第2節 円高の企業活動への影響

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前節では、今回の円高はいかなる意味で厳しいかという論点に関し、輸出環境、景気動向、韓国との競合関係を含めて検討した。ここでは、より直接的に、円高が企業活動にどのように影響を及ぼすのかを過去のデータから確認する。最初に、マクロ的な影響を概観した後、企業活動の様々な側面について業種別に検討しよう。

1 国際比較から見た為替レート増価の影響

我が国では、しばしば円高に対して株価やマインド関連指標が敏感に反応する。これは、マーケットや企業・家計が我が国経済の円高に対する脆弱さを強く認識していることを示している。しかし、自国通貨の増価が少なくとも短期的には景気にマイナスの影響を及ぼすのは、我が国だけでなく、どの国でも共通して観察される現象である。そこで、ここでは自国通貨高の株価やマクロ経済への影響について、国際比較の視点から整理しておこう。

(我が国以外でも見られる自国通貨高に伴う株安)

前述のとおり、2000年代においては、円は「逃避通貨」としての側面が目立ち、景気の先行き不透明感が増したときに円高になるケースが多かった。したがって、世界的な株価下落があると、円高になりやりやすいともいえる。一方で、円高が生ずると、実体経済面への悪影響が懸念され、輸出関連株を中心に日本株が軟調となるケースも多い。こうした現象は日本に特有なものなのかを調べてみよう。具体的には、先進国の株価をアメリカの株価と自国の名目実効為替レートで説明する式を推計し、為替レートの影響(為替レート弾性値)を抽出する。各国の株価がアメリカの株価と連動する部分を取り除くことで、各国独自の株価の変動と為替レートとの関係が明らかになる(第2-2-1図)。

その結果によれば、2000年代においては、我が国だけでなく、主要な先進国で自国通貨高は株価を下押しする方向に働くことが分かる。我が国の株価の為替レート弾性値は比較的小さい。図には示していないが、OECD諸国のうち自国通貨高が株価押上げに寄与しているのは東欧の一部の国とアイスランドだけである。また、資源輸出国では効果なしが目立った。一方、90年代については、ドイツ、フランスでは弾性値がユーロ導入後の2000年代より大きかったが、我が国では統計的には為替レートが株価に影響しないことが分かった。

以上から、我が国において自国通貨高の株価押下げ効果が特に大きいとはいえず、むしろ(資源国以外の)輸出依存度が高い国で効果が大きくなりやすいといえよう。

(OECDのマクロモデルでは自国通貨高のGDPへの影響は日米欧で類似)

為替レート変動のGDPへの影響は、マクロ計量モデルによるシミュレーション結果を基に議論されることが多い。ここでは、OECDの「新グローバルモデル」に基づいて国際比較をしてみよう3第2-2-2図)。このモデルは、日本、アメリカ、ユーロ圏、中国のほか、いくつかの国・グループからなり、これらが国際貿易等を通じて結び付けられている。

同モデルによれば、自国通貨の増価がGDPに及ぼす効果は、日本、アメリカ、ユーロ圏のいずれの場合でも当然予想されたようにマイナスとなっている。ただし、1年目のGDP押下げ効果を比べると、ユーロ圏、日本、アメリカの順に大きく、輸出依存度の大小などによる違いが表れている。また、アメリカは効果の減衰が速く、日欧では効果がより持続的である。こうした違いの背景としては、アメリカにおける経済の調整スピードの速さ、物価下落による消費押上げ効果(資産効果)の大きさなどが挙げられている。

以上の結果からは、我が国だけ突出して自国通貨の増価に弱いわけではないことが分かる。もっとも、このモデルでは金利が標準的なテーラールールに従うとされており、自国通貨高に対しては持続的な金利引き下げがなされる。この点で我が国の現状を分析するツールとしては限界があり、解釈に当たっては注意が必要である。

2 業種別分析-株価、マインドへの影響

「円高にはメリットもある」というとき、しばしば業種別の影響の違いが念頭に置かれる。素材型の製造業や非製造業の一部では、輸入コストの低下による収益へのプラスの効果が指摘される。株式市場においては、内需型の業種は円高の際に逆に買われるという動きも報道されている。そこで、以下では円高の企業への影響を業種別に分析する。まず、株価、企業マインド面への影響から始めよう。

(輸出比率の高い業種で大きい株価への影響)

まず、株価への影響を調べよう。業種別の違いを抽出するため、各業種の株価の変動率とTOPIXの変動率の差を、実効為替レートでどの程度説明できるかを比較する(第2-2-3図)。

その結果からは、90年代、2000年代を通じて、加工組立型の業種を中心に、円高が株価の押下げに働くことが確認できる。その他の業種では、2000年代ではガラス・土石製品や非鉄金属で円高のマイナス効果が検出された。一方、2000年代では食料品や医薬品、90年代では石油・石炭で、逆にプラス効果が表れている。

このような業種別の差は、売上高輸出比率の大小でおおむね説明ができる。上記のように、加工組立型の業種で円高のマイナス効果が目立つが、これらはいずれも輸出比率が高い業種である。さらに、加工組立型の中での株価の為替感応度を比べると、2000年代については精密機器、輸送用機器、電気機器、一般機械の順になるが、これはちょうど輸出比率が高い順でもある4。株価の為替感応度がプラスの食料品や石油・石炭では、輸出比率は極めて低い。

ところで、最近では「海外生産が進んでいるため為替リスクに対する抵抗力は高まっている」との意見も耳にする。しかし、株価の為替感応度を見る限り、90年代より2000年代の方が幾分高まっている。また、海外生産比率が顕著に高まっているのは加工組立型、特に電気機器、輸送用機器、精密機器であるが、これらの業種の株価が円高に弱いことを考えると、海外生産の拡大は為替リスクの分散化には不十分か、少なくとも株式市場はその点を十分評価していないといえよう。

(円高は企業マインドの先行きに強く影響)

それでは、企業マインドへの影響はどうだろうか。日銀短観の業況判断DI(「良い」-「悪い」)を用いて、業種別の為替レートへの反応度合いを調べよう。具体的には、2000年代のデータに基づいて二通りの分析を行う。一つは、現状に関する業況判断の前期差が為替レートにどう反応するか、もう一つは、先行きに関する業況判断の前期差についての同様の推計である。為替レートとしては実質実効為替レートを用いた。また、為替レート以外の要因として経常利益(「法人企業統計季報」)の増減をコントロールした(第2-2-4図)。

現状に関する業況判断を用いると、自動車でマイナスの影響が検出されたほかは、総じて為替レートの変化に反応しない結果となった。円高の影響は収益の悪化として一部顕在化していると考えられるが、多くの業種ではこうした収益の悪化以上には現状の業況判断を悪化させなかったことになる。一方、先行きに関する業況判断を用いると、逆に多くの業種で円高がマインドを悪化させることが分かった。なかでも、鉄鋼、非鉄金属、金属製品、精密機械、自動車などで円高のマイナス効果が大きい。非製造業でも相対的に弱いもののマイナスの効果が検出された。なお、図には示していないが、プラスの効果が検出されたのは非製造業のうち電気・ガスだけである。

これらの結果をまとめると、円高の影響は現状よりも先行き懸念として表れること、輸出産業からの波及をおそれて多くの業種で悲観的となることが分かった。これは、我が国における円高の受け止められ方を端的に示しているといえよう。

3 業種別分析-企業の実体面への影響

業種別の円高の影響の分析として、次に、輸出、収益、設備投資といった実体面への影響に着目しよう。一般には、円高が続く場合、製造業を中心に輸出数量の減少、収益の悪化、さらには設備投資の抑制がもたらされる可能性があるが、業種による輸出依存度その他の条件によって結果は違ってくると考えられる。なお、業種のほか、企業規模による差異についても検討する。

(輸送用機器で特に高い輸出の為替感応度)

最初に輸出の為替レートに対する反応を調べよう。具体的には、業種別の輸出数量を世界景気(OECD景気先行指数、CLI)と実質実効為替レートで説明する単純な式を推計し、為替レートの弾性値を比較する(第2-2-5図)。

総じて見れば、円高が輸出数量を押し下げる効果は、90年代と比べて2000年代の方が高まっている。すなわち、2000年代においては、多くの業種で円高のマイナス効果が明確に表れている。その原因は、この分析からは明らかでないが、生産、消費の両面で新興国が台頭するなかで、我が国の輸出品が厳しい価格競争に巻き込まれる機会が多くなった可能性がある。また、輸送用機器で感応度が高く、かつ、高まっていることが分かる。輸送用機器の大部分を占める自動車は、基本的には消費財であり長期契約の部分が少ない。加えて、日米欧韓といった技術力の高い先進国がシェア争いにしのぎを削っており、為替レートの変動が競争の結果に影響しやすいのではないかと考えられる。前述の韓国ウォンに関する分析では、自動車の貿易特化指数には目立った動きはなかったが、2009年以降、アメリカで韓国車のシェア拡大が見られることなどから、為替レート変動の影響が実際に生じている可能性がある。すなわち、競合国の企業が通貨安により価格競争力を高めるなか、我が国企業は円高により現地通貨建て価格を維持するので精一杯の状況に陥るため、円高が輸出数量を押下げに働いたと推察される。また円高を受け、我が国企業が現地生産の比率を高めたことも考えられる。

しかし、業種別にやや仔細に見ると、逆に為替レートに対する感応度が低下、あるいはその符号が逆転した業種もある。一般機械と精密機器類がそれであり、これらの業種では、製品の高度化や汎用品等の現地生産化によって、日本からの輸出品が円高でもシェアを落としにくくなった可能性がある。なお、電気機器は一貫して円高のマイナス効果が見られない。我が国の輸出品としては、電気機器では電子部品・デバイスなどが多いが、これらは需給の状況に応じてそれ自身の価格が大きく変動する特性を持つため、為替レートの影響が相対的に小さいと考えられる。

(円高による経常利益押下げは中堅企業で顕著)

次は、企業収益への影響である。ここでは、日銀短観の企業規模別データを用いて、想定為替レートと実際の為替レートの差が、経常利益修正率に与える影響を推計した。その際、国内需給DIの変化によって、為替レート以外の市場環境をコントロールした(第2-2-6図)。なお、業種別の分析も試みたが、明確な結果は得られなかった。

結果を見ると、いずれの規模においても、想定為替レートから実際の為替レートが円高方向に振れた場合は、これが経常利益の押下げに働いている。その大きさは、円ドルレートの1円の差が全規模ベースの利益を0.3%減少させる程度となっている。このことから、企業の収益計画を見る場合、想定為替レートの実勢からのかい離に注意すべきことが分かる。

規模別の感応度については、大企業及び中小企業において円高に振れる場合の経常利益に与える影響が、中堅企業と比べて小さい結果となった。これは、大企業については、為替レートの変動は輸出等を通じて影響を及ぼすが、現地生産比率の引上げや為替の先物予約等による為替リスク対策が進んでいる一方、中小企業では内需型の企業が相対的に多く、全体として見たときに為替レート変動の影響を受けにくい面もあり、その中間の中堅企業において円高の影響を受けやすいものと考えられる。

(円高の設備投資への影響は加工組立型大企業では限定的)

円高が将来の企業収益の縮小を予見させるならば、設備投資にもマイナスの影響を及ぼす可能性がある。ただし、設備投資は中長期的な計画の下で実施されるため、一時的に円高に振れたからといって直ちに減少する性質のものではない。そこで、ここでの分析では年データを用い、設備投資計画額の前年比を、経常利益と実質実効為替レートそれぞれの前年比で説明する式を推計した。経常利益を加えているので、円高は将来の利益減少を予見する形で効果を発現すると考えている(第2-2-7図)。

その結果からは、円高が総じて設備投資を下押しする傾向が観察されるが、やや仔細に見ると、重要な例外が指摘できる。それは、精密機械及び電気機械の大企業・中小企業、さらには自動車の大企業では、設備投資が為替レートに反応しないか、反応したとしても弱い点である。前述の分析では、これらの業種では株価の為替感応度が高かった。また、輸送用機器では輸出の為替感応度が突出して高かった。しかしながら、加工組立型の大企業を中心に、株価や輸出の増減には一喜一憂せず、他の戦略的な観点から投資計画を立案していることを示唆しているといえよう。逆に、中小企業において設備投資への影響が大きい業種が目立っている。

もう一つ指摘できる点として、鉄鋼や紙・パルプのように円高で収益が改善するとされる業種でも、設備投資の下押し要因となり得ることがある。この点に関しては、円高が進むことで、加工組立型などの川下業種の業況悪化が想起され、設備投資の抑制に働くというメカニズムが考えられる。

(中小企業でも実質的な輸出比率では大企業並みの業種も)

輸出比率が相対的に低いはずの中小企業で、円高による設備投資への影響が大きいケースが多い点は不可解である。そこで、製造業について、大企業と中小企業で業種別の輸出依存度がどうなっているかを確認してみよう。データとしては、2005年と調査年次がやや古いが中小企業庁「規模別産業連関表」を用いる5第2-2-8図)。

まず、国内生産に対する輸出の比率を製造業の規模別に見ると、大企業が中小企業を約1割上回る結果となった。業種別に見ると、輸送機械、化学製品、鉄鋼など、大企業の輸出比率が中小企業を大きく上回る場合が多い。中小企業の輸出比率が大企業に近いのは、繊維製品などの一部業種にすぎない。

しかし、単純な輸出比率では、下請け関係等を媒介した輸出の影響を捉えられない。中小企業の製品が輸出型大企業への中間投入として販売される場合、円高による輸出へのマイナスの影響が間接的に作用することになる。こうした影響を把握するため、産業連関表の特徴を活かして、国内生産における、直接的な輸出額と間接的な輸出額(中間投入を通じて間接的に行われた輸出額)の合計額が占めるウエイトを調べてみよう。その結果を見ると、製造業全体で規模別に分けたときは依然として大企業で相対的に輸出比率が高い。しかし、業種別では、中小企業の輸出比率が大企業を超えるか、あるいは大企業と遜色ない水準に達しているケースが少なくない。特に、輸送機械では単純な輸出比率では大企業に大きく引き離されていたが、生産誘発額ベースの輸出比率では大企業を上回っている。

このように、中小企業も下請け関係等を通じて国際的な分業体制に組み込まれてきていることから、円高により大企業製品の輸出が下押しされる場合、経営に大きな影響が及んで設備投資の削減といった行動につながる可能性が示唆される。現在のように内外での厳しい価格競争に直面している状況下では、納品先の大企業からの値引き要請も強いことが推察され、円高の影響については特に注意が必要である。

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