平成11年度

年次経済報告

経済再生への挑戦

平成11年7月

経済企画庁


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第3章 新しいリスク秩序の構築に向けて

第1節 これまでのリスク負担秩序

これまでの日本的経済システムは,①メインバンク制に代表される金融システム,②年功賃金・終身雇用に代表される雇用システム,③株式持合いに代表される長期安定的取引関係が,その特徴として指摘される。高度成長期,バブル期には,これら日本的システムは,日本経済成功の源泉との評価が多がった。

メインバンク制,終身雇用,長期継続的安定取引は,表面的には各経済主体のリスクを低め,経済成長にとってプラスに作用してきたとみなされていた。ただ,これまでみてきたように,こうした日本的経営システムをうまく機能させてきた背景のひとつには,土地神話に基づく融資構造,護送船団行政,規制による資本市場の発達阻害,持合い等による資本市場からのチェックの弱さ等もあったと考えられる。しかし現状では,土地神話の崩壊,金融ビッグバン,株式の持合いの解消に向けた動き,資本市場からのプレッシャーの強まり等,これまでのいわゆる日本的システムを機能させていた諸条件が失われてきている。

従来の日本的経済システムのリスク処理機能は以下のような三つの特徴をもっていた。

① 暗黙のルール

各種のルールが明示的なものではなく,長期的・継続反復的な取引慣行の下での信用に基づく期待という性格の強いものであった。ルールを遵守することに対する法律的な義務はないが明確でなく,ルールを破った場合の賠償責任も前もって計算しにくかった。このため,企業や家計にとって,どのようなリスクをどの程度負っているかを把握することが困難で,当事者と関係者(行政当局も含む)が全体として漠然とリスクを分担しあっているという性格が強かった(言わば,「リスクの社会化」)。このため,リスクを把握し管理していくための技術の発展や普及が遅れた。さらに,こうした技術の適用に必要とされる経営情報等の開示も遅れた。

② 再構築困難

ルールが明示的なものでなかったために,ルールが破られた場合に,期待が裏切られた当事者は損害を回収しにくい。このため,こうした事例が発生すると,当事者のみならず,ルール自体に対する不安が急速に広まることになる。

ルールに対する信頼性は容易に回復し難い。

③ 成長期待と地価上昇に依存

これまでのリスク処理機能が機能してきた背景には,

  1. 80年代の半ばまでは先進国のお手本を追うという点でリスクの少ない成長の時代であった。不況時でも中長期的な成長期待は余り低下せず,投資機会がどこにあるかは比較的明らかであった。
  2. 地価の上昇期待が強く,土地は担保や含み益の源泉として十分に機能してきた。特に上記(i)の要因が剥落し始めた80年代後半に地価が大幅に上昇し,その後も含み益がかなり残ったことが,リスク関連秩序の転換を遅らせる一因となった。
  3. 行政当局の裁量が大きかった中で,破綻等何らかの事故が発生した場合,行政当局がかなりの調整力を持っていたこと。

などの諸要因があったと考えられる。しかし,こうした諸要因はいずれも転機を迎えている。

以下この点を詳細に検討し,日本経済が全体としてリスク対応力を回復するための課題について考えてみよう。

(いままで誰がリスクをとっていたのか)

我が国では,①家計の金融資産が預貯金等の安全資産に偏っている,②企業の資金調達面で銀行借入への依存度が高い,といわれており,豊富な個人の金融資産は銀行への預金の形で保有され,銀行はそれを貸し出して,企業の生産,投資活動に資してきた。

銀行は,企業や事業の将来性や収益性を審査し,融資を実行するか否か及び金利等の融資条件を決定する。その際,企業や事業の収益性・将来性を適正に評価し,リスクに見合ったリターン(貸出金利)を設定してきたのであろうか。

80年代には金融の自由化・国際化が進み,主として大企業で資金調達の自由度が拡大し,大企業の資金調達は,銀行借入から内外の資本市場からの直接調達へ大きくシフトした。大企業における銀行借入依存度の低下は,銀行がらみれば,主要な貸出先を失うことであった。銀行の資金調達面では,80年代後半からは預金金利の自由化が進展し,資金調達コストが上昇した。こうしたことから銀行は中小企業向けの貸出を積極化した。しかし,利鞘の推移をみると,中小企業向けの貸出のウエイトが上昇したにもかかわらず,利鞘はそれほど変化しておらず,その代わりに,不動産担保貸出が増えている(第3-1-1図)。これは,企業の信用リスクに見合ったリターンを求めずに,担保に依存してきたことを示しているとも考えられる(1)。

次に,リスクが顕現化したときにどのように対応してきたかをみる。

銀行の収益状況をみると,貸出や株式保有にかかる損失(貸出金償却・債権償却特別勘定繰入れ,株式償却)は,ほぼ株式・債券の売却益に見合っていた(第3-1-2図)。これは,リスクが顕現化したときに株式等の含み益を収益のバッファーとして用いていたことを示している。逆に言えば,いざというときにバッファーとなる株式の含み益があったからこそ,積極的に貸出に応し,信用リスクをテイクできた。最近では,含み益が枯渇しつつあり,リスクの顕現化が収益の減少に直結するよーうになってきていることも貸出慎重化の背景である。

そして次に,銀行の損失が嵩み,経営危機に陥った場合のこれまでの対応はどうであったか。制度上の整備がなされていなかったことから,他の経営状態の良好な銀行から支援を受けたり,さらには吸収・合併されるという形で問題が処理されることが多かった。救済に協力する銀行にとっては,規模拡大のメリットとなっていた。

(社会化されていたリスク負担)

このように,銀行は,バブル期までは企業の信用リスクを不動産担保等で保全した貸出を増やし,貸倒れが発生したときには保有する株式含み益を吐き出して対応してきた。すなわち,地価・株価の資産価格の上昇を背景にリスクマネーの供給がなされていたといえよう。しかも貸出に代替し得る社債市場には,投資家保護を目的に様々な規制があったため,十分には発達してこなかった。

銀行に対しては,金融システムの安定を目的に様々な競争制限的な規制があった。これは,日本的経済システムの特徴とされていた,業界協調的慣行や競争制限的な規制を指す,いわゆる「護送船団方式」といえた。経営が悪化した金融機関においては,健全な金融機関が受け皿となった救済合併がみられた。

このようにしてみると,リスクは長期的な信頼関係の中で関係者全体,あるいは社会全体で負担する形となっており,言わば「リスクの社会化」ともいえる状況が続いてきた。

(リスクマネーの二経路)

こうした中で,リスクを伴う新しい分野への挑戦のための資金は,二つのルートから供給されてきた。大企業中心に生じていた含み益と,中小企業向けの土地担保融資である。ところがバブルの崩壊以降,資産価格が下落し,含み益が取り崩される中で,どちらの経路も著しく縮小している。一方,直接金融やベンチャーキャピタル等,リスクマネーを活用するための別のルートは十分に育っていない。


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