平成11年度

年次経済報告

経済再生への挑戦

平成11年7月

経済企画庁


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第3章 新しいリスク秩序の構築に向けて

第2節 リスク秩序の崩壊

(「暗黙のルール」の破綻)

90年前後に資産価格がピークをつけた後,現在に至ってもまだはっきりと底を打ったといえる状況ではない。地価や株価は,長期的にみれば,ほぼ一貫して右肩上がりで推移してきた。したがって,バブル崩壊後も「土地神話」が残っており,景気回復に伴い近い将来に再び地価が上昇するとの期待が根強く残っていた。この間,資産価格の実体経済に与える影響を結果的に過小評価し,資産価格の低下の背景にある不良債権問題の抜本的な処理を先送りしながら,需要拡大策で対応してきた。しかし,このツケが97年末の一連の金融破綻となって表れた。こうした中で,これまでの各種の「暗黙のルール」は以下のように,次々と破綻した。

① 「銀行や大手企業は潰れない」

銀行の経営状況が悪化した場合でも,これまでは,他の健全な銀行がらの支援や吸収合併を斡旋されるなどの形で処理されてきたことから,「銀行不倒神話」が広く認識された。預金者は制度的な基盤があったものの,株主や債権者は制度的な裏付けがないにもかかわらず,この「銀行不倒神話」により,各々が被る可能性のある損失に対する認識が不足していた。ところが,戦後初めて起こった,97年末の大手金融機関の破綻を契機に,「銀行不倒神話」は崩壊し損失に対する認識が強まった。また,企業倒産をみると,最近は,信用保証制度の拡充で倒産件数は大きく減少しているが,96~97年の倒産件数は高水準であった。特徴的な動きとしては,上場企業や店頭登録企業等大手企業の倒産が多かったことである(第3‐2-1図)。これまでであればまず倒産しなかったであろう金融機関,大手企業でも,倒産するようになってしまった。

② 「社債やコール市場のデフォルト(債券不履行)はない」

これまで,社債市場やコール市場でのデフォルトにより投資家が損失を被ることはなかった。社債市場で発行企業が倒産しても受託銀行が社債を買い取るのが一般的であった。97年9月に公募社債としては戦後初めてのデフォルト後に受託銀行が社債の買い取りを行わず,コール市場では97年秋の中堅証券会社の破綻の際にデフォルトが生じた。

③ 「いざというときにはメインバンクは助けてくれる」

かつては,個別の融資契約は短期であってもメインバンクは企業にとって長期的視点からの融資の供給者であったが,近年,不良債権問題等もあってその機能が低下していると考えられる。そのため,銀行の貸出態度に懸念を持った企業は,手元流動性を厚めに持つようになり,また一部で,健全な企業が円滑な資金調達に支障をきたし倒産したようなケースもあったと言われている。

④ 「母体行は他の債権者に迷惑をかけない」

いわゆる「母体行主義」ということが言われていた。母体行主義とは,一般に,金融機関系列のノンバンクの経営状況が悪化した際に,設立母体である金融機関が,融資額を超えても他の金融機関の融資を事実上肩代わりする,というこれまでの慣行を指す。そのため,金融機関系列のノンバンクは,倒産の形を取らなかった。しかし,95年以降,銀行本体の経営悪化に伴い,金融機関系列のノンバンクも倒産するようになり,これまでの「母体行主義」が崩れた(第3-2-2図)。

(「貸し渋り」の「暗黙のリスク負担ルール」へのインプリケーション)「貸し渋り」的状況が,以下のような点で「暗黙のリスク負担ルール」に大きなインパクトを及ぼしたと考えられる。

日本の場合,企業の財務状態が健全である限り企業のコントロールは従業員の内部昇進で選ばれた経営者にゆだねられているが,経営状態が悪化した場合には,メインバンクが役員を派遣するなどしてその企業の実質的な経営権を握り,責任をもって再建を図ることが暗黙のルールになってきた(いわゆる「状態依存的ガバナンス」)。

こうして戦後の日本のメインバンク制は,資金を効率的に重点産業に配分しながら,融資企業の経営活動のモニタリングを適切に行うという機能を果たしてきた。長期的・継続的な取引関係を通じて情報の非対称性から生ずる問題を解決し,企業の経営内容がある水準以下に悪化すると,役員派遣等で経営に関与し,経営危機においては救済か清算かの決定権をもった。企業の資金調達が銀行借入に事実上限られていたことは,メインバンク制が機能してきた大きな要因である。金融の自由化,国際化により企業にとっての資金源であったメインバンクの重要性は低下し,大企業の多くが社債や株式発行等,多様な資金調達手段を用いることができるようになると,いわゆる大企業の銀行離れが加速した。

このようなメインバンク制も,明文化された企業と銀行の組織でもなければ,法的契約関係でもない。その意味で銀行と企業の関係は微妙なものであり,お互いの暗黙の了解に従うところが大きい。

上述のようにメインバンクによる役員の派遣による企業の再建が,メインバンクの重要な役割の一つと認識されていたといわれている。そこで,銀行から派遣された役員の推移(上場企業,一社当たり)をみると,これまで不況期には銀行出身の役員の割合が増える傾向にあったが,足元では厳しい経営状況であるにもかかわらず逆に減少している(第3-2-3図)。これまでの暗黙のルールであった,「いざというときには銀行が面倒をみてくれる」といったメインバンクの保険機能が低下しているように窺われる。

次に,貸出先数が減少していることの意味を考えてみる。銀行の貸出(平均残高)は,99年3月に前年同月比で3.9%の減少(貸出債権流動化・償却要因等調整後では1.1%の減少)となっているが,貸出先数をみると,金額以上に減少しており,特に中小企業の貸出先数が減少が著しい(第3-2-4図)。

銀行借入は,企業,特に銀行借入以外に資金調達の手段が事実上閉ざされている中小企業にとっては,企業側に特段の事情がない限リロールオーバーされるという意味において,自己資本のような認識があったと考えられる。例えば,通商産業省のアンケート(「『貸し渋り』の現状と今後の見通しについて(98年11月調査)」)によれば,「貸し渋り」の内容として,「金利の引き上げ」(70.2%)に次いで,半数の企業が「定期的更新の拒否」(50.7%)を挙げている。

また,企業の財務内容を判断する際に重視される経営指標に,長期固定適合比率(=固定資産÷(資本勘定+固定負債))と固定比率(=固定資産÷資本勘定)があるが,これを日本とアメリカの中小企業で比較してみると,どちらの指標も日本の企業の方が高い。日本の長期固定適合比率とアメリカの固定比率がほぼ同じ比率である(第3-2-5図)。仮に,アメリカの中小企業の固定比率を基準に考えると,日本の中小企業では銀行借入が資本金のように認識されていたともみられる。このようにしてみると,銀行借入は,中小企業にとっては,必ずロールオーバーされていたという意味において,自己資本のような認識があり,貸し渋りは中小企業からみれば,資本金の回収にも近いようなインパクトを有した可能性がある。

(銀行の自己資本との関係)

銀行の貸出態度は金利低下にも拘わらず厳しい状況が続いた。こうしたなか,銀行によっては,収益のバッファーとなる自己資本が低下し,貸倒れの顕現化が過小資本状態に結びつく可能性が高くなった。このことが,リスクを伴う貸出に消極的な一因ともなった。

そこで,どの程度の貸出が自己資本の制約を受けているかを,以下の考え方に基づいて試算した(1)。自己資本比率が貸出の制約となっていない銀行の場合,自己資本が減少した際に,自己資本の減少分を預金やコール資金等他の調達手段で賄い,自己資本の減少ほどは貸出を減少させないことが可能と考えられる。そこで,自己資本が減少した割には貸出が減少していない銀行を自己資本比率が貸出の制約となっていない銀行とみなし,その他を自己資本比率が制約となっている可能性のある銀行とみなした。こうした考え方に基づく「自己資本が制約となっている可能性のある銀行の貸出」のウエイトの推移をみると,これまでは5割以下であったが,98年中間期では全体の約7割近くに上っていた(第3-2-6図)。

次に,バブル期の銀行の融資行動を見てみると,自己資本比率の相対的に低い銀行が,収益機会を積極的に求め,建設業・不動産業など当時業況を拡大していた企業に対する融資をより拡大させた可能性も否定できない(第3-2-7図)。

また,一般論として,経営が悪化しても,資金調達に支障をきたすおそれがなかったり,健全な銀行に救済されるとの期待があると,それは,銀行が許容しうるリスクを超えた融資行動をとることの一因となりうる。

(評価が分かれる信用リスク)

理論的には,企業と銀行(あるいは投資家)が合理的に行動する限り,両者の間で信用リスクに対する見方が一致していれば,リスクが高い借り手はより大きいリスクプレミアムを払えば資金調達はできる。その意味で,一般に「貸し渋り」という言い方がされるのは,これまでそれほど大きな差がなかったリスクに対する見方の差が大きくなってきている可能性がある。

情報の非対祢性の拡大を同一企業に対する格付けのばらつきでみてみる。格付けは格付会社によってばらつきがあるのは知られているが,問題はそのばらつきが大きくなっていることである(第3-2-8図)。この背景には,会社の信用リスクを判断する際に,業界の将来性等の判断の違いのほか,含み損益,年金債務等でバランスシートに対する評価の差が大きくなっていることによると考えられる。こうした点からも,会計情報の有用性を高める必要があろう。

格付けが重要性を増している。これまで,企業の提供する情報のうち,担保としてどのような不動産を提供できるかといったことが重要視されていたとすれば,『土地神話』の崩壊により担保不動産に関する情報の重要度は小さくなる。一方で,事業の将来性や成長性を評価する能力が資金供給側になければ,慎重な融資態度につながる。その中で,格付けが大きな意味を持ちつつある。

債務者の債務返済能力に対する意見である格付会社の格付けがこれまで以上に注目を浴びている。これは,我が国においてはこれまでは,様々な慣行の下で,企業の信用リスクの格差が明確でなく,格付情報への関心が今ほどは高くなかったが,社債市場等の金融市場の自由化の進展の中で,信用リスクに対する意識が高まったことも一因であると考えられよう。

(機能崩壊の理由)

以上,これまでの日本的なリスク関連秩序が機能しなくなった状況を検討してきたが,その要因を整理すると,①キャッチアップの終了,②株価や地価等の資産価格の下落と含み益の払底,③金融・資本市場等の自由化・国際化,ということになろう。そして明示的でなかったルールが破られ始めたことから,不安が一気に広がり,信用収縮を通じて不況の深刻化をもたらすことになった。

これまでの不況期には,リスクをとる行動は縮小しても,リスク関連秩序は基本的に保たれてきた。しかし,今回は,上述のような要因のためにリスク関連秩序自体が崩壊しつつあり,それに代わるリスクマネーの経路が十分確立されていない。これが不況を深刻にしている大きな要因である。


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