昭和35年

年次経済報告

日本経済の成長力と競争力

経済企画庁


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昭和34年度の日本経済

金融

金融市場引締りの様相と金融政策の展開

 34年度の金融市場は次第に繁忙の度を強めていった。それは都市銀行が上記のごとき資金不足をカバーするために外部資金を求め、政策面からも引締りが助長されたからである。

金融市場の動き

 都市銀行の外部資金依存は前掲 第11-5表 に示すように、日銀以外からの借用金の増加820億円、コール取入純増545億円に上り、これまでの最高となった。都市銀行はこれまでも資金不足をカバーし、あるいは日銀借入返済を進めるため、民間金融機関から外部資金を取り入れてきたが、34年度には前節で述べたような事情から民間外部資金への依存度が高まったのである。( 第11-5図 参照)

第11-5図 都市銀行の資金過不足と市場資金依存

 コール市場の平均残高は東京、大阪両市場合計で34年11月以降3,000億円前後の水準を維持し、しかも34年7月以降、コール正常化措置の一環として、期間一カ月を長期コールは、貸付金として処理されることとなり、相互銀行、信用金庫の金融機関貸付残高は、35年に入るとほぼ500~600億円に達している。

 コール・レートは34年の前半は無条件もの中心日歩2銭3~4厘で推移し、7月以降は自粛申し合わせにより、表面は条件いかんを問わず最高2銭3厘を維持してきた。最も実質的には申し合わせをこえるレートもあらわれ、年度後半には3銭程度のものも散見された。これは次にみるように、政策面から引締め的な力が加わったために、出し手市場の傾向が強くなったからである。

金融政策の展開

 34年度には早目に資金供給抑制措置がとられた。最初の措置として、日銀は7月頃から都市銀行に対し、その貸出を抑えるように強く指導した。それは5~6月の銀行貸出の増勢が強かったからである。その後、物価横這い、国際収支は順調であったが、生産の上昇は顕著で資金需要も増勢を続けた。かかる情勢の下で景気上昇の行き過ぎを未然に防ぐための措置として、9月には準備預金制度が発動された。

 準備預金制度が採用されたのは32年5月であったが、これまでは発動されず、34年9月11日からはじめて実施に移された。準備率は銀行規模によって異なり、預金残高が200億円をこえる銀行では、要求払預金平均残高の1.5%及び定期性預金の0.5%、それ以下の規模の銀行では、それぞれ上記の2分の1となっている。これに先立って都市銀行は要求払預金平均残高の1.5%を目標に、日銀預け金の自主的な積み立てを行っていたが、これは法定準備預金にふりかえられた。その後の積み立ては順調に行われ、35年3月の平均残高は479億円となった。そしてこれは現金需給を圧迫する一要因となったのである。

 9月以降も経済の基調はおおむね順調であったが、伊勢湾台風以後物価上昇のテンポが速まり、日銀券も増勢を強めるなど、景気の前途に懸念を抱かせる現象があらわれた。かくして日銀は、12月1日公定歩合を日歩1厘引き上げ、商手割引歩合を日歩2銭とした。

 以上のような政策の効果を数量的にとらえることは難しいが、窓口規制の対象となった都市銀行が、これに協力的な態度を示したこともあって、貸出残高の伸び率が比較的少なかったことは、前節で述べた通りである。金利面では、全国銀行貸出金利が34年10月から反騰に転じ、公定歩合引上げに伴う標準金利の改定によって、上昇は本格的となった。

 企業に対しても、31年度と異なり比較的早目に引締りの影響が波及したといえる。法人当座預金の伸びが大きくなかったことも、一つのあらわれとみることができよう。しかし企業が資金繰りに窮迫し、手形が不渡りになるような事態はあまり生じなかった。むしろ企業の長期預金や貸付信託証券の手持ちはかなり増え、借入金や売上高の伸びと比べても高く維持されている。これは企業が将来の資金需要に備えて借入先を確保するなど、資金手当に慎重であり、計画性をもたせようとしていることを意味するものであろう。従ってこのことが34年度において貸し出し抑制の効果を妨げたとは必ずしもいえないと思われる。

景気行き過ぎを防ぎえた諸条件

 景気上昇の行き過ぎを防止するための金融政策の実施が、経済の均衡的発展に貢献したことは事実であるが、金融面から投資意欲の盛り上がりを抑えきるほど強い引締めではなく、通貨供給面にも大きな圧力は加わらなかった。もともと予防政策の性質上その程度でよかったのであるが、それにとどまることができたのは他の条件に恵まれたからである。

 実物経済面において、供給増加のための余力があり、海外物価も安定していたことなど、企業の投資態度を落ち着かせる要因があったことは別項で述べる通りである。

 金融面の条件としては景気回復の初期に31年度のような金融の超緩慢がみられず、34年度のはじめ、日銀貸し出しはなお3千億円を残しており、これが貸し出しを抑制させる効果をもった。さらに個人貯蓄のうち銀行以外に流れる部分の比重が増したことも銀行の信用創造を過大ならしめなかった一つの条件であった。


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