昭和33年

年次経済報告

―景気循環の復活―

経済企画庁


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総説

景気後退のメカニズム

急激な景気転換とその特色

 世の中の多くの人々は、昨年以来の急激な景気転換について、おそらく次のような疑問を抱いているのではないだろうか。神武景気は何故急速に潰え去ったのか、輸入は何故激減して、しかも経済活動に支障がないのか。以下報告書は右のような世人の疑問に一つ一つ答えてゆきたい。

 誠に景気転換のスピードが意想外に速やかであったことは、昨年以来の経済動向の第一の特色である。それは昭和28年の10月にスタートした前回のデフレと比べてみても明らかであろう。 第1図 に示すように引締政策開始から物価、生産、国際収支等に転機が現れるまでの期間はいずれも今回の方が数カ月短縮されている。我が国の引締政策の効果の速やかさは、海外諸国と比較した場合に一層顕著である。例えば、イギリス、西ドイツなどは、投資景気の過熱を恐れて1955年(昭和30年)春から金融を中心とする引締政策をとった。しかしその効果が投資抑制、国際収支改善となって現れたのはようやく1年半後の56年末である。しかるに我が国においては引締後1~2カ月にして転換の相が明らかとなり、現在に至るまでわずか1年ほどの間に、ピークの地点から生産は1割、物価は1割1分、輸入は4割の低落を示し、その下落率は図に示す通り1953~4年以来の経済変動の国際比較において、いずれも世界一である。すなわち世界各国においては、ブームの登り坂の麓の頃から用心し始めて抑制策を講じ、その効果も徐々に現れ、ブームの山をあまりに高くすることを避け、その後の谷の深まりも併せて防止している。しかるに我が国は神武景気の山をいやがうえにも盛りたて、そこで抑制策をとり、その後は急速に景気が下降するという、いわば濃縮された景気循環のコースをとっているのである。従って、景気下降の速やかさは、後に詳しく説明する通り、引締政策が28~9年と比べて一段と厳しいものであったことにもよるが、引締政策をとったのが景気の爛熟期であったこと、あるいは引締以前に経済の実体の中に下降を促す要因が部分的ながら醸しだされていたことに基づくものである。

第1図 29年との対比(生産・物価・輸入)

 反落要因となった最大のものは、引締以前における在庫の仕入れ過ぎである。過大な在庫蓄積は急激な反動をもたらし、現在までの景気下降がほとんど在庫投資の崩落によってもたらされているといっても過言でない。その意味で今回の景気変動の第二の特色を、在庫調整による景気後退(インベントリー・リセッション)と名づけることができるであろう。そもそも一国経済の生産する物資、サービスに対する購買力は次の四種に分類される。すなわち個人消費、中央及び地方財政の購買力、輸出及び民間投資がこれである。民間投資はさらにこれを細分して、住宅建築、設備投資及び在庫投資に分けるのが普通である。これらの購買力のうち、在庫投資以外の需要においては物資、サービスが、その場面において「消費」されるが、在庫投資はやや趣きを異にする。すなわち、ちょうど貯水池のように一時品物をストックしておいて、また吐きだし、実際の「消費」はほかの部面に流れていってから行われるわけだ。

 そこで在庫投資を区別して、それ以外の有効需要を最終需要と名づけよう。32年前半についてみると 第3図 に示す通り、最終需要はなお上りカーブを続けていた。しかし在庫投資の増勢はさらにはなはだしく、そのための資金の大半は銀行借入れによって賄われていたから、金融引締めが在庫投資による経済の膨張に終止符をうった事情は想像にかたくないであろう。32年4~6月期から10~12月期までに総需要は9%、年率にして約1兆1,000億円急減しているが、その急減のほとんど全部は在庫投資の減少によって生じており、最終需要は減退していない。引締直後において在庫投資が惰性でなお高水準を保っていた時期には、企業者は商品が売れるのに金融だけ厳しく引き締められ、決済資金にこと欠くように感じていた。いわゆる「黒字倒産」という言葉が生れたゆえんである。在庫投資が急激に縮小するとともに、それ以前の在庫蓄積のテンポが大きかっただけに、在庫投資減少による総需要縮小の幅も意想外に大きく、企業者は金融が締められるから苦しいというより、むしろ売れ行きの減退、市況の悪化、滞貨の累積を憂うるようになった。すなわち金融引締めによる抑制からデフレの自動進行への推移が現れたのである。企業者は需要の縮小に対処するために操業短縮を行うことを余儀なくされた。戦前の日本経済ならば、生産水準の大幅な低下は失業の発生、デフレの農村への波及を通じて個人消費を減退させ、最終需要を引き下げる結果をもたらしたであろう。しかるに今回のデフレにおいては最終需要はそう下がっていない。33年3月以降、物価の下げ足鈍化、滞貨減退のいわゆるナベ底状態に達することができたのも、かかるインベントリー・リセッションの特色に基づくものと思われる。

第3図 総需要の内訳

 今回の景気後退の第三の特色は、前述のような経済指標の激落にもかかわらず、社会的な影響が今までのところは比較的軽微にすんでいることである。完全失業者や、失業保険を受けている者の数、不渡手形の発生件数、企業整備、倒産の件数等はまだ29年のときほど悪化を示していない。

 景気降下がはなはだしかったのに、なぜその労働面や中小企業に対する影響が予想されたほど甚大でなかったのであろうか。神武景気のほとぼりがまだ残っており、また過去2年ほど続いた好景気によって経営基盤が強化し、不況に対する耐久力が強くなっていたことも事実であろう。例えば、中小企業は29年の経験にこりて、その収益をことごとく設備機械に固定化することを避け、預金その他の流動資産として保有していたようである。しかしこれらの事情の背景にあって、前に述べた最終需要の強さが中小企業や労働面への影響を比較的軽微に食い止める大きな力となったことを指摘しておかねばならない。すなわち設備投資はなお高水準を維持しており、機械工業の操業度はまだかなり高い。神武景気のときに製造工業のうちで最も労働力を吸収したのは機械工業であった。また機械工業は下請、加工その他のつながりで中小企業の比重が大きい。そこで、機械工業の生産が高水準を保っていることは、労働面、中小企業へのデフレの波及を防止するに役立っていると思われる。さらに、最終需要としての消費も、今までのところは比較的堅調だ。中小企業は大企業に比して消費に近い部門で経営を営んでいるものが多い。従って、消費の堅調は中小企業の窮迫を食い止めるのにあずかって力があるに違いない。

 以上述べたように、32年来の我が国の景気下降は生産、物価、国際収支など経済主要指標には激変があったものの、それは主として在庫変動に基づいており、社会的の影響も今までのところは軽微であって、いわば「筋肉に切込まずに脂肪を取り、しかも出血の少ない」景気後退であるということができるであろう。しかし、神武以来とまでいわれた景気の山の反動調整がこの程度の後退ですむのであろうか、仮にすむとしてもナベ底の継続は社会的影響を累積しないであろうか。以下経済の主要部面ごとに景気変動のメカニズムを分析し、循環の現局面における問題点を検討することとしたい。

第2図 1953~54年来の経済変動率の国際比較


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