おわりに

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本報告では、海外経済の緩やかな回復を背景に企業の生産や雇用所得環境の改善が一層進む中で、緩やかな景気回復基調が続く日本経済の現状と課題について分析を行った。ここでは、本報告の主要な論点を整理するとともに、現下の日本経済が直面する課題の背景と対応の方向性について考察する。

内需主導の経済成長に向けた課題

今回の景気回復は2012年末から継続しており、景気拡張期間については、51か月続いた90年代初のバブル景気を抜き、戦後第3位の長さとなった可能性がある。2016年後半からは海外経済の回復を背景に、企業部門を起点とした好循環が進展している。企業部門の収益改善は、設備投資の持ち直しだけでなく、4年連続のベア上昇など賃上げの動きを通じて個人消費にも波及してきている。個人消費は、2016年には一時的な要因もあってやや低い伸びとなったが、基調としては緩やかに持ち直している。ただし、雇用・所得環境の大幅な改善と比べて緩やかな伸びにとどまっている背景には、若年層において予想生涯所得を低めに見積もる傾向があることや、中高年層における老後の生活への不安感などがあると考えられる。こうした点を踏まえると、消費の本格的な回復には、将来の職業キャリアや老後の生計に関する信頼感の回復、働き方や世帯構成の変化などに合わせた潜在的な消費需要を喚起することが重要である。また、第2章で詳しく論じているように、働き方改革は、就労しやすい環境整備や非正規の処遇改善等による低所得層の底上げと、長時間労働の是正や柔軟な働き方の導入等による余暇時間の拡大等を通じて、個人消費の拡大に寄与することが期待される。

設備投資については持ち直しが続いている。人手不足や技術革新が急速に進展する中で、省力化投資や研究開発のための投資需要が高まっていることに加え、インバウンドの増加や2020年に開催されるオリンピック・パラリンピック競技大会に向けた投資も続くことが期待されることから、設備投資は今後も内需を下支えしていくことが見込まれる。

こうした点を踏まえ、今後の日本経済の動向を展望すると、外需の改善が徐々に内需にも波及する中で、緩やかな成長が続くことが期待される。ただし、こうした見通しに対するリスクとしては、主要国の今後の政策動向など海外経済の不確実性が高いことや金融資本市場の変動の影響に留意する必要がある。

デフレ脱却に向けた展望

財政・金融政策は、経済成長の促進とデフレ脱却を目指して、引き続き経済活動を下支えしている。これまでの金融緩和の効果や補正予算編成を含む財政政策による後押しもあり、物価上昇率は総じてプラスで推移しており、デフレではない状況となっている。過去と比べれば、経済の需給引き締まりが物価を押し上げる程度は若干弱くなっている可能性があるが、賃金上昇が物価を押し上げる経路は依然として健在である。今後、安定期な物価上昇を確実なものとするには、経済の好循環を持続的な賃金上昇につなげる努力を粘り強く行っていくことが重要である。

人手不足感の高まりとそれへの対応

景気が緩やかな回復基調を続ける中で、有効求人倍率等でみた労働市場の人手不足はバブル期並みの状況となっている。こうした人手不足感の高まりは、景気回復による労働需要の増加に加え、現役世代の人口が減少する中で、女性や高齢者など相対的に労働時間の短い就業者の労働参加が高まっているために、マンアワーでみた労働供給が伸びていないことも反映している。今後も生産年齢人口が減少を続けることを考えると、人手不足への対応は、日本経済が持続的な成長を実現する上で、乗り越えなければならない大きな制約の一つであるとともに、適切な対応をとることができれば、以下の3点に示されるように、生産性向上やデフレ脱却に向けた大きなチャンスともなり得る。

第一に、国際的にみた場合に、日本の労働生産性の水準は主要先進国と比べて低く、希少な労働資源を十分に活用できていない状況にある。第2章で詳しく論じているように、人手不足に対応するために、企業が業務効率の見直しや資本装備率の向上を図り、労働者の能力開発が進むことで、生産性を上昇させる余地は十分にあると考えられる。また、人手不足への対応のためにも、AIやロボットなど新規技術の導入が大きく進む可能性がある。

第二に、労働市場での人手不足感の高まりが一人当たりの賃金の上昇につながれば、物価が徐々に上昇し、好循環が進む中でデフレ脱却につながることが期待できる。現状において、人手不足感の高まりにもかかわらず賃金上昇が緩やかなものにとどまっている背景には、労使ともにリスクを避けて、賃金上昇を抑制しつつ雇用や企業業績の安定性を優先している姿勢がみられる。こうした縮小均衡を打破するには、リスクをとって付加価値の高い新製品・新サービスを生み出す中で、生産性を上昇させつつ、賃金や雇用を拡大していくことが求められる。

第三に、人手不足が賃金上昇につながれば、家計の所得増加を通じて個人消費にも好影響が及び得るほか、人手不足を補うために企業の省力化投資も増加が見込まれるなど、内需を中心とした経済成長の実現につながることが期待される。

以上のように、人手不足に前向きに対応することが、今後の日本経済の持続的成長への大きな鍵となり得る。こうした観点からは、本報告の第2章で取り上げた働き方改革と第3章で取り上げた技術革新への対応を同時に進めることが、生産性の向上と多様な人材の労働参加を促し、経済成長と国民生活の向上に寄与するものと考えられる。

働き方改革の経済的な効果

少子高齢化・人口減少という人口動態による労働供給の制約があるにも関わらず、日本の労働生産性が国際的にみて低水準にとどまっていることは、今後の経済成長の制約となる可能性も考えられる。こうした懸念を払しょくするためには、働き方改革に取り組むことによって、長時間労働を前提とした働き方を改め、時間や場所を選択できる多様で柔軟な働き方を導入するとともに、客観的に説明が困難な正規・非正規の処遇格差の是正等を進めることにより、多様な人材がその意志や能力を発揮できるような社会を構築することが重要である。こうした働き方改革は、一義的には働く人のワーク・ライフ・バランスの改善等に資するものであるが、経済的な面でも大きな影響を持つと考えられる。第2章の分析によれば、長時間労働を是正し、柔軟な働き方を導入することや、非正社員の処遇の改善を図ることは、労働者の働くモチベーションや技能向上のためのインセンティブを高めるとともに、企業の側でも業務の見直しによる効率化や省力化投資を促し、結果として、労働生産性の向上、労働者の技能向上に結び付く可能性が示唆されている。加えて、非正規の処遇改善や多様な主体による労働参加の拡大が進むことにより、相対的に所得の低い層の所得が底上げされ、相対的貧困率の改善や消費の下支えにつながるとともに、長時間労働の是正や柔軟な働き方の導入によって余暇時間が増え、娯楽等の消費の活性化に寄与する可能性が示されている。

ただし、働き方改革が期待された経済的効果を生み出すには、政労使が協働して取り組まなければならない課題も多い。第一は、働き方の見直しを生産性向上の好循環に着実につなげるための取組である。効率性を高めるような投資の強化や新規技術の導入と、それを活用するための能力開発やマネジメントの見直しを行い、生産性の向上の成果を、ワーク・ライフ・バランスの改善や賃金の形で労働者に還元し、好循環を創っていくことが重要である。第二は、多様な人材の活用のための取組である。多様な人材が適正に評価されるような体制の見直しや、様々な事情を抱えつつ労働参加する人達を支えるサポート体制を強化することが重要である。第三は、転職が不利にならない柔軟な労働市場の整備である。これにより、一国経済全体でみて生産性の高い部門への円滑な労働移動を促すことも期待される。第四は、労働法制や雇用ルールの順守を担保することであり、これにより、働き方改革の実効性を高めることが重要である。

技術革新への対応とその影響

現在の日本経済が直面する人手不足と低生産性という2つの大きな課題に対応するためには、技術革新に迅速かつ適切に対応し社会への実装を促すことが、働き方改革の取組と並んで大きな鍵となる。我が国の生産性が国際的にみて低いことの背景には、イノベーションを担うスタートアップ企業や高生産性企業のパフォーマンスが必ずしも力強くないことに加え、特に中小企業のICTの利活用が進んでいないことがある。他方、貿易や直接投資を通じた企業のグローバルな活動は生産性を高める方向に作用している。こうしたイノベーションの担い手の力不足の背景には、人材・資金・制度面で起業を支える環境が十分に整備されていないことや、R&D投資の効率性が低いこと、ICTに精通した人材が少ないこと等が影響していると考えられる。

IoT、ビッグデータ、AIなど第4次産業革命における新規技術への我が国企業の対応は、既に一定の進展がみられる。こうした技術を導入した企業においては、新たな製品や市場の開拓、効率化、働き方の見直しなどを通じて新技術が生産性の向上に寄与している様子がみてとれる。また、これらの新技術やデジタル・エコノミーの進展は、我が国の経済社会・国民生活をさらに大きく変容させる可能性が高まっており、新規技術の活用によって、人々が質の高いサービスを享受し、年齢、性別、地域、言語の違いを乗り越えて活き活きと暮らすSociety5.0の実現に向かって進捗していくことが期待される。新規技術の活用やデジタル・エコノミーの進展により、既存の財・サービスの需要が代替され、AIやロボットに雇用が奪われるのではないかとの懸念があるが、第3章の分析結果からは、一部の職種や技能を持つ労働者への影響は考えられるものの、既存の財に代わる新たな財・サービスが多く創出されれば、こうしたプロダクト・イノベーションによる生産性の向上が雇用を増加させる効果があることが示されている。

今後、イノベーションの成果を生産性の向上や国民の豊かさの実現に生かしていくためには、いくつかの課題への対応が重要である。

まず、イノベーションを創出する力をさらに高めるとともに、新規技術を積極的に導入し生産性の向上に生かしていくことである。そのためには、イノベーションを担う起業家を育て伸ばしていくための教育、資金、制度面の環境整備を行うとともに、企業の組織面でも、研究開発や新規技術導入における意思決定の分権化、外部の企業や研究者との連携強化を促すことが重要である。また、社会全体としても、ICTや先端技術を担う専門人材の育成や、国内外の企業を問わず、日本がビジネスや研究開発拠点として選択されるような魅力的なビジネス環境を整備することが重要である。

さらに、新規技術の活用を国民生活の豊かさに結び付け、Society 5.0に向けた取組を加速していくことが重要である。そのためには、既に述べたイノベーションを生み出し適用するための人材、教育、研究体制の強化等に加え、新技術を社会に実装していく際の規制や行政手続のあり方等を見直していく必要がある。例えば、AIを活用した自動運転、異なる複数分野にまたがるデータの流通など、新しい技術の社会的な活用に際しては、「日本版規制のサンドボックス」等を活用し、試行を重ねながら、適切な規制のあり方を検討することが有効である。また、シェアリングエコノミーなどに代表される新たな経済取引についても、その健全な発展を実現するための適切なルールや制度に関する環境整備を行うことが必要である。さらに、技術革新やそれに伴う産業構造の転換に柔軟に対応していくためには、企業内外の訓練や個人の学び直しの機会を充実させるなど人材の強化を行うとともに、転職が不利にならない労働市場の整備によって成長産業への円滑な人材のシフトを図ることが重要である。

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