第1節 景気回復における企業と家計の関係

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戦後最長となった前回の景気拡張局面においては、輸出の増加が企業部門の回復をもたらし、それが家計部門にも波及するというシナリオが描かれてきた。そのシナリオは、結果的には期待されたほどには実現せず、長期にわたる「実感なき景気回復」で終わっている。そこで、以下では、まず、過去において、そもそも「企業から家計への波及」を伴った景気回復が存在したのかどうかを検証する。また、「波及」経路において鍵を握ると思われる雇用情勢について、景気との関係を調べる。さらに、企業や家計の所得増がどの程度の需要増につながるかを分析することで、「波及」経路の違いが景気に及ぼす影響について考える。

1 企業から家計への波及の可能性

企業から家計への「波及」をデータによって把握するためには、企業、家計の所得や支出について、「先行」「遅行」関係を調べることが第一歩である。景気拡張局面において、家計関連の指標が企業関連の指標に「遅行」して改善しているならば、企業から家計への「波及」が生じている可能性があると考えることができる。

(過去3回の景気拡張局面では需要面での企業から家計への波及は見られず)

最初に、我が国における最近の景気拡張局面において、企業部門から家計部門への景気回復の「波及」があったかどうかを検証する。前回、すなわち2002年からの拡張局面では、家計への波及が十分ではなかったことがよく知られているが、この点をデータで確認するとともに、それ以前の2回の拡張局面ではどうだったのかを調べてみよう。具体的には、家計と企業がそれぞれ実質GDPの伸びにどの程度寄与したかを計算する。ここでは、需要項目のうち個人消費と民間住宅投資を家計、民間設備投資と輸出を企業とする。所得面では、雇用者報酬が家計、営業余剰が企業である。また、各拡張期間の最初の1年間を「前期」、残りの期間を「後期」としよう。前期と後期における各項目の動きを比較すると、以下のような特徴が指摘できる(第2-1-1図)。

第一に、需要面では、93年10-12月期~94年7-9月期を除いて、家計の寄与度はほぼ同じ大きさである。前期と後期を比べると、第12循環では前期の寄与のほうが大きく、第13、14循環では前期と後期で変化がない。したがって、この限りにおいては、家計は「遅行」していない。なお、家計の寄与の大部分は個人消費である。一方、設備投資は後期の寄与が前期より大きく、その立ち上がりは比較的遅いことが分かる。

第二に、所得面では、雇用者報酬は前期にマイナス、後期にプラスの寄与となっており、遅い立ち上がりを示す。これに対し、営業余剰は前期の寄与が大きく、後期は寄与が縮小、場合によってはマイナスになっている。

第三に、所得面をさらに詳しく見ると、前期の営業余剰の寄与度が、後期の雇用者報酬の寄与度とほぼ同程度である。前期で企業部門の所得が伸びれば、後期にはそれが家計部門の所得の伸びにつながる形になっており、所得面での企業から家計への「波及」が観察される。

以上の分析から、所得面では企業から家計への景気回復の「波及」があったと考えられるが、需要面ではそうした関係は見られなかったことが分かる。また、直近の2002年からの拡張局面で所得面での「波及」が弱かったように見えたのは、そもそもその前期に営業余剰が伸びなかったことも影響していると考えられる1

(可処分所得の増加と消費性向の安定が回復初期の個人消費増加の背景)

それでは、所得面での波及が、なぜ需要面では切断されたのだろうか。いいかえれば、雇用者報酬の動きと個人消費の動きがなぜかい離したのだろうか。このかい離を埋める要因として、可処分所得と平均消費性向が考えられる。それらの動きを調べてみよう(第2-1-2図)。

まず、可処分所得については、94年、99年、2002年のいずれにおいても、前年と比べて増加を示している。これは、それぞれ、特別減税、地域振興券、郵貯定額貯金の大量満期による所得税増収の反動2などの要因が、雇用者報酬の落ち込みをカバーしたためと考えられる。

一方、平均消費性向は、これらの年にはほぼ横ばいとなっている。通常、平均消費性向は、可処分所得の増加が一時的と認識される場合、低下すると考えられる。にもかかわらず横ばい圏内にとどまった背景として、高齢化による長期的な上昇トレンドがあるなかで、株価等の持ち直しに伴う資産効果が働いたことが指摘3できよう。

このように、過去3回の景気拡張局面では、前期において雇用者報酬が落ち込んだものの、減税等により可処分所得はむしろ増加し、資産効果等を背景に平均消費性向が維持されたことで、個人消費が増加したことが分かった。これが、雇用情勢の改善が生産の回復に遅行したにもかかわらず、景気が回復できた要因であるともいえるが、結果として後期に個人消費など需要面での家計の経済活動が活発になるという「波及」は見られなかった可能性がある。もっとも、需要面で「波及」が見られないのは後述のとおり先進各国で共通の現象である。

(企業から家計への「波及」は他の先進国でも所得面だけの現象)

次に、日本以外の先進国における「企業から家計への波及」の様子を調べてみよう。ここでは、アメリカ、英国、フランスについて、過去3回(アメリカは過去2回)の景気拡張局面における家計、企業の平均的な寄与度を日本の場合と比べる4こととする(第2-1-3図)。このような比較から、以下のような特徴を見出すことができる。

第一に、需要面では、いずれの国でも、後期に入ってから家計の寄与が目立って高まることはない。前期と後期で家計の寄与はほぼ同じか、あるいはアメリカのように前期のほうが大きい。したがって、需要面では家計への「波及」は観察されない。なお、アメリカでは前期に住宅投資の寄与が大きいのが特徴である。一方、設備投資はいずれの国でも後期に寄与が高まり、「遅行」性が明瞭である。

第二に、所得面では、いずれの国でも、日本で観察されたような企業から家計への「波及」が見られる。すなわち、雇用者報酬は前期の寄与より後期の寄与が大きく、かつ、前期の営業余剰の寄与が大きい国ほど後期の雇用者報酬の寄与も大きい。

第三に、前期、後期のいずれにおいても、日本における営業余剰、雇用者報酬の寄与は他の3か国と比べて小さい。

これらの結論は、日本について過去3回の拡張局面を調べたときと基本的には同じである。すなわち、企業から家計への景気回復の「波及」は、所得面だけの現象であり、需要面では個人消費の伸びが安定しているため観察されない。また、日本にとって問題なのは、景気拡張の前期における営業余剰の寄与がそもそも小さかったことである。その原因はここでの分析の範囲を超えるが、過去3回の局面についていえば、バブル崩壊の後遺症が様々な形で影響した結果である可能性が高い。

2 景気回復と雇用情勢

以上で、景気拡張局面における企業から家計への「波及」と雇用者報酬の「遅行性」が明らかとなった。ここでは、特にこの雇用者報酬の「遅行性」の背景に想定される、雇用情勢の改善の「遅行性」について考えてみよう。

(日本の特徴は景気拡張局面を通じた実質賃金の弱さ)

まず、日本について、実質雇用者報酬の伸びを雇用者数と1人当たり実質賃金の寄与に分けてみよう(第2-1-4図)。過去3回の景気拡張局面の前期に着目すると、雇用者数、実 質賃金ともにマイナス寄与、あるいはプラスの場合も寄与は小さい。一方、後期については、雇用者数のプラス寄与が大部分を占め、実質賃金は小さなプラス、又はマイナス寄与となっている。全体として、雇用者数が後期に伸びることで雇用者報酬が回復する、というパターンが共通して観察される。

次に、他の主要国について、過去の平均的なパターンを日本の場合と比べてみよう。前期においては、日本と違って雇用者数が増加する国が多い。例外はドイツであり、日本よりも雇用者数のマイナス寄与が大きい。実質賃金はプラス寄与の国が多いが、アメリカではマイナス寄与となっている。一方、後期においては、いずれの国でも雇用者数が大きくプラスに寄与している。日本との違いは実質賃金の寄与であり、ドイツ以外はプラスとなっている。全体として、日本の特徴は景気拡張局面を通じた実質賃金の弱さという点に見出せる。

(主要国で失業率は景気の谷に対しては遅行)

これまでの分析では、日本を含めいずれの主要国においても、雇用者報酬の動きは景気拡張局面の中では「遅行」していることが分かった。それでは、雇用情勢の厳しさを端的に示す失業率についても、同じことがいえるのだろうか。日本では、失業率が景気に対して「遅行」することが良く知られているが、諸外国ではどうだろうか。まず、日、米、独の3か国について、失業率の動きを景気の「一致」指標である鉱工業生産の動きと対比しながら調べてみよう(第2-1-5図)。

第一に、日本については、予想どおり、失業率の改善は景気の谷に対して遅行している。ただし、やや仔細に見ると、景気拡張局面に入ると、失業率は高止まりするものの、明確な上昇トレンドが続くことは少ない。過去3回の景気の谷のあと少なくとも1年間は、いずれも失業率が横ばい圏内で推移している。第12循環の拡張局面では、95年から再び上昇トレンドが見られるが、これは円高により生産が足踏みとなり、景気が踊り場局面に入ったため である。

第二に、アメリカについても、過去2回の拡張局面では、失業率は遅行している。しかも、 日本では谷のあと失業率が横ばいであったのに対し、アメリカでは上昇トレンドが1年程度続いた。「ジョブレスリカバリー」といわれる所以である。もっとも、75年や83年には失業率が景気回復とともに速やかに低下している点には留意が必要である。一方、景気の山に 対しては、失業率は一致ないし先行している。

第三に、ドイツでは、93年、2004年の景気拡張局面で、いずれも失業率が上昇を続けている。したがって、失業率の遅行性は明瞭である。99年には低下しているが、その直前の後退局面が短くかつ軽微で、踊り場というべき局面だったことを考えると、重要な例外とはいえないだろう。

以上をまとめると、3か国のいずれにおいても、最近は景気の谷に対して失業率の改善は遅行している。ただし、日本では改善が遅れるだけであって、上昇トレンドは見られない点にも注意が必要である。

(解雇規制の厳しい国ほど失業率の平均的な遅行性が顕著)

このように、アメリカでさえも、最近は失業率が景気の谷に対して遅行することが分かった。ただし、景気の山に対しては一致ないし先行すること、谷に対しても遅行しなかった局面があることには注意が必要である。長期にわたって生産と失業率との関係を振り返ると、平均的には一致して動いていると考えることができる。

それでは、こうした平均的な失業率と生産の一致・遅行関係は、各国の労働市場のどのような特性で決まるのだろうか。失業率が生産の動きに対して遅行するとすれば、それは、解雇や採用に時間がかかるからだと考えられる。一般に、雇用に対する保護の度合いが高い労働市場では、解雇や採用が生産の変動に合わせて柔軟に行われにくいであろう。そこで、OECD諸国について、雇用保護指標(EPL)と失業率の生産に対する遅行性(時差相関係数)の関係を確認してみよう(第2-1-6図)。

ここから次のようなことがいえる。第一に、雇用保護の強さと雇用の遅行性の間には一定の正の関係が認められる。すなわち、雇用保護規制が高い国ほど、失業が景気に遅行する度合いも大きい。第二に、予想されたことではあるが、アメリカや英国といったアングロサクソン諸国では、雇用保護の度合いも低いが遅行関係も短い図の左下のグループを形成している。これに対し、ドイツやフランスといった大陸欧州諸国は雇用保護が強く、雇用の遅行性も高い右上のグループを形成している。第三に、日本はおおむね中ほどに位置しており、雇用保護も雇用の遅行性もおおむね両者の中間にある。

3 経済主体別の所得と支出の関係

景気回復が当初は輸出主導の場合、企業の所得形成がまずなされ、それが家計に「波及」することが待望される。しかし、それ以外のシナリオも考えられる。本節の冒頭で見た日本の経験では、雇用情勢が厳しい拡張局面の前期に、可処分所得の増加による下支えがなされていた。アメリカのように、住宅投資を起点とする回復シナリオもありうるだろう。ただ、いずれの場合も、どこかで所得が増加し、それが支出増となって経済全体への「波及」が始まる点は共通である。そこで以下では、所得の増加があった場合、それがどの程度支出増につながるかを経済主体別に調べよう。

(マクロ計量モデルによる個人所得税と法人所得税の減税効果)

まず、家計と企業間で、同額の所得増加が生じた場合、そのマクロ的な効果の違いを減税の場合を例にとって確認しておこう。

ここでは、内閣府経済社会総合研究所が作成・運用している「短期日本経済マクロ計量モデル」を用いて、法人税減税と所得税減税を行った際の実質GDPの押し上げ効果の差を見ることとする(第2-1-7図)。その結果によれば、1年目は法人税減税の効果のほうが相当程度大きい。しかし、2年目、3年目になると、依然として法人税減税の効果がやや大きいものの、個人所得税減税との差はかなり小さくなる。

こうした差が生ずる背景は何だろうか。このモデルでは、法人税減税は、資本コスト(資本調達の際に要求される収益率)を引き下げることで設備投資を増加させ、それが経済全体に波及してGDPを押し上げる。一方、このモデルにおける家計は、一時的な変動を除いた恒常的な所得に基づいて支出額を決定するため、当該期の家計可処分所得が増加するほどには消費支出は拡大しない。そのため、経済全体への波及も遅れることになる。

ただし、こうした結果はモデルの前提によるところが大きく、実際の減税効果を考える場合、モデルで鍵となっている資本コストや恒常所得のほかに重要な要因が影響する可能性がある。例えば、バブル崩壊後の企業は、過剰な債務を抱え、企業収益が増加しても設備投資を抑えて債務の返済に回す姿勢が見られた。こうした姿勢は2003年頃をピークに緩和に向かったが、それでも債務返済の動きは完全になくなったわけではない(第2-1-8図)。このように、各経済主体に対する減税効果については、その時々の経済状況に応じて企業や家計が直面する制約も考慮する必要がある。

(中小企業では特にキャッシュフローの増加に大きく反応)

それでは、企業のバランスシートの状況を考慮した上で、企業規模別のキャッシュフローに対する感応度(限界投資性向)について推計してみよう。すなわち、設備投資を決定する要因として、資本収益率や金利費用、ストック調整的なメカニズムに加え、企業のキャッシュフローと債務残高を考える。これにより、市場の不完全性に伴う企業の資金調達への影響を捉えることができる。

こうした影響は、企業規模による違いが予想される。財務省「法人企業統計」のデータを用いて、製造業に属する法人企業5を大規模(資本金10億円以上)、中堅(資本金10億円未満1億円以上)、中小(資本金1億円未満1千万円以上)の3つの類型に分けた上で、キャッシュフローの増加による設備投資への影響を比較した(第2-1-9図)。

ここからキャッシャフローの増加はどの規模の企業の設備投資に対しても正の影響を及ぼすが、特に中小規模の製造業において、相対的に大きな影響があることが分かる。これは企業規模が小さい企業の方が資金の調達難に直面しやすいこと、特に中小規模の製造業においてこうした資金制約が問題になることが多いことを反映しているものと考えられる。

(低所得者層ほど高い限界的な消費性向)

家計についても、年間収入やバランスシートの状況等によって、消費支出の可処分所得に対する感応度(限界消費性向)が違っている可能性がある。ここでは、家計の年間収入階級(五分位階級)ごとに、バランスシートの状況を考慮した上で、消費支出の可処分所得に対する弾性値(可処分所得が1%増加したとき消費支出が何%増加するか)を計算してみよう(第2-1-10図)。なお、第I分位が最も年間収入が低く、第V分位が最も高い。その結果を見ると、以下のような特徴が観察される。

第一に、年間収入が相対的に低い家計(第I分位、第II分位)の弾性値は、その他の家計(第III分位~第V分位)と比べ、弾性値が著しく高い。低所得家計では、流動性制約が強く、可処分所得の増加の大部分がそのまま消費に回るためと考えられる。

第二に、これを可処分所得が1万円増加した場合の消費の増加額に換算すると、第I分位では8000円以上、第II分位では7000円程度と大きい。これに対し、第III分位以上ではかなり低くなり、第V分位では2000円程度にしかならない。弾性値の違いに加え、1万円の家計所得に対するインパクトの違いから、このような効果の大きな差が生ずる。

第三に、上記の効果を「基礎的支出」と「選択的支出」に分けると、低所得家計では「基礎的支出」の増加額が「選択的支出」のそれを幾分上回るものの、両者に大きな違いはない。これは、消費項目が「基礎的」か「選択的」かによって、所得弾性値がそれほど変わらないことを示している。

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