第3章 イノベーション・システムと生産性の向上

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第2節 イノベーション活動の促進に向けて

我が国におけるイノベーションの動向を振り返ると、長期的な経済の停滞にもかかわらず研究開発や特許の出願といった官民合わせた我が国全体のイノベーションへの取組は積極的であったものの、そうした取組に応じた生産性や営業利益の向上、企業におけるイノベーションの創出が必ずしも実現されていなかったと考えられる。本節では、イノベーションのインプットをアウトプットに結び付けていく、経済社会全体を視野に入れたシステムの在り方を検討する。

また、イノベーション活動に欠かせない企業の積極的な行動を促す上でコーポレート・ガバナンスの強化が重要となることを論じる。最後に、イノベーションは生産性の上昇を通じて経済の供給力を高めることに加え、潜在的な需要を顕在化させることにより経済の好循環にも貢献する可能性があることを検証する。

1 イノベーション・システムの改善

イノベーションを生み出すために企業や大学等における研究開発活動は不可欠であるが、研究開発を行うための資金や人材を効率的に活用するための基盤を整備し、イノベーションによる価値の創出が持続的に行われる環境を生み出していくことが重要となっている。そのため、イノベーションの創出が期待できる企業や分野で労働や資本といった資源を速やかに、かつ柔軟に利用していくことが重要であり、人材の交流を促すことや競争促進的な規制改革、また、更なる成長資金の供給や国内外での連携の強化など総合的な取組が必要となっている。

日本型企業システムとイノベーション

我が国のイノベーション・システムの検討を行う上で、終身雇用制やメインバンク制といったいわゆる日本型企業システムの評価という視点は欠かせない。我が国のイノベーションは、1980年代末に至るまで、海外で開発された製品・製造プロセスの吸収・改善を中心に、開発費用を抑えることで行われてきた。先進諸国へのキャッチアップ期にみられた漸進的なプロダクト・イノベーションやプロセス・イノベーションは、各企業において内部人材による研究開発や企業固有の知識を内部的に蓄積する中で行われてきたが、こうした社内資源中心のイノベーションは年功序列や終身雇用、企業内訓練に代表される日本型雇用システム、またメインバンク制といった長期安定を目的としたシステムの中で効果を発揮したと考えられている。しかし、バブル経済崩壊以降の長期間におよぶ経済の停滞を背景に、デフレや成長の伸び悩みという内的環境の変化、また技術や製品の高度化という外的環境の変化に直面する中でイノベーション活動を行う上での日本型企業システムの機能が見直されるようになった。

具体的には、内的環境の変化として、バブル経済の崩壊以降、企業における過剰雇用の解消の必要性が高まる中で、従来の雇用システムについても見直しが行われるようになったことが挙げられる。また、大企業を中心に企業の銀行離れが進んだことなどを背景に、メインバンク制にも後退がみられるようになった。その一方で、引き続き、株式の持ち合いを含む長期安定的な投資が優先されリスク投資が進まなかったことなどを背景に、成長資金の供給が十分に進んでこなかった。

外的環境の変化としては、我が国の技術水準が先進諸国に追いつき、イノベーションの在り方についても必然的にキャッチアップ型からの脱却が求められるようになった。それに加え、最近では、急速な技術進歩を背景に、例えば、パソコンなどIT関連の製品では汎用部品を組み合わせて作る「組合せ型(モジュール型)」24の生産が進み、IT通信等を通じたモジュール生産のネットワーク化が可能となるなど、個別企業の枠を超えた産業ベースの知識に基づく開放的なネットワーク型システムの重要性が高まった。

政府においては、キャッチアップ型の成長モデルからの転換を図り、我が国が先進国の一員として、自らの知識や技術により成長し、世界に貢献していくことを目的として、1995年に科学技術基本法を制定した。その後、同法に基づき、科学技術基本計画を4期20年間にわたり策定し、科学技術政策を推進してきた。2013年6月には、急速な人口減少や少子高齢化など中長期的にも我が国を取り巻く環境が厳しさを増す中、イノベーションに期待される役割がますます増大しているとの認識に立ち、「科学技術イノベーション総合戦略」を決定し、科学技術イノベーション政策の全体像を課題解決型戦略パッケージとして打ち出した(コラム3-2を参照)25

部門を超えた人材の交流

日本型雇用システムの下、長期雇用とそれを前提とした企業内教育・訓練は長期的な研究開発や技術開発を進める中で、人的資本の蓄積に寄与してきた。その一方、技術の進歩・高度化などを背景にイノベーション・システムの開放・ネットワーク化の動きが加速する中で、イノベーションを経済成長へ結び付けていくために企業や業種、また産学官といった部門を超えて人材が交流できるシステムを構築することが重要となっている。人材の交流を高めることは、多様な経験、知識の融合による新たなアイデアの創出や人材を介した研究成果の事業化の促進などにつながることが期待される。第1節でみたように、イノベーションに向けた活動を実施する企業にとっての主たる阻害要因が能力のある従業者の不足や技術、市場に関する情報不足といった点であることに鑑みれば、人材の供給や情報の共有化を促す人材の交流は特に重要と考えられる。新たなアイデアや事業をもとにイノベーションの実現を図る企業にとっては、こうした人材交流を促すような雇用システムを構築すれば、より効率的に労働資源を活用することができるとも考えられる。

労働生産性の高い企業への労働者の移動が進みやすいことを労働市場における資源配分効果が高いとみることもできるが、OECDの調査では、平均的な企業よりも労働生産性が高い企業では、平均的な企業に比べてより多くの労働者を雇うといった関係が多くの国でみられることを報告している(第3-2-1図)。日本はOECD諸国の中でも労働者が労働生産性の高い企業に効率よく配分されている可能性があることが示されているが、アメリカなどと比べると一層の向上の余地があるとみられている。

「我が国の中長期を展望した科学技術イノベーション政策について~ポスト第4期科学技術基本計画に向けて~(中間取りまとめ)」では、人材の機関間、部門間を超えた移動を加速するため、大学、公的研究機関等における年俸制、クロスアポイントメント制度26といった新たな給与制度・雇用制度の導入の必要性が指摘されているが、こうした取組を通じイノベーション活動を後押しすることが期待される。

成長資金の供給促進

イノベーションの創出、また産業の新陳代謝の促進のために、ベンチャー企業の果たす役割がますます重要になっている27。例えば、アメリカでは、大学や研究機関を中心にベンチャー・キャピタルによる初期投資を受けたベンチャー企業が大量に生まれ、こうした中から巨大企業に成長する企業も現れている。また、アメリカのIT産業では、開発に特化した研究開発型ベンチャー企業が台頭し、生産・販売を行う既存企業と連携する中で産業が発展するという動きもみられている。他方、日本では、ITやバイオなどの新産業において、研究開発の中心的な役割を担ってきた大企業に代わる中小のベンチャー企業によるイノベーション活動を活発化させることができずアメリカとの差がつくことになった28。実際に、企業部門の研究開発費全体に占める従業員が250人未満の中小企業の割合をみると、我が国については4%程度と国際的にも低い水準となっている(第3-2-2図)。

大企業だけではなく、競争力を有する中小企業、特にベンチャー企業がイノベーションの担い手となるためには、そうした企業に対して資金面を含め支援を行っていく必要がある。我が国ではベンチャー・キャピタルのような直接金融によるリスクマネーの供給がこれまで十分に進んでこなかったが、その背景には、そもそも起業活動が諸外国に比べ活発でないという需要面の要因に加え、メインバンク中心の間接金融を主体とした日本型の金融システムの下、株式の持ち合いを含む長期安定的な投資が優先されリスク投資が進まなかったことが挙げられる。メインバンク制の影響は後退しているものの、2011年における我が国のベンチャー・キャピタル投資の規模は、GDPの0.02%とアメリカの1割程度、また韓国と比較しても半分以下となっている(第3-2-3図(1))。ベンチャー・キャピタルへの主体別の投資割合をみても最も大きな割合を占めるのは金融機関(40.5%)と政府(17.4%)であり、ここでもベンチャー・キャピタルの資金調達が間接金融によっていることが示されている(第3-2-3図(2))。融資に過度に依存してきた資金の流れを、株式やメザニン(投資リスクが融資と株式の中間である劣後債や優先株等)に移行させることが重要であり、このため、資金の出し手における目利き人材の育成、多様なニーズに対応したファンドの組成、政府系金融機関による民間の補完等により、資金の流れを多様化・複線化する必要がある。

我が国では特に成長期のベンチャー企業への資金供給不足が深刻であり、ポートフォリオ管理でリスクをとり、ベンチャー企業を育てるリスク資金供給者の増加が必要となっている。こうした中、2014年以降、インターネット上で資金を調達する仕組みとして、「投資型クラウドファンディング」の利用促進に向けた制度整備が進められている29。一般的に、事業化する段階の企業に資金提供を行うことはリスクが高く、エンジェル投資家やベンチャー・キャピタルであっても、一定程度企業が成長するまでは資金供給を見送る傾向があるが、「投資型クラウドファンディング」を利用する場合、事業化段階の企業であっても資金調達が可能になると考えられ、こうした取組が成長資金の供給につながることが期待されている。また、事業拡張期にあるベンチャー企業への更なるリスクマネーの供給を目的として、2014年には「ベンチャー投資促進税制」が創設された30

「ベンチャー有識者会議とりまとめ」の中では、「年金基金によるベンチャー投資枠の創設」として、年金基金の投資ポートフォリオ変更などによるリスク資金の供給強化策も議論されている。競争力の源泉であるイノベーションを生み出すためには、イノベーションの実現に向けた企業の積極的な投資を支える資金が不可欠となっている。

国内外における連携強化

技術の源泉が海外にあった時期においては、そうした技術を吸収し低費用で製品化することを目的としていたため、内部人材による研究開発や社内一貫の研究・生産・販売体制など、社内資源に依拠したイノベーション・システムは高い効率性を発揮してきた。しかし、先進諸国へのキャッチアップの終焉やモジュール生産のネットワーク化などイノベーションをとりまく環境が変化する中、差別化された独創的な技術・製品の開発を目指す上で社内外から広くアイデアや知識を吸収することが求められるようになった。こうした状況下では、企業間、あるいは企業と大学など組織間における連携、さらには海外との協力が重要となるが、社内完結型の研究開発管理体制はそうした連携に向けた動きを遅らせてきた。

2013年における我が国の総研究開発費の動向をみると、企業部門で資金調達された研究開発費はそのほとんどが企業自身で利用され、大学での研究開発に利用された割合は全体のわずか0.5%にすぎなかった(第3-2-4表(1))。こうした事実は、研究開発を行う上での企業と大学間の連携の弱さを示している。同様に、大学で利用された研究開発費のうち、全体の2.6%のみが企業により資金提供されたものであった(第3-2-4表(2))。研究開発費の調達、利用状況をみても、政府、大学では全体の4分の1程度となっており、その多くが企業で行われていることが分かる。

海外との連携についてみても、我が国は、アメリカに次ぐ特許取得数(2009‐11年)を記録しているが、特許の国際出願に占める自国以外の発明者との共同出願は全体の2.5%程度と他の国と比べても極端に低くなっている。同時に、これまで社内完結型の研究開発を行ってきたため、そもそも国際共同発明によるイノベーションを行う企業の割合も少なくなっている(第3-2-5図(1))31。企業部門で利用された研究開発費のうち海外からの資金提供を受けた割合をみても、我が国では0.6%となっており、OECD諸国の中でも韓国に次いで低い(第3-2-5図(2))。さらに、自国内における研究開発のうち外資系企業(及びその関連会社)により実施された割合をみると、日本(6.3%)はアメリカ(14.8%)の半分程度となっている(第3-2-5図(3))。このように、研究開発において、我が国では諸外国に比べて海外との連携に遅れがみられている。

「『日本再興戦略』改訂2014」(平成26年6月24日閣議決定)の中では、「我が国が世界レベルの競争力を保つためには、世界中の優れた人材と投資を惹きつける魅力的な場を構築する必要」があると述べられており、投資環境の改善を図る中で、対内直接投資の拡大を目指すこととしている。規制改革などを通じて立地競争力の強化に努め、グローバルな人材、資本等を呼び込むことで海外との連携を更に強化していくことが求められるが、貿易や投資を通じ国境を超えた知識や技術の伝達を促すことは、イノベーション活動の促進に貢献することが期待される。

こうした中、イノベーションの創出、産業競争力の強化を目的に産学官からなるオープン・イノベーションを推進し、革新的な技術シーズを民間企業による迅速な事業化に結び付ける「橋渡し」機能(フラウンホーファー・スタイル)を強化するため、2014年4月には「我が国のイノベーション・ナショナルシステムの改革戦略」が取りまとめられた。改革戦略の中では、「橋渡し」機能の強化として、そうした機能を担う公的研究機関において技術シーズを事業化へとつないでいくことを主要ミッションとして明確に位置付けることや産業界・大学等との連携強化、さらには世界的な産学官研究拠点・ネットワークの形成を進めることとしている。また、イノベーションの担い手として、ベンチャー企業や中小企業の育成・活用を図ることや大学改革の推進、さらにはイノベーションを担う人材の育成・流動化を進めるとしている。

2 コーポレート・ガバナンスの強化

企業を中心にイノベーション活動への積極的な参加を促すことにより、経済の生産性を高めていくことが期待される中、コーポレート・ガバナンス(企業統治)32が担う役割がますます重要となっている。

加速するコーポレート・ガバナンスをめぐる取組

世界金融危機以降、その反省から、欧米諸国を中心に投資家や企業による短期の利益追求主義の是正やコーポレート・ガバナンスの改善に向けた議論が活発に行われている。我が国においても、近年、コーポレート・ガバナンスをめぐる取組は大きく加速している。こうした背景の一つには、コーポレート・ガバナンスの強化を通じて、経営者のマインドを前向きに変え、積極的な投資行動等を促すことにより、日本企業、ひいては日本経済全体の収益性・生産性を高めるという狙いがある。

我が国のコーポレート・ガバナンスについては、1980年代半ば頃に至るまで、メインバンク制や株式持合を中心とする利害関係者間の相互監視によるインサイダー型のガバナンスが機能していた。しかし、1980年代後半以降、メインバンク制に後退がみられる中、他の先進諸国と同様に機関投資家を中心とする外部株主重視のアウトサイダー型のガバナンスの重要性が徐々に高まった。ただし、資本市場からの規律付けが十分ではない中、企業が保守的な経営を続けることなどにより、我が国企業のROEやROAは国際的にみても低い水準で推移してきた(第3-2-6図)。2013年以降、過去最高水準となる企業収益などを背景にこうした収益力指標に改善がみられている。

グローバル水準のROEの実現を一つの目安に33企業価値の向上を意識した積極的な経営判断を後押しする仕組みを強化することが重要となっている中、政府においても日本企業のコーポレート・ガバナンスの向上に向けた制度整備を進めている。2013年6月に「日本再興戦略」が閣議決定され、コーポレート・ガバナンスの強化が目的とされて以来、日本版スチュワードシップ・コードの策定34、社外取締役の導入を促す会社法の改正、健全な企業家精神の発揮を促すとともに収益率・資本効率等の改善につながる「攻めのガバナンス」を確保することを目的としたコーポレートガバナンス・コードの策定35などの取組を行ってきた36

企業部門で進む内部留保、現預金の蓄積

企業部門の高い収益性・生産性を実現していくためには、中長期的観点からの企業による積極的な投資行動が求められるが、2000年以降、欧米の上場企業で内部留保及び現預金比率を増加させてきたように、日本の上場企業でも内部留保が蓄積し(第3-2-7図(1))、また、同時に現預金の保有も増加した(第3-2-7図(2))。一般的に、企業が現預金を積み増す理由は様々であるが、積極的な理由として運転資金や将来の投資に向けた資金の確保、業績の悪化やリーマンショックのような危機への備えなどが挙げられる。他方で、使い道がないといった消極的な理由も考えられる。いずれにせよ、収益性の低い現預金の比率が過度に高くなる場合、企業全体の収益性を押し下げることが考えられる。我が国の上場企業については、他国と比べても時価総額に比した現預金の積上げが大きいことも指摘されているが37、日本の上場企業の現預金比率(現預金・総資産比率)の推移をみると、2000年代から2013年度にかけて上昇し、2013年度でみると、欧米の上場企業に比して2%程度高い水準となっている38。先行研究39の中には、過剰な現預金の保有など保守的な流動性管理政策が長期的には企業の収益を弱める恐れを指摘しているものもある。我が国企業における現預金の蓄積は収益にどのような影響を与えているのか。

一般に、現預金の蓄積は、それが企業活動に有効活用されることにより収益力向上に寄与すると考えられる。こうした現預金と収益の正の関係は、現預金比率とROAの関係をみることで我が国の上場企業についても確認できる(第3-2-8図)。他方、現預金が投資に充てられることなく単に保有される場合などは資金効率の点で問題となる。そこで、企業の資金の活用方法の違いが収益に与える影響を検証するために、ここでは上場企業の投資規模別に現預金と収益の関係をみると、投資を多く行う上場企業(投資・総資産比率をもとに、三分位階級に分類したとき第1三分位階級に含まれる企業)では少ない上場企業(第3三分位階級に含まれる企業)に比べて両者の関係が強いことが示された(第3-2-8図(1)、(2))。これは、投資を多く実施する上場企業では、蓄積した資金をより収益性の高い事業に投資している可能性を示唆している。逆に、蓄積した資金を収益性の高い事業(ここでは、有形固定資産投資)に活用できない上場企業では資金効率が低くなる可能性が示されている。

こうした現預金比率と収益の関係はリーマンショック後に弱まっている可能性が示されている(第3-2-8図(3)、(4))。リーマンショック後に増加した現預金の保有を上場企業が効率的に収益の向上に結び付けることができていないといった可能性も指摘できるが、こうした背景には、リーマンショック後の経営環境における不確実性の高まりが、収益性の高い事業への投資といった上場企業の積極的な姿勢と不確実性への対応といった保守的な姿勢とのバランスに影響を与えていることも考えられる。

製造業、非製造業共に消極的な投資姿勢がみられている

企業の投資行動を検証するために、設備投資・キャッシュフロー比率の推移をみると、特にリーマンショック以降、現預金比率が高まる中で、低下傾向を続けてきたことが分かる(第3-2-9図)。キャッシュフローを上回って設備投資を行うケースを「積極的」な投資姿勢と考えると、日本企業は依然「消極的」な投資姿勢をとっており、製造業、非製造業の双方においてそうした姿勢に大きな変化はみられていない。

先述のとおり、企業が現預金を蓄積してきた背景には、長引くデフレ期待の下、投資機会を見出すことができなかったことや経済ショックへの備えなど様々であるが、経営者のマインドもまた重要な要因と考えられている。このため、効率的な経営が実現されるように株主などによる監視機能が十分働くような制度基盤を整備していくとともに、人的資本や組織資本を十分に活かす企業統治の在り方を目指していく必要がある40。そうした中、好決算を実現している企業については、新規の設備投資や大胆な事業再編、M&Aなどに積極的に活用し、資金効率を高めるとともにイノベーションにつなげていくことが期待される。

第1節では、サービス産業における生産性の低さを指摘したが、こうした分野では、製造業に比べ、国内外市場からの監視が相対的に弱いことに鑑みれば、コーポレート・ガバナンスの改善といった経営規律メカニズムは経営効率や積極的な投資の実現を図る上でより重要な役割を担う。

無形資産投資の重要性

企業の収益性や生産性の向上、またイノベーション活動の促進に向け、企業の積極的な投資は重要となるが、その際、有形資産投資のほかに、研究開発、ブランドの構築、経営組織の改善、さらには教育訓練による人材の質の向上等、こうした活動が蓄積された「無形資産」41への投資を重視する傾向が強まっている。我が国についてみれば、製造業を中心とした高水準の研究開発投資を背景に革新的資産への投資や情報化資産への投資が他の先進国と比べても高くなっている一方、経済的競争能力への投資は低くなっている(第3-2-10図)。

「日本経済2014-2015」では、こうした無形資産がTFP上昇率に与える影響を試算しているが、これによると経済的競争能力、情報化資産、革新的資産の順に生産性への影響が大きくなっていることが報告されている(付図3-242。今後、無形資産投資を通じて生産性を高めていくためには、経済的競争能力への投資を拡大していくことの重要性が示唆されているが、その際、企業の人的資源形成の取組、組織改革や人的資源管理等の経営手法の導入等を通じて、生産性押上げ効果を高めていくことが重要となっている。こうした中、革新的で付加価値が高い新製品やサービスを生み出すとともに、従来の製品やサービスについても、新しい技術や考え方を取り入れることで、イノベーションを促進していくことが期待される。

3 イノベーションと経済の好循環

イノベーションを経済成長へとつなげ、成長の果実が企業収益や雇用機会の拡大、賃金上昇、さらには消費の増加といった形を通じて経済全体に還元されていくことにより、経済の好循環を更に強固なものとすることが期待できる。これまで、生産性を通じたイノベーションの経済の供給面への影響を中心に検証してきたが、以下では、経済の需要面への影響を分析する。

イノベーションと潜在需要の喚起

イノベーションは生産性の上昇を通じて経済の供給力を高める一方、イノベーションにより新たな製品やサービスが生み出される場合、そうしたものへの需要を新たに喚起することが考えられる。例えば、高度成長期には海外から導入された技術を基にテレビや電気洗濯機、電気冷蔵庫などの耐久消費財が数多く生み出された。こうした新製品が消費者に普及していく過程で生産量も拡大し、関連製造業の発展を促す中で製造業への産業構造のシフトを引き起こすこととなった。その結果、国民所得が増加し、耐久消費財需要の更なる増大をもたらすとともに、企業の一層の技術開発や設備投資を促し、そうした取組が次なる新製品の開発や既存製品の性能の向上や価格低下に結び付いてきた。

こうしたイノベーションを起点とした耐久消費財需要の動きを1990年代以降についてみると、1990年代半ばにはパソコンの普及率が急速に高まり、その後もDVDや既に需要の飽和状態にあった家庭用テレビ市場において薄型テレビなどの新製品が生み出されると、そうした製品への需要が高まり新たな消費を喚起することとなった(第3-2-11図)。最近ではスマートフォンの普及率が急速に伸びているが、潜在ニーズを捉えたイノベーションは消費者の前向きな消費行動を生み、生産の拡大、所得の増加、そして更なる需要の拡大を通じて次のイノベーションにつながる可能性を秘めている。

イノベーションによる所得や消費への影響

ここでは、イノベーションの創出が所得や消費行動に与える影響について定量的な分析を試みる。具体的には、1994年から2014年の四半期データを基に、イノベーションの代理変数として用いるTFP43、賃金(実質単位労働費用)、そして消費性向(個人消費・GDP比率)の3変数から構成される構造VAR(Vector Auto Regressive)モデルを推計し、イノベーションの創出とみなす生産性ショックが賃金、消費行動に与える影響を分析した44

イノベーションの創出は、経済の供給面からみれば生産性の上昇を通じ賃金の引上げにつながると考えられるが、需要面からみるとイノベーションにより需要が顕在化した分野での消費者の前向きな消費行動を生み、その結果、生産の拡大、所得の増加、更なる需要の拡大という好循環につながる可能性を持つと考えられる。こうしたメカニズムを念頭にモデルにより推計される長期効果(構造ショックに1標準偏差ショックを与えた場合の各変数への毎期の効果の合計)をみると、生産性ショックは、長期的に賃金、消費行動にプラスの影響を与えることが示された(第3-2-12図)。ここでの結果は、イノベーションの創出が潜在需要の開拓を通じ、所得や消費の増加をもたらし経済の需要面にも波及する可能性を示唆している。

3-2 我が国のイノベーション政策

政府は、現下の最大かつ喫緊の課題である経済再生に向けて科学技術イノベーションの潜在力を活用するため、政策の全体像を示す「科学技術イノベーション総合戦略」(以下「総合戦略」という)を2013年6月に決定した。

「総合戦略」では、第4期科学技術基本計画と整合性を保ちつつ、科学技術イノベーションの成果をどのような経済社会の実現につなげていくのかという、出口志向の課題解決型政策運営を行う中で、2030年のあるべき経済社会の姿の実現に向け、当面、特に取り組むべき政策課題(<1>クリーンで経済的なエネルギーシステムの実現、<2>国際社会の先駆けとなる健康長寿社会の実現、<3>世界に先駆けた次世代インフラの整備、<4>地域資源を‘強み’とした地域の再生、<5>東日本大震災からの早期の復興再生)を示した。また、各政策分野における取組をより効果的なものとし、迅速にイノベーションを創出するための基盤の整備を行うため、重点的課題(イノベーションの芽を育む、イノベーションシステムを駆動する、イノベーションを結実させる)ごとの取組を掲げた。

「総合戦略」は、決定後の1年間の取組を踏まえ、5つの政策課題を解決するための3つの分野横断技術としてICT、ナノテクノロジー、環境技術を掲げるなどの新たな視点を追加することにより、「科学技術イノベーション総合戦略2014」(以下「総合戦略2014」という)として2014年6月に新たに取りまとめられた。

2015年6月には、2016年度から第5期科学技術基本計画が始まることを踏まえ、同計画を先取りしつつ、特に重点を置くべき施策を示した「科学技術イノベーション総合戦略2015」(以下「総合戦略2015」という)が取りまとめられた。

「総合戦略2015」では、第5期科学技術基本計画の円滑な始動に向け、新たに3つの政策分野(<1>大変革時代における未来の産業創造・社会変革に向けた挑戦、<2>「地方創生」に資する科学技術イノベーションの推進、<3>2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の機会を活用した科学技術イノベーションの推進)を掲げている。また、「総合戦略」や「総合戦略2014」の下で重点的に進めてきた取組の進捗等の把握・分析を踏まえ、2つの政策分野(<1>イノベーションの連鎖を生み出す環境の整備、<2>経済・社会的課題の解決に向けた重要な取組)において取り組むべき課題を定めている。


(24)モジュール化とは、製品を機能単位の要素(モジュール)に分解し、その組合せによって仕様のバリエーションを実現する方法。
(25)その後、2014年6月には「科学技術イノベーション総合戦略2014」が、2015年6月には「科学技術イノベーション総合戦略2015」が取りまとめられている。
(26)クロスアポイントメント制度とは、研究者等が大学、公的研究機関、企業の中で、二つ以上の機関に雇用されつつ、一定のエフォート管理の下で、それぞれの機関における役割に応じて研究・開発及び教育に従事することを可能にする制度。
(27)「ベンチャー有識者会議とりまとめ」(平成26年4月)の中では、「ベンチャーとは、新しく事業を興す「起業」に加えて、既存の企業であっても新たな事業へ果敢に挑戦することを包含する概念である。ベンチャーは、産業における新成長分野を切り拓く存在であり、雇用とイノベーションを社会にもたらす、経済活力のエンジンである」とその役割が議論されている。
(28)内閣府(2007)。
(29)新規・成長企業等と投資家をインターネット上で結び付け、多数の者から少額ずつ投資資金を集める仕組み。金融商品取引法の改正によって、1人当たり1社に対して、50万円を上限にインターネット上で未上場株式への投資が可能となっている。
(30)主として事業拡張期にあるベンチャー企業に投資するファンドであって、産業競争力強化法に基づき経済産業大臣から投資計画の認定を受けたファンドを通じて出資する企業が、出資額の8割を限度として新事業開拓事業者投資損失準備金を積み立た場合に、その積み立てた金額を損金算入できる。
(31)科学技術・イノベーション分野における国際共同研究(論文)の割合をみても、日本(22%)は韓国(25%)と並びOECD諸国の中でも低くなっている。
(32)2015年6月より我が国の上場企業を対象に適用が開始された「コーポレートガバナンス・コード」において、コーポレート・ガバナンスとは、「会社が、株主をはじめ顧客・従業員・地域社会等の立場を踏まえた上で、透明・公正かつ迅速・果断な意思決定を行うための仕組み」とされている。
(33)「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト(伊藤レポート)「最終報告書」(2014年8月)には、「長期的に資本コストを上回る利益を生む企業こそが価値創造企業である」としたうえで、「グローバルな投資家と対話をする際の最低ラインとして8%を超えるという水準を意識し、さらに自社に適した形で水準を高め、持続的な成長につなげていくことが重要」とある。
(34)2013年6月に閣議決定された「日本再興戦略」では、「機関投資家が、対話を通じて企業の中長期的な成長を促すなど、受託者責任を果たすための原則(日本版スチュワードシップ・コード)について検討し、取りまとめる」との施策が盛り込まれた。これを受けて、2014年2月に「責任ある機関投資家の諸原則」が策定・公表され実施に移されている。2015年5月末までに、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)を含む計191の機関投資家が受け入れ。
(35)独立社外取締役(一般株主と利益相反が生じる恐れのない社外取締役)を選任する上場企業比率(東証第1部)は、2013年の47%から2015年には85%に上昇。
(36)2015年3月、金融庁・東京証券取引所を共同事務局とする「コーポレートガバナンス・コードの策定に関する有識者会議」のもとで「コーポレートガバナンス・コード(原案)」がとりまとめられた。その後、東京証券取引所において、同コード原案をその内容とする「コーポレートガバナンス・コード」が制定され、2015年6月より適用が開始された。
(37)Aoyagi and Ganelli(2014)。
(38)なお、2013年度の我が国企業の保有する現預金等の水準を売上高比でみると、現預金等の水準は1社当たり約7,300万円であり、売上高の約1.7か月分程度となっている。また、企業規模別にみると、大企業(資本金1億円以上)では1社当たり約28億円で売上高の約1.3か月分程度、中小企業(資本金1億円未満)では1社当たり約4,200万円で売上高の約2.2か月分程度となっており、中小企業の方が売上高比の現預金等の水準が高くなっている(財務省「平成25年度法人企業統計年報」により作成)。
(39)Shinada(2012)。
(40)Aoyagi and Ganelli(2014)では、コーポレート・ガバナンスの向上により企業の現預金保有が低下する可能性を指摘している。
(41)無形資産は、大きく分けて「情報化資産(computerized information)」、「革新的資産(innovative property)」、「経済的競争能力(economic competencies)」の三つに分類される。情報化資産は、ソフトウェア、データベース等が該当する。革新的資産には、研究開発(R&D)や製品開発のほか、著作権・ライセンス、デザイン、鉱物資源探査等が含まれる。また、経済的競争能力は、ブランド資産、市場調査関連支出、企業独自の人的資本形成の取組、組織改革等が該当する。
(42)実際に、無形資産が生産性の上昇に結び付くかどうかは不確実性が高い。研究開発はもちろんであるが、広告・宣伝によるブランド資産の形成、経営層のリーダーシップによる経営組織改革等は、その効果をめぐる不確実性が高いだけでなく、コストと成果の関係の把握も容易ではない。このため、無形資産投資と生産性の関係を評価する際は、相当の幅を持ってみる必要がある。
(43)安藤他(2010)では、「成長会計以外に確立したイノベーションの計測方法があるわけではない」と述べたうえで、標準的な手法である成長会計分析ではイノベーションの動態を正しく把握することができない旨を議論している。その理由として、<1>TFPは需要が変動する場合に生産性の動きを正しく把握することができない、また、<2>需要の急激な成長が研究開発投資を促進し生産性が向上したような場合(生産性上昇の本源的な理由が需要の拡大にある場合)、TFPを計測して事後的に評価すると研究開発投資こそが生産性の向上をもたらしたようにみえ、需要の果たした研究開発喚起効果を捉えることができないといった点を指摘している。分析結果の評価に際しては、イノベーションの計測に係るこうした限界に留意する必要がある。
(44)推計方法については付注3-3を参照。
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