昭和33年

年次経済報告

―景気循環の復活―

経済企画庁


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各論

金融

金融引締政策への転換とその役割

景気局面の変化と金融政策

 昭和30年以降金融情勢は緩慢から小締り、さらに繁忙へと景気局面の推移に対応して極めて典型的な基調の変化をみせ、32年5月以降の引締政策によってついに異常な逼迫状態を呈するに至った。しかしやがて景気が下降局面に入るとともに徐々に緩和の方向に向っている。

投資ブームの誘因としての金融の役割

 30年から31年にかけて金融は緩慢であった。これは景気の回復と上昇の局面に特有の現象でもあるが、当時大幅の輸出超過によって、財政資金の支払超過がもたらされたことが、それを一層はなはだしくした。銀行では資金的なゆとりが大きくなり、日銀借入を返済して余りがあった。かくて政府短期証券の売却による過剰資金の吸収がはかられたが、必ずしも十分でなかったこともあって、銀行はなるべく採算上有利な貸出に資金を向けようと努めた。従って企業は必要な資金をいつでも銀行から借りられるというあてがあったうえ、売上や回収の見込もよかったから、手持資金の枠を省みずに設備や原材料の注文を発した。

 このように銀行借入が容易な状況にあったことは企業が投資を決意するうえに大きな影響を与えたが、企業の投資意欲が燃え上っていったのは、もちろん金融面の要因だけによるのではない。まず戦後の引き続く市場の拡大によって投資をすれば必ず有利に報いられるという経験があった。次に海外景気は上昇を続け市場の一層の拡大を約束するようにみえた。また国内でも政府は積極的に経済の拡大をはかっていた。そこで企業としては合理化によって、企業間の競争に打ち勝つことが自己を伸ばす途と考えた。技術革新の意欲も特にこうした局面で盛り上がったといえよう。

 このようにして物的な投資が増え、銀行がこれに貸し応じていったこと(企業の投資と資金調達については 第118図 参照)が31年度後半に金融を次第に繁忙化させる基本的な要因となった。

第118図 企業の投資と資金調達

金融の繁忙化と調整機能の弱さ

 金融の繁忙化は右のように投資ブームの中から自動的に生じたのであるが、その過程で賃金支払や小口取引きのための現金需要が増加したこと、また輸入増加に基づく国際収支面の支払超過から外為会計の引揚超過が生じたこと、さらに経済の拡大によって税収が著増を示したことは金融市場から資金を流出させ、金融市場における資金の需給を逼迫させる効果をもった。これに対し金融機関は健全金融の建前からすれば流動性維持のために貸出しを抑制すべきはずであった。だが31年度には自動的に貸出しが抑制されることなく、銀行は企業の投資意欲に追随して資金の供給を行った。この場合不足資金は日銀借入に依存しなければならなかったが、引締政策に転ずるまでは、日銀依存は格別抑えられなかった。

 こうして一方に多額の財政資金の引揚があったとはいえ、オーバー・ローンの形で資金供給が続けられ、そのうえ31年10月のスエズ動乱による思惑的な在庫手当や設備の駆け込み増設などの特殊な要因も作用し、また隘路打開のための投資も加わったため、32年に入って投資はむしろ加熱される勢いを示し、ついに輸入の激増を招き国際収支の危機をもたらし、その結果32年5月から本格的な引締政策への転換が必要となった。引締実施当時には在庫の増加、設備投資の進捗など、やがて不足から過剰への急速な転換をもたらす要因が生じていたが、企業の投資態度は自動的に弱気に変ったわけではなく、引締政策による異常な資金難が、企業の強気を挫いて景気の転換を引き起こす契機となった。

金融引締政策の内容と特徴

 32年度の引締政策は32年3月20日の公定歩合引上げ(1厘)引き続く5月8日の2厘の引上げによって開始された。そして引締政策は公定歩合の引上げのほか日銀の窓口規制、輸入金融の引締めを主な内容とし6月の国際収支改善のための緊急総合対策によってさらに補強された。引締めの内容は詳しくは 第101表 に示す通りだが、昭和28~9年の引締めに比べると次のような特徴がみられる。

第101表 金融引締政策の内容

 今回の金利政策は前回よりも正統的であった、前回は貸出抑制のため銀行の採算を圧迫する手段として、高率適用制度を強化することにより、日銀の貸出金利を実質的に引き上げる方法がとられたが、今回は公定歩合そのものが引き上げられた。また従来は市中貸出金利を据置いたが今回は臨時金利調整法による市中貸出金利の最高限度を引き上げ、企業の金利負担を増大させ資金需要の鈍化をはかることも行われた。今回の金利政策がこのように正統的であったことはそれだけ金利政策の効果を強力ならしめた。とはいえ金利コストの引上げによって直ちに資金需要を鈍化させることは困難であったから、実際の引締めは次に述べる日銀の窓口規制によるところ大であった。

 32年度の貸出抑制措置は前回に比べてはるかに強力なものであった。日銀は強力な窓口規制によって毎月各銀行の貸出枠を申出額よりはるかに低く抑え、しかも貸出純増を認めない月が多かった。従って都市銀行は窓口規制と旺盛な資金需要との板挟みに苦しみ、この結果含み貸出しが行われたわけであるが、日銀がこのような強力な態度に出たことが結局は引締めの効果を早めた。

 また今回は引締手段が集中的にとられた。前回は28年10月、29年1月、3月と3回にわたって引締政策が次第に強化されたが、32年度においては5月から6月はじめにかけて集中し、引締体制は急速に整えられた。ただ金融引締政策が短期に効果を発現できるという観点もあって長期金利は7月まで据置かれた。


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