昭和31年

年次経済報告

 

経済企画庁


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財政

財政需要と財政負担

今後増大する財政需要

 今日の財政が国民経済のなかに占める役割は、一般会計並びに財政投融資の作用を通じて戦前と比較にならぬほど高まっている。そして財政の役割が拡大するに伴ってその規模は膨張し、財政需要はさらに一層増大する傾向にあるから、財政支出の効率的運用がますます重要になってくる。しかも増大する財政需要の財源は、結局のところ国民の租税負担の加重となってはね返ってくるのだから、この点からも効率的運用を十分に考える必要があろう。

 いま一般会計の関係で、その主なものを挙げてみると、

 (1)防衛関係費 我が国の自主的防衛体制確率のために防衛力漸増方式がとられているが、近代兵器や技術に要する費用は膨大なものである。例えば自衛官一人当たりの金額をみても(第75表参照)、31年度には維持費の多くかかる艦艇、航空機の増加から海上自衛官は4万7,000円増、航空自衛官は13万2,000円増となっている。

第75表 自衛官一人当たりの金額

 また防衛関係費全体としても、防衛支出金の削減以上に防衛庁費が増えたことから80億円増加し、その他に31年度には国庫債務負担行為が143億円、継続費(潜水艦建造)37億円がある。これはここ2、3年の支出増を義務づけるものである。人員の増加、兵器の強化と相まって増大する防衛費を経済力といかに調和させるかは今後の大きな問題である。

 (2)社会保障費 生活保護、社会保険、結核対策、児童保護など国が面倒をみる必要のある経費は、人口の自然増加とも相まって、需要が増加する一方である。また失業対策も財政上の大きな問題となっている。これらと関連して問題となるのは軍人恩給を含めた恩給費である。旧軍人恩給と文官恩給との合計額は31年度には30年度より50億円見当増えて900億円にも達せんとしている。ことに旧軍人恩給にはその適用範囲の拡大ないし、基礎ベース引上げが要望されているので、恩給費全体が1,000億円を突破するのも間近いことである。

 (3)地方財政費 後述のように地方財政は30年度を境として健全化の方向に向かうものと思われるが、地方交付税率は30年度から実質上3%の引上げとなった。従来とかく地方財政の膨張が国にはね返って平衡交付金の増大なり、交付税率の引上げとなった。しかもさらにこれを引き上げようとする気運は依然として強い。

 (4)公共事業費 30年度には大災害がなかったことや補正財源として削減されたことなどから前年度以下となったが、食糧増産や治山治水事業に対する需要は依然として強い。例えば河川改修は現在の予算ベースでゆけば完成までに26年、港湾整備は8年、漁港整備は11年も要することとなる。しかし膨大な需要に全て応ずるわけにもいかないから、工事の重点化効率化を図ることが特に必要になる。

 (5)賠償関係 これらの経費は31年度から特別会計で処理されることになったが、ビルマ賠償(年度平均72億円)の他、フィリピン賠償も締結されたし、インドネシア賠償も交渉が間近いであろう。その他外債関係や米国の対日援助費の支払いなど財政需要が多い。これらは国債信用に関係するだけに支払いを進めることは望ましいが、他方には国民経済力と外貨事情という大きな制約もある。

 以上主として一般会計関係の主要なものを拾ってみても、財政需要は増大する一方である。しかし、これに全て応ずることは難しいであろう。一つには財政規模の膨張が、国民経済の基調に及ぼす影響から、いま一つは現在の租税負担の限界から二つの壁につき当たることになるからである。

財政負担の限界

 かように財政需要が増大する反面に、財源面では租税に依存している結果、租税負担の現状は極めて重いものになっている。従って、今後さらに増大する財政需要に応じて国民所得の伸長率以上に財政規模を拡大し、その財源を租税の増徴に求めることはかなり難しいことであろう。

 そこで現在の租税負担がどの位の重さか、さらにどうして重くなったかを中心にして、主として戦前との比較において検討してみよう。

 まずどの位重いかを国民所得に対する比率でみると、戦前(昭和9~11年)においては国税のみで8.5%、地方税を合わせると12.9%であったものが、30年では24年以降低減したとはいうものの国税で13.9%、地方税をも合わせると19.3%と依然相当に高い比率である。またこれを国民一人当たりの租税負担額でみると、戦前は国税、地方税合わせて27円であったものが、30年には14,424円になっている。これを物価上昇率で修正しても1.8倍見当の負担である。他方この間の一人当たりの実質国民所得の増加率は約1.2倍で、実質租税負担の増加率以下であるから、名実ともに租税負担は重くなっているといえよう。

 それではどうして戦前より重くなったのであろうか、この点を税収中の大宗あり、しかも我々の身近に感ずる所得税について説明しよう。

 第一は、先に「歳入」のところで戦前比較をして述べたように、戦前には公債及び借入金収入が相当のウエイトを占めていたのに対して、戦後はこれが全然なくなったので租税のウエイトが急激に上昇する結果になった。

 第二は、増加した租税のうちでも戦前(昭和9~11年)は直接税と間接税の割合が34.8%対57.1%であったのが、30年には51.4%対45.7%と直接税の地位が上昇しこれにつれて所得税のウエイトが戦前以上に高まっている( 第71表 参照)。

第71表 租税体系の変遷

 第三は、戦争によって国全体が貧乏になったのに加えて、戦後の猛烈なインフレによる貨幣財産の減価、戦災による財産の喪失、財産税の徴収、農地改革などによって、所得税の納税者についてみると 第66図 に示すごとく、戦前のような高額所得者層が減少し、所得の分布状態が戦前に比べて平準化したためである。

第66図 個人所得累積分布曲線

 その結果は、第一に、納税者総数の増加となって現れている。すなわち、現在の所得税にほぼ相当する昭和10年の第三種所得税でみると、納税人員は全体で68万人であったから約100人につき1人の割合で税金を納めていたのが30年には1075万人と8人に1人は税金を納めるようになった。

 しかも第二に、この納税者数の増加は、高額所得階層が減少したことから当然に低額所得者層への課税を招くことになった。いま物価水準で修正して、昭和10年と29年とを比較してみると 第76表 にみるごとく戦前では非課税に該当する範囲が、29年には納税人員で全体の71%、所得金額で51%、税額では23%となっている。これをみても今日の所得税がいかに一般的であるかがわかる。

第76表 階級別所得税負担分布の戦前戦後の比較

 以上は主として所得税についてみたが租税負担が重くなったことは法人税や間接税についてもいえることである。特に直接税についてはシャウプ税制勧告によって非常に重くなり、我が国情に合わぬ点もあるため27年以降直接税体系から徐々に間接税体系に移行しながら減税が実施されてきた。それにしても前述のように今日の租税負担が非常に重く、従ってまた増税の余地がいかに乏しいかが明らかであろう。もちろん公債の発行がいかなる場合にも好ましくないわけではないが、増大する財政需要に対して安易に公債や借入金にその財源を求めることはインフレを招く危険もある。従って国民経済の安定的成長を図るためには、そのときどきの経済状態に対応し、(イ)財政規模、(ロ)財政支出の内容、(ハ)財政資金の使い方を総合的に考えて、経済基調を調整するように財政のあり方を決める必要があろう。


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