おわりに

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本報告では、経済再生・デフレ脱却と財政健全化に向けたこれまでの取組やその進捗状況について、様々な角度から検討を行った。ここでは、その分析結果を踏まえて、改めて我が国経済の主な課題について述べる。

景気の現状と先行きリスクの高まり

我が国経済は、アベノミクスの取組の下、企業の収益が高水準で推移する中で、雇用・所得環境が改善し、緩やかな回復基調が続いている。今回の景気回復は2012年11月を底にして継続していると考えられるが、この間の金融、財政、成長戦略による取組によって、経済再生・デフレ脱却に向けて着実な進展がみられている。そうした成果は、2015年度に、名目GDP、実質GDP、GDPデフレーターが18年ぶりにそろって前年比プラスとなったことや、雇用・賃金関係の指標が1990年代初以来となる改善をみせていることなどに端的に表れている。また、本報告でも分析したとおり、日本経済がデフレ状況ではなくなる中で、税収の増加等を中心にして基礎的財政赤字が縮小するなど財政の健全化も進んでいる。

他方で、2016年央の時点において、消費を中心とした内需に力強さを欠くなど景気回復は一部に弱さを抱えており、また、日本経済を取り巻く世界経済の先行きについてのリスクは高まっている。こうした中で消費者物価についても上昇テンポに鈍化がみられる。

世界の経済情勢をみると、2015年から続いている新興国・資源国経済の脆弱性等のリスクに加え、2016年6月に英国の国民投票でEU離脱が支持されたことによって、世界経済の先行き不透明感が更に高まっている。そうした中で、金融資本市場は年初から大きく変動しており、2015年と比べて、為替レートは円高方向で推移し株価は下落している。こうした金融資本市場の動きが今後も継続した場合、企業収益が下押しされ、企業・家計のマインドの悪化を通じて消費や投資が抑制される懸念がある。また、英国が離脱を正式に通知し、EUや他の国と新たな経済関係が構築されるまでには相当な時間を要するとみられていることから、それまでの間、先行きの不透明感によって、英国だけでなく世界全体として消費や投資活動が抑制され、その影響が我が国にも及ぶ可能性も懸念される。こうした世界経済の不透明感の高まりや金融資本市場のリスクに対しては、国際的な協力を通じた対応を引き続き行い、自由貿易主義の重要性を強調する明確なメッセージを発していくとともに、経済情勢等を注意深く見守る中で、将来のリスクの芽に対して迅速な対応を行っていくことが重要である。

好循環の確立と成長力強化に向けた課題

我が国内経済の動向に目を転じると、企業や家計の所得の改善が消費や設備投資などの支出の増加に十分につながっていないことによって国内需要が力強さを欠いている。また、我が国経済の供給面をみると、労働参加率が上昇しているものの少子高齢化に伴って労働供給は下押しされていることに加え、資本ストックが伸びず、生産性の伸びも低下しつつあることから、潜在成長率は0%台半ばにとどまっている。

こうした需要面の弱さと供給面の制約は、お互いが表裏一体の関係にあることを認識することが重要である。つまり、個人消費の弱さの背景には、非正規雇用者比率の高さなどを背景とした将来不安の高まりがみられる若年子育て期世帯や定年退職など働き方の変化に直面している60歳代前半無職世帯などで消費の慎重化がみられていることがある。このことは、我が国の労働市場において、働きたい人の就労が実現し、職務やスキル等に応じた処遇が行われるような変革が必要とされている可能性を示唆している。また、企業の設備投資や賃金上昇の弱さの背景には、企業が将来の成長力に自信を持てずにいる可能性が本報告では示唆されている。今後も経済の好循環を更に進展させ、経済の再生とデフレ脱却を確かなものにしていくためには、政府による成長戦略等の取組や金融政策によるデフレ脱却への取組に加え、労働市場の柔軟性の確保や人材力の強化、将来の成長力向上に向けた企業家精神の更なる発揮といった課題に取り組む必要がある。このように、需要面と供給面の双方を同時に強化していく必要があるということが、本報告の分析を通じた一つの大きなメッセージである。以下では、こうした労働市場及び企業部門のそれぞれの課題と対応の在り方について、更に具体的に述べる。

少子高齢化の下での働き方の多様化と人材力の強化

少子高齢化により労働供給が下押しされる中で、景気の緩やかな回復によって労働需要が増加していることから、人手不足感が高まっている。特に、高齢化により需要が高まっている介護などの分野に加え、IoTや人工知能(AI)などに代表される新たな成長分野でも人手不足が進行しており、労働力確保が喫緊の課題となっている。

他方で、働きたい意思があるにもかかわらず、育児や介護を理由に働くことを断念せざる得ない人や、定年退職後も引き続き就労を希望する高齢者も多数存在しており、そうした人達が実際に就労することが可能になれば、日本全体の労働供給が増加する余地がまだかなり残されている。また、日本の転職市場は諸外国と比べて小さいことに加え、一定期間内に求職者が職を見つけて就労する割合を示すマッチングの機能も相対的に弱いため、人手不足感の高い産業や企業があっても、そうした分野への円滑な労働移動が十分に図られていない状況にある。

本報告の分析によれば、こうした働く意欲を持つ人の労働参加や成長分野への円滑な労働移動を妨げている要因の一つには、日本の伝統的な雇用慣行を背景とした長時間労働の傾向や正規職員の年功序列を基本とした硬直的な賃金体系が関係している可能性が考えられる。したがって、働きたい人が働きやすい環境を整備するためには、保育所などの施設や保育の担い手となる保育人材の確保等に向けた取組等に加えて、長時間労働の傾向を全般的に見直し、限定正社員などの導入によって多様な働き方を広めていくとともに、賃金体系についても、同一労働同一賃金に向けた取組を行うことで、職務やスキル等に見合った賃金体系を構築することが重要である。また、成長分野への労働力の円滑な移動を促すためには、賃金体系の見直しに加え、職場情報の開示や適切な環境を整備した上でのインターンシップの活用等により、転職市場の規模や機能の向上を図ることも重要である。その際、従来の終身的な長期雇用が弱まることにより、企業の人材投資のインセティブも低下する可能性があることから、習得した技能を証明するジョブカード等を更に活用することに加え、社会全体として能力開発や職業訓練機会を拡充し、人材力強化のための取組を強化する必要がある。

成長力強化に向けた企業部門の取組

企業による設備投資の拡大は、それ自体が新たな需要としてGDPを押し上げるほか、生産能力の拡大を通じて潜在成長力を高めることから、需要面と供給面の双方を強化する上での重要な鍵を握っている。しかしながら、最近の設備投資の動向をみると、企業収益が高水準にあり、金利もかつてない低さにある中で、力強さを欠いている。その背景としては、世界金融危機以降において国内から海外へ生産拠点がシフトしたことや国内需要の伸びが低いものにとどまっていること等から、日本企業の売上高は世界金融危機前の水準を依然として150兆円余り下回っていることに加え、経済の先行きについても、日本企業が内外市場の予想成長率を慎重にみていることが影響していると考えられる。また、設備投資については、企業収益の伸びとの対比で論じられることが多いが、世界金融危機以降の企業収益の上昇は、少なからず企業のコスト抑制努力や、為替レートが2013年以降円安方向で推移した効果が反映されている面があり、必ずしも内外の需要の伸びによってけん引された訳ではない点を考慮する必要があろう。こうした事情は、世界各国とも似ており、欧米諸国や新興国でも需要の伸び悩みによって世界金融危機後の設備投資の回復は弱いものにとどまっている。

こうした中で、企業の設備投資に対する姿勢を前向きなものにしていくためには、まずは、成長戦略等の推進によって成長機会を拡大していく必要がある。加えて、最近増加しているM&Aや研究開発投資などの設備投資以外の投資も、中長期的には、企業の生産性向上や成長促進に寄与し、ひいては経済全体の成長予想の引上げにもつながることから、こうした動きを後押ししていくことも重要である。

その際、近年、取組が加速しているコーポレート・ガバナンスの強化も有効であると考えられる。政府による取組もあって、独立社外取締役の導入などコーポレート・ガバナンスの積極的な取組がみられているが、そうした企業では、投資機会の拡大や収益性の向上がみられる可能性が本報告の分析でも確認されている。成長力強化に向けては、少子高齢化やグローバル化など企業をめぐる環境の変化を企業成長の好機と捉え、より積極的な経営判断を後押しする仕組みを強化し、浸透させていくことが重要である。

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