み切らせなかった事情があったからである。

 第2には、貿易自由化に迫られて、早期に国際競争に耐える量産、多角化規模に近づくための近代化工事を急ぎたいという切迫感が、企業をして容易に設備工事を縮減させなかったことである。

 自動車、特殊鋼、石油精製などはその例に属している。

 第3には最近の企業の集団化傾向によって、投資規模が大きくなっている図りでなく、利害関係が密着しているだけに、関連会社が1社だけの事情で簡単に設備工事を落とすわけにいかなくなっていることである。自動車、機械の下請け系列関係にせよ、化学のコンビナートにせよ、企業集団化は、各社の設備計画のバランスの建前から、景気変動にすぐに対応できない変り身のおそさを持っている。

 第4には、企業間競争が激化して、シェア意識が強くなっていることである。後発企業は先発企業の域に達しようとする意欲から容易に投資を落とすまいとし、また業界の優位にたつ企業は、変動期こそ他社に差をつける機会だと考えて投資を続行する。こうした傾向は、大なり小なり各業界に共適していたといえよう。

 第5には、企業が設備投資をするに当たって、やりかけた投資はできるだけ早く完了させたいと考えるのは通常だが、金利負担の高まってきた現段階では特にこの傾向が強まっていることである。

 以上の企業要因は、相互いに絡み合いながら、調整下の設備投資の高水準を持続させてきた。しかし最近では、大型の新鋭設備が稼動に加わるにつれて供給圧力がまし、一方景気調整過程での需要停滞から先行きの需給関係に対する企業の不安感が増すにつれて、さかんだった投資意欲もようやく沈静化への動きをみせている。第8図にみるように37年度上期の投資計画は、前期の実績見込みに対してほぼ横ばいとなっているが、最近の資金繰りの状況からみても実績は計画を下回ることが予想される。

消費需要と雇用の堅調

 36年度の消費(全国世帯)は好況の長期化によって所得が増え名目額では13.2%の伸びを示した。しかし、消費者物価の高騰から実質では6.6%の上昇に留まり、前年度の伸びにほぼひとしかった。これは 第9図 にみるように、下期の停滞が影響している。

 これを都市、農村に分けてみると、名目額では都市勤労者世帯は12.1%、都市一般世帯は15.1%、農家は13.4%とそれぞれ大幅な伸びを示したが、一方消費水準の伸びをみると一般世帯が8.3%で最も大きく、農家世帯が6.7%でこれに次、勤労者世帯は5.5%と最も低かった。

 36年度の消費内容は、価格上昇の高かった品目に対する実質消費の伸びが小さかった反面、物価の落ち着いていた耐久消費財の購入は前年度を大きく上回り、消費内容の高度化、生活の合理化傾向が続いている。農村では特に耐久消費財への支出増加が著しく、テレビ、洗たく機などの普及が一層進んでいる。36年度の貯蓄率は収入増加が大幅であったため、物価上昇がはげしかったにもかかわらず、勤労者世帯で、15.3%と35年度の13.9%を上回っている。

 このような消費拡大の背景をなしたのは36年度中の雇用の拡大と賃金の上昇である。雇用は年度前半まで好調を続けていたが、 第10図 にみるように景気調整の影響によって次第に増勢は鈍化している。これは、これまで大企業が過大な投資計画にあわせて労務者を採用したことの反動ともみられる。一方、中小企業ではなお労働力不足が続いており、その面から大幅な失業者の増大はないものとみられる。

 賃金も36年度は前年度にくらべ12.6%と29年以来の大幅な上昇をみたが、景気調整後の推移をみると労働時間の短縮を反映した超過勤務手当の減額や、ベース・アップの幅の縮小によって、上昇傾向には鈍化がうかがわれる。しかしながらなお賃金水準は3月で前年同月比10%高と強い基調を示している。

第9図 名目消費と実質消費の推移(全国)

第10図 雇用と賃金の対前期伸び率

問題はどれだけ解決されたか

国際収支改善の内容

 景気調整策実施後の経常収支の改善傾向はかなり急速であった。

 経常収支の赤字は5月以降、月に1億ドルをこしていたが、9月からは赤字幅を縮小し、37年3月には20百万ドルの支払い超過に留まった。

 経常収支改善の原因の第1は、輸出の増勢が顕著になったことである。36年度下半期には、アメリカの好調に加えて、東南アジア、大洋州でも上向きの気配が現れて輸出の回復は顕著となった。輸出を季節変動修正値で9月と37年3月とを比較すると約70百万ドルの増加である。この急増は金融引き締めの影響で内需が沈静し、輸出に向かったこともあるが、海外市場の好転によるところが大きかった。37年1~3月の輸出を市場別に通関統計で前年同月と比べてみると、アメリカ向け35%、ヨーロッパ向け27%、アジア向け9%の増となっている。

 第2は、輸入の減少である。輸入もまた9月と37年3月との間で、季節変動修正値でみると70百万ドル近く減っている。つまり、為替収支の改善に対し、輸出と輸入はほぼ等しく寄与したことになる。この間に生産は上昇しているのに、なぜ輸入が減少したのであろうか、それには、3つの理由が挙げられる。すなわち綿糸、鋼材等輸入原料を多く使用する商品の生産が低下していること、銑鉄の輸入が減少したこと、及び、輸入原材料在庫を季節的な蓄積期であるにもかかわらず減らしていることである。9月には輸入原材料在庫は蓄積の過程にあったから、蓄積をやめるだけでも輸入は減少するわけであるが、最近ではそれだけに止まらず、秋ごろまでつみ増した在庫を喰い減らしているので、在庫調整は大きな輸入減少要因となっている。商品別にみると、繊維原料とくず鉄の減少が大きい。

 経常収支の改善につれて総合収支も次第に改善の方向に向かい、11月以後表面上は大体バランスしたが、しかしそれはアメリカの市中沢行からの特別借り入れによって、年度末までに合計2億33百万ドルの短期資本が流入したことが寄与していることを見落としてはならない。この特別借り入れがなければ総合収支は引き締め後もなお赤字を続けたであろう。

 以上のような原因によって、36年4月の20億ドルから10月には15億ドルへと急激に流出した外貨準備高も、その後は大きく減少することなく、年度末には1,561百万ドルの準備を保有することができた。しかしそれは国内の経済活動の抑制と、緊急借り入れとによるところが少なくないのである。しかも国際収支が改善されたといっても、1~3月の経常収支の赤字は167百万ドルであった。4~5月の2ヶ月でも89百万ドルの赤字を示しており、安定的な長期資本の受取超過分を加えてもなお、51百万ドルの赤字である。

 なお年度をまとめてみると、為替べースで輸出は4,123百万ドルで前年度比5.2%増に留まったのに対し、輸入は4,987百万ドルで27.3%増となり、そのうえ運賃、港湾経費、ロイヤリテイ、銀行等手数料などの支払いの増加で貿易外収支が139百万ドルの大幅な赤字となったので、経常収支で1,003百万ドル、総合収支で436百万ドルとし、う支払い超過を記録した。

 通関統計によって商品別の動向をみると、輸出では、全般的な不振の中で、雑貨と機械がそれぞれ13%増と好調であったことが注目される。雑貨は対米輸出の回復を反映したものであるが、機械は、工作機械、産業機械、自動車、テープレコーダー、テレビ等、比較的新しく輸出商品となったものの伸びが著しく、将来の日本の輸出の方向を示唆するものであろう。

 輸入では、鉄鉱石、くず鉄、機械、鉄鋼等の増加率が大きく、36年度の輸入増加に対する上記4品目の寄与率は5割に近かった。これは36年度が設備投資景気であったことが、輸入を特に高めたことを物語っている。

第11図 外国為替収支尻の推移

下がりにくい消費者物価

 卸売物価は、9月の金融引き締め政策を境にして、上期の微騰から下期の反落へと基調を転換し、年度中に1.4%の低下となった。これに対し、消費者物価は下期も騰勢を続け、年度中7.796の大幅な上昇となった。36年度中の消費者物価上昇のうちでは、野菜等の農産物価格の影響が最も大きく、上昇分の約5割を占めた。

 36年度の消費者物価には特別な事情があったにせよ、卸売物価の下落に比べて対照的である。

 もともと引き締め効果が消費者物価にまでおよぶのに、かなりの期間を必要とすることは 第12図 によっても明らかである。引き締め政策の発動後、消費者物価の低下をみるまでには、前々回では5ヶ月、前回では3ヶ月のタイム・ラグがあった。景気調整の浸透によって所得や消費支出の伸びなやみがおこるのであるが、その際もたえず遅れる傾向を持っているからである。しかし36年度の消費者物価の続騰をみると、前回、前々回の景気調整期におけるよりも、はるかに根強いものを持っている。それは、現在の消費者物価の上昇には、基本的にはつきのようにいろいろな要因が相互いに強く働いていたからであった。

第12図 消費者物価の推移

 第1には、賃金上昇テンポが全般的に速まっていることである。もともと消費者物価は、賃金上昇率の高いときには騰貴しがちなものである。産業によって、賃金の上昇分を生産性の上昇によってカバーし得る部門とカバーしえない部門とがある。このため生産性上昇の行いにくい部門では、生産性を上回る賃金の上昇となる。 第13図 にもうかがわれるように、30年から35年までの5年間で、非農林業をみると、賃金の上昇を生産性の上昇がやや上回っているが、「サービス・その他部門」では、生産性以上に賃金が上昇しており、それが物価の上昇に反映されている。36年度においては、賃金上昇テンポが特にはげしく、製造業でさえ生産性の上昇を、賃金の上昇がわずかに上回っているのであるから、それだけ消費者物価に関連を持つ部門の物価を引き上げる力が強かったのである。

 この傾向に拍車をかけたのが、第2の要因、賃金格差の縮小である。高生産性部門と低生産性部門で同じ率で賃金が上昇した場合でも低生産性部門ではコスト要因としての圧力が大きく作用し、消費者物価の上昇が起こるのであるが、特にここ数年低生産性部門の賃金上昇が高くなっている。高成長が労働力需給をひっ迫させ、二重構造の底辺に存在していた中小企業やサービス業における賃金を平均以上に急速に引き上げる働きをしたからである。 第14図 にみるように33~36年の3年間に、製造業の大企業と小企業の間の賃金格差は、若年労働者を中心として著しく縮小している。それが特に最近の消費者物価の上昇を促進したとみてよい。

第13図 生産性・賃金・物価の変動

第14図 製造業年令別賃金格差の推移

 第3には個別物価の引き下げについては円滑に行われにくい点があることである。

 景気変動に対しては卸売物価をある程度安定化させる努力も必要であるが、生産性の著しく上昇した一部の工業製品などについては、その成果が価格面に反映されることが望ましいと思われるが、その点必ずしも十分でないものもうかがわれた。また末端の小売業者やサービス料金などの一部に便乗値上げが行われるなど、不完全競争の面から消費者物価を下げにくくしていることも認められた。

 第4には、消費需要の強調がもたらした全般的にみられる値上げムードや、供給力不足からくる物価上昇である。盛んな消費需要が消費者物価の高騰を呼ぶ傾向は、木材などについてみられたが、また、消費内容の変化によっても促された。所得増大は消費構造を高度化させ、例えば農産食品の中でも、果物、一部の畜産物の需要が大幅に増加した。その増加率は供給力の増勢を上回り、部分的な超過需要を生じさせた面もあった。

 これらの要因のほかに、公共料金では拡大する需要に追いついて供給力を増やしていくために資本コストが上昇し、料金値上げの一因となっている。家賃・地代の上昇では、地価の高騰にひきずられてつりあげられた面もあることは、注目に値いしよう。36年には、これらすべての要因が相互いに強めあって働いたところに、消費者物価高騰の原因を求めることができる。引き締め政策によって需要要因はこれまでより落ち着きを示すと考えられるが、その他の構造的要因の解消にはかなりの時間をかけねばならない。政府は、このような根強い消費者物価上昇傾向に対処するため、37年3月、「物価安定総合対策」を打ち出し、引き締め政策の堅持をはじめとする13項目にわたる総合施策をとることとなった。これは需要抑制によって消費者物価の安定を図るのみならず、農産物の流通機構の整備、輸送施設の不備等の改善、あるいは労働力不足に対処するための労働力移動の円滑化など、構造的な欠陥を是正することによって物価上昇要因を排除しようとするものである。

 最近の消費者物価は高度成長の累積に基づく根強い上昇圧力を持っているだけに、その抑制は難しいが、消費者物価の高騰は、賃金・物価の悪循環をよび個人の貯金の実質的な価値を奪うことになって、成長に対する不信をよび起こすもとともなるので、物価政策の強力な推進が必要なのである。

社会資本の立ち遅れ

 社会資本の不足が経済、社会の両面において大きく問題を提起こしたのも36年度の特徴であった。

 36年度の財政は、 第15図 にみるように、特に産業基盤の整備には大きな力を注いでおり、公共工事を前年度と比較してみても、鉄道、港湾、道路などに対する投資増を中心に29%も増えている。それにもかかわらず、なお社会資本の立ち遅れが問題とされるのは、我が国の社会資本の蓄積が貧弱であったのに加えて、民間部門の投資には政府投資を大幅に上回るものがあったためである。

第15図 一般会計における公共投資の拡大

 36年度中特に注目をあびたのは港湾施設で、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸の5大港の1日平均滞船数は7月に80隻に達したが、その後さらに累増して10月には128隻にも及んだ。滞船船舶は、特に、スクラップ、木材船等が多かった。昭和30年から35年までの間に、港湾諸能力の増加は、大型船接岸可能面積数21%、倉庫面積25%、はしけ保有量9%であったのに対し、入港船舶数は約2倍となり、特に1万総トン以上の入港船舶は約3倍という急増となっていた。

 36年夏からの滞船数の増加は、このアンバランスが輸入の急激な増大によって激化されたものにほかならない。

 既成工業地域の用地用水難は今日に始まったことではないがその困難は一層強まった。道路についても、30年度末から35年度末までの間に、全国の道路資産額(31年価格)は66%の増加であるが、自動車保有量(登録台数)は2.4に倍増え、36年度末にはさらに増えて3.0倍となっている。道路の改善も著しいが、自動車の増加はさらに激しいのである。とく大都市における交通の混雑ぶりは、交通戦争といわれるほどで、交通事故は社会問題にまで発展した。東京都内都心部の主要交差点の交通量は 第16図 の通りで、34年ごろから既に限界交通量を突破しているが、36年度には周辺部でも、飽和点に到達寸前の状態に追い込まれている。また、朝タラッシュ時の通勤通学輸送は殺人的な混雑で、冬期には時差出勤によってかろうじて交通まひを免れている。上水道の供給不足、下水道施設の不備も都市の生活環境を悪化している。

第16図 東京都内自動車交通量の推移

 景気調整策の実施は、そのアンバランスの1部を緩和した。5大港の1旧平均滞船数は3月には平均18隻と減少し、36年12月のピーク時に230万トンもあった国鉄の駅頭滞貨は。37年5月末には94万トンに減少している。しかし、これらは景気調整過程において生じた一時的緩和現象に過ぎない。社会資本のあい路が激しくなったのは、単に民間投資が公共投資を大幅に上回って伸びすぎというばかりでなく、人口の都市集中、産業発展の地域的アンバランス等各種の不均衡現象の集中的現れである。これらの問題はその性格上、単に景気調整策によって解決できることではないが、産業活動と民間設備投資の鈍化する時期は社会資本の立ち遅れを取り戻し、アンバランスを是正して行くことのできる機会でもある。

昭和36年の国民経済計算

 以上のように、昭和36年度経済は下期以降次第に景気調整の色彩をつよめたが、設備投資を中心に最終需要が容易に衰えをみせなかったこともあって、年度間としては、名目約20%、実質約15%と引き続きかなり高い成長率を示した。

 36年の需要と供給を歴年計数による国民経済計算によって示せは 第1表 の通りで、国民総生産は16兆9,751億円に達し、これに輸入を加えた総供給は19兆1,877億円となった。前年に比べて、国民総生産で、21.5%の増加(物価変動を調整した実質では15.2%増)、また総供給(総需要)で22.4%の増加である。

 次に総需要の動きを需要要因別にみると、輸出(その他の海外からの所得を含む)が著しい停滞を示したのを除けば、各要因ともおおむね前年を上回る伸び率を示した。好況の浸透に伴って個人消費は堅調な動きをたどり、その増加率は29年以降の最高となった。一方民間設備投資は前年著増のあとを受けてさすがに伸び率こそやや鈍化したが、引き続き強い需要要因として働き、総需要増加に対する寄与率はなお3割と最も高かった。また、前年に沈静化した在庫投資も、秋以降にはいわゆる意図せざる在庫投資の上昇という事項もあったが、ともかくも前年比倍増をみた。

 なお、国民経済計算以外の指標で36年度の日本経済の水準及び前年度比をあらわす主要指標は、 第2表 の通りである。

第1表 総需要と総供給

第2表 昭和36年度の主要経済指標


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