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第2節 金融政策のレジーム転換と物価動向

本節では、まず、金融政策のレジーム転換を中心に日本銀行のデフレ脱却に向けた取組を整理する。次に、緩やかな物価下落が続いてきた我が国の物価動向を概観し、デフレがもたらした経済的コストを整理するとともに、最近見られるデフレ状況の変化について確認する。最後に、財・サービスの供給側である企業の価格設定や賃金設定行動に関して分析を行う。

1 デフレ脱却に向けた金融政策のレジーム転換

日本銀行のデフレ脱却に向けた積極的な政策対応を整理した上で、金融政策のレジーム転換が市場の期待に及ぼした影響を確認する。また、今後の金融政策運営における諸課題についても論ずる。

(1)デフレ脱却に向けた取組67

デフレからの早期脱却などを実現するための政府と日本銀行の連携強化、2013年1月以降の金融政策の変更などを概観し、それらが金融市場に及ぼした影響について整理する。

政府と日本銀行の連携強化と政策レジームの転換

2013年1月22日、政府と日本銀行は、「デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携について」という共同声明を発表した68。その中には、「2%」の「物価安定の目標」が盛り込まれ、日本銀行がその早期実現を目指すことが明示された。他方、政府は、日本経済の競争力と成長力の強化に向けた取組を具体化するとともに、「日本銀行との連携強化にあたり、財政運営に対する信認を確保する観点から、持続可能な財政構造を確立するための取組を着実に推進する」こととされた。さらに、共同声明に示された政策対応の実効性を確保するために、経済財政諮問会議において、定期的に金融政策、「物価安定の目標」に照らした物価の現状と今後の見通しなどについて検証が行われることとなっている。

金融政策に関して、日本銀行は、2013年1月22日に、「物価安定の目標」として、海外先進国の多くの中央銀行が採用しているインフレ目標値を初めて設定し、金融政策の枠組みを大きく転換した69。2013年4月4日には、「量的・質的金融緩和」が導入された70。こうした大胆な金融政策は、以下のような波及経路を通じて、デフレ脱却に寄与することが期待される(第1-2-1図)。第一に、金融政策の枠組みを変更したことにより、政策を分かりやすく伝えられるようになり、政策の透明性が高まると同時に説明責任が強化された。第二に、金融政策のレジーム転換が経済主体の期待形成に働きかけて、予想物価上昇率を引き上げることが考えられる。第三に、実質金利の低下やポートフォリオ・リバランス効果を通じて、金融環境が改善し、それがマクロの需給バランスの改善に寄与すると考えられる。

なお、我が国がデフレから脱却する上で、景気回復と企業収益の改善に伴って、企業の収益力向上の成果が適切に勤労者に分配され、賃金が持続的に上昇していくことが重要であるため、政府は賃金引上げに向けた取組も進めている。2013年度税制改正では、給与等支給額を増加させた場合、法人税額の一定割合を税額控除できる「所得拡大促進税制」が創設された。安倍総理大臣は、2013年2月12日に「デフレ脱却に向けた経済界との意見交換会」に出席し、経済界に対して、業績の改善した企業から労働者の賃金を引き上げるように要請した71。農林水産省及び国土交通省は、2013年度の公共工事設計労務単価を約15%引き上げることを決定した。

「物価安定の目標」の導入と予想物価上昇率の安定化

日本銀行が導入した「物価安定の目標」では、消費者物価の前年比で2%という目標値が定められ、できるだけ早期にその実現を目指すとしている。これまでも、日本銀行は、2006年3月の「中長期的な物価安定の理解」、2012年2月の「中長期的な物価安定の目途」などによって、金融政策における物価のとらえ方を示していた。しかし、その目標値としての位置付けが明確でなかったことなどから、インフレ目標とは隔たりが大きいと指摘されることが多く、世界のインフレ目標採用国の状況を取りまとめたHammond(2012)やJohan(2012)においても我が国は非採用国として扱われていた72

一般に、インフレ目標の長所としては、金融政策の透明性の向上や説明責任の明確化などの定性的なものだけでなく、予想物価上昇率を安定化させる機能があることが知られている。実際に、インフレ目標を早期に導入したニュージーランド、カナダ、英国について、予想物価上昇率の動向を確認しよう(第1-2-2図(1)~(3))73。ニュージーランドとカナダは、予想物価上昇率の変動が実際の消費者物価上昇率よりも明らかに小さい。特に、カナダの予想物価上昇率は、当該期間において一度もインフレ目標の範囲から外れることがなく、消費者物価上昇率が上振れた場合だけでなく、下振れた場合にも、インフレ目標による安定化機能が十分働いたといえる。

他方、英国の予想物価上昇率は、実際の消費者物価上昇率と同じように変動しており、2007年末以降と2010年前半以降の消費者物価上昇率が高まった局面においては、一時的要因もあり、インフレ目標の範囲から上振れるなど、必ずしも安定しているとは言えない74。英国では、インフレ目標が実現できない場合、中央銀行総裁が財務大臣に公開書簡を送付するなどの説明責任義務を負って対応しており、今のところ、金融政策の枠組みに対する信頼は損なわれていない75

これまでの我が国の予想物価上昇率は、実際の消費者物価上昇率よりも安定的に推移しているが、現在の目標値である2%と比べると、かなり低位で推移している。低い予想物価上昇率は、長期にわたるデフレによって、デフレ予想が定着してしまっていることを意味しており、我が国においては、予想物価上昇率の安定化より予想物価上昇率の水準を引き上げることが重要であることが分かる。2013年に入ってからは、日本銀行によるデフレ脱却に向けた大胆な金融緩和への期待などを背景に、予想物価上昇率は上昇傾向にある。

「量的・質的金融緩和」の導入

日本銀行の「量的・質的金融緩和」では、(1)金融市場調節の操作目標を無担保コールレート(翌日物)からマネタリーベースに変更、(2)長期国債の買入れ額の拡大、(3)買入れ国債の年限長期化、(4)ETF(上場投資信託)とJ-REIT(上場不動産投資信託)の買入れ額の拡大、などが決定された76。また、日本銀行は、「物価安定の目標」を2年程度で達成するという目安や、「量的・質的金融緩和」を「物価安定の目標」を安定的に持続するために必要な時点まで継続するという時間軸も示した77

政策目標については、2014年末のマネタリーベースの残高を、2012年末の約2倍である270兆円にするという量的な目標値を設定した。我が国のマネタリーベースは、リーマンショック後の積極的な金融緩和政策によって、2009年に入ってから増加傾向にあり、2012年末において過去最高水準の138兆円に達していた(第1-2-3図(1))。それを2年間でさらに2倍に拡大させるという新たな量的目標は、市場の予想を超える大胆な政策変更であった。

このようにマネタリーベースを大幅に増やす背景として、リーマンショック以降、我が国のマネタリーベースの拡大が諸外国に比べて十分でなかったことが挙げられている78。日本、アメリカ、英国、ユーロ圏のマネタリーベースの推移を比較すると、確かにアメリカと英国に比べて、日本の拡大幅が限定的であったことが分かる(第1-2-3図(2))。マネタリーベース拡大による政策効果としては、長期国債の買入れ拡大に伴う金利上昇抑制、潤沢な資金供給によってリスク資産運用や貸出を増やすポートフォリオ・リバランス効果、予想物価上昇率を直接的に押し上げる効果、為替レートの減価を通じて輸出や生産を拡大させる効果などが知られている79

金融市場の政策レジーム転換への反応

これまで見てきた政府と日本銀行の取組に対して、金融市場はどのように反応したのであろうか。為替相場の動向を見ると、ドル円レートはデフレ脱却に向けた政権の施策への期待、貿易赤字の拡大、ユーロ圏の金融安定化に向けた取組やアメリカ経済の回復の動きなどを背景に、2012年末頃から円安方向への動きが加速し、国際金融市場(IMM)先物取引では円の売越し幅が拡大した(第1-2-4図(1))。2013年4月のデフレ脱却のための大胆なコミットメントを示した日本銀行の「量的・質的金融緩和」によって、再び円安方向への動きが強まり、4月中旬には、円は1ドル99円台まで下落した。さらにアメリカの良好な経済指標などを受けて、5月前半に、円は1ドル100円台をいったん回復した。

株式市場では、円安方向への動きや経済対策によって企業収益が改善するとの期待が高まり、株価は為替レートと同調するように、2012年末頃から上昇傾向となった(第1-2-4図(2))。海外投資家が大幅に買い越す一方、国内投資家は概して売越し傾向にあり、外国人投資家主導の相場上昇という特徴が見られた。REIT(不動産投資信託)も、デフレ脱却に向けた政策対応によって地価や賃料が上昇するとの見方が強まり、大きく上昇した。また、REITの分配金利回りの相対的な高さが再評価され、インカムゲイン(配当金収入)を期待した買いも見られた。

長期金利は、2013年に入ってから下落傾向が続いた。「量的・質的金融緩和」が導入された2013年4月4日には、10年国債利回りは一時0.425%まで低下し、2003年6月11日に付けた過去最低の0.430%を下回った。翌日の債券市場では、10年国債利回りが、一時0.315%まで低下した後に、前日比プラスまで急速に上昇するなど大きく変動した。その後も、長期金利はしばらく変動幅の大きい状況が続いている。また、市場の予想物価上昇率を示す指標の一つとして利用されているブレーク・イーブン・インフレ率(BEI:Break Even Inflation Rate)は、日本銀行が「物価安定の目標」を導入した頃から上昇テンポを速め、2013年2月中旬以降は1%台で推移している80

このような金融市場の反応からは、(1)政府と日本銀行の取組が好感され、市場参加者のマインドが大きく改善したこと、(2)大胆な金融政策が2013年1月と4月に相次いで打ち出されたことが我が国の金融政策に対する信頼を高めたこと、などが指摘できる。さらに、こうした変化は、我が国のようにデフレ状況が続き、ゼロ金利という制約下にあっても、金融政策を始めとする政策対応によって金融市場の期待に強く働きかけられることを示唆している。

「量的・質的金融緩和」の金利への影響

国債市場について、国債金利の動向を見てみよう。2013年2月以降の金利低下局面において、金利の低下幅が大きかったのは超長期ゾーン(20年、30年)の国債であり、その結果、イールドカーブがフラット化した(第1-2-5図(1))。この背景には、日本銀行が、一段の金融緩和のために国債の買入れ年限を延長するとの見方や海外金利の低下などがあったと指摘されている。4月4日の「量的・質的金融緩和」の導入後に金利は更に低下したものの、これまで速いペースで進行した金利低下の反動や、価格変動リスクを回避するための売りが膨らんだことなどから、4月5日以降、金利は上昇基調となった。

2000年以降の過去の主要な金融政策変更に対する国債イールドカーブの反応を日次データで確認すると、政策変更後に金利の変動幅が最も拡大したのは、「量的・質的金融緩和」の導入である(第1-2-5図(2)(3))。その前日と当日の変化を見ると、年限が5年超の国債利回りが低下し、年限が長くなるにつれて低下幅が大きかった。しかし、翌日になると、10年未満の国債利回りは政策変更前日と比べ上昇に転じるなど、大胆な金融政策の内容に対する評価が定まらず、短期間で金利が上下に変動した。その後、しばらく金利変動の大きい状況が続き、日本銀行は4月、5月と、市場関係者との意見交換を踏まえた国債買入れの運営の見直しや、国債買入れオペ、長めの資金供給オペ(1年物)の実施などによる対応を行った。

2013年1月22日に「物価安定の目標」が導入されたときは、我が国の金融政策において重要な転換点であったものの、国債イールドカーブはほとんど変化していない。また、過去に遡ると、2001年3月19日に導入した「量的緩和政策」によるイールドカーブの押下げも大きかった。金融政策決定会合の終了が夕方であったため発表当日の金利は変化せず、翌営業日に金利が大きく低下した。

(2)金融政策運営上の諸課題

日本銀行には、「物価安定の目標」の達成を通じて物価の安定を確保し、持続的な経済成長の実現に資する政策運営を行うことが求められている。しかし、現在の金融緩和政策の効果などに対する懸念が一部から指摘されている。ここでは、そうした金融政策運営上の諸課題について論ずる。

GDPデフレーターの変動要因としてのマネタリーベース

日本銀行は、2013年4月に金融市場調節の操作目標をマネタリーベースに変更して、デフレ脱却を目指している。しかし、GDPデフレーターの変動要因を確認すると、1990年代前半以降、マネタリーベースの増加は貨幣乗数(マネーストック/マネタリーベース)の低下によって大きく相殺される傾向にあり、必ずしも物価の押上げにつながっていない(第1-2-6図(1))。リーマンショック以降、貨幣乗数の低下傾向は、主に金融部門における準備/預金比率要因の押下げ(準備/預金比率は上昇)によって生じている。これは日本銀行の金融緩和によって準備預金が増加したものの、それが期待されたほど貸出の増加につながらず、預金が十分に増加していないためである(第1-2-6図(2))81。また、貨幣の流通速度(名目GDP/マネーストック)も、景気悪化などを背景にして、マネタリーベースが増加している時期に、GDPデフレーターの押下げに寄与することが多い。

すなわち、かつての「量的緩和政策」では、金利が低下しても貸出が増えないこと(流動性の罠)などを背景とする貨幣乗数の低下によって、物価に働きかける効果が損なわれていた可能性がある。我が国がデフレから脱却するには、マネタリーベースの量的な拡大とともに、経済主体の将来の期待に働きかけて流動性の罠から抜け出し、貨幣乗数や貨幣の流通速度を低下させないような対応が重要である。日本銀行の「量的・質的金融緩和」では、マネタリーベースを2倍に拡大するといった量的な緩和だけでなく、国債の買入れ年限を延長するなど、質的な緩和も強力に進めるとともに、2%の「物価安定の目標」の実現を目指し、これを安定的に持続するために必要な時点まで継続することとしている。また、2013年6月、日本銀行は、2012年12月に導入した「貸出増加を支援するための資金供給」による第1回目の貸付を、金融機関に対して約3.1兆円実施した。

資産バブルの抑制にはプルーデンス政策が重要

大胆な金融緩和を行うと、地価や株価などの資産価格の上昇期待が過度に高まり、1980年代後半のような資産バブルが再び発生するのではないかという懸念が一部から指摘されている。我が国の長期的な景気低迷がバブル崩壊を起点としていることや、2000年代後半の欧米住宅バブル崩壊後に百年に一度といわれた世界景気後退が発生したという史実を踏まえると、金融緩和政策が過度なリスク・テイキングなどを経由して資産価格に及ぼす影響については、十分注意しなければならない。過去の経験から得られた教訓としては、以下の点についても再認識する必要があろう。

我が国のバブル発生前後において、消費者物価と地価の連動性はあまり明確でない。一方、不動産融資と地価は連動して動く傾向にあった(第1-2-7図(1))。このような関係はアメリカの消費者物価、住宅価格、住宅ローン残高についても同様である(第1-2-7図(2))。日米の経験からは、特定の資産に対する過剰な融資によって、資産バブルが助長されたと考えられる。不動産融資に関しては、金融機関の貸出姿勢や信用リスク管理体制など、金融政策以外の様々な要因が影響することを踏まえると、物価の安定を目標とする金融政策のみによって、それを適切にコントロールすることは難しい。資産バブルの発生を抑えるためには、金融緩和の資産価格への影響に注意を払いつつ、個別金融機関に対する検査や考査などのミクロ・プルーデンス政策、金融システム全体の安定性を監視するマクロ・プルーデンス政策82を適切に行うことが重要であり、こうした認識は国際的にも強まっている。

1-4 テイラー・ルールの前提条件の違い

金融政策運営を巡っては、古くから「ルール」対「裁量」という論争がある。これは、中央銀行の金融政策運営が裁量的に行われるべきか、一定のルールに従うべきかについての争いであり、Kydland and Prescott(1977)やBarro and Gordon(1983)などの研究以降、理論と実証の両面から、長年にわたって活発な議論が続いている83。現実には、「ルール」と「裁量」の一方だけが正しいと決めることはできず、近年の先進国の金融政策運営を見ると、基本的にはルールに従いつつ、ある程度の裁量は必要という考え方が主流である。中央銀行の政策金利の決定に関するルール(政策反応関数)では、Taylor(1993)が提示したテイラー・ルールが有名である。これは、政策金利が、(1)現実の消費者物価上昇率と目標とする消費者物価上昇率の乖離、(2)現実のGDPと潜在GDPの乖離(GDPギャップ)、に応じて決まるという単純な考え方に基づく。実際の金融政策決定はこのような簡単なルールによって実施されているわけではないが、過去のアメリカの金融政策をうまく説明できたことなどから、日本でも、金融政策運営を評価するための有効なベンチマークの一つとして多用されている。

ただし、テイラー・ルールを利用する際、前提条件によって結果にばらつきが生じることに留意が必要である。実際、(1)インフレ目標値、(2)利用する物価指標、を変更した場合のテイラー・ルールに基づく政策金利を比較すると、前提条件によって生じるばらつきは、決して無視できる大きさではない(コラム1-4図)。日本銀行の前回の金利引上げ時(2006年7月)には、利上げが示唆されるケース、示唆されないケースの両方がある。さらに、パラメータの設定や推計方法によっても違いが生じる(付図1-5)。日本銀行の政策金利の調整の適切性を確認する上で、テイラー・ルールは今後も重要な羅針盤になると考えられるが、以上の検討から明らかなように、金融政策運営の評価において、テイラー・ルールを利用する際には、ある程度の幅を考慮することが重要である84

財政ファイナンスと金利上昇リスク

「物価安定の目標」を達成するための金融緩和政策の一環として、日本銀行が国債購入の増額を進めると、市場が財政赤字のファイナンスに対して疑念を抱く可能性がある。それは我が国の財政規律に対する信認を毀損し、リスクプレミアムの増大を通じた長期金利の急上昇を招くおそれがあるとの指摘も見られる85。急激な金利上昇の我が国経済への影響としては、(1)政府の利払費が急増して財政の持続可能性が大きく低下すること、(2)国債を大量に保有する金融機関が金利上昇(=国債価格の下落)によって巨額の損失を余儀なくされ、金融システム不安が発生する懸念があること、(3)企業の資金調達コストの上昇や資金繰りの悪化に伴う企業経営への影響、(4)家計の住宅ローンの返済増、などが挙げられる。

実際には、我が国において、現在、そうした金利上昇は起きていない。財政法の第5条において日本銀行の国債引受けを禁止していること、政府が財政健全化に向けた取組を進めていることなどを背景に、今までのところ、国債に対する信認は維持されているといえる。ただし、「量的・質的金融緩和」により、市場が財政赤字のファイナンスに対して疑念を抱く可能性があるとの指摘もあるため、日本銀行には、引き続き市場との対話を強化するとともに、政策の透明性を高めることが求められている。また、政府においても、引き続き持続可能な財政構造を確立するための取組を進め、財政運営に対する信認を確保することが重要である。

2 デフレ状況に見られる変化

これまで緩やかな下落傾向が続いてきた我が国の消費者物価の動向を整理するとともに、大胆な金融緩和などを背景に、2013年春以降に見られるデフレ状況の変化について確認する。また、デフレ脱却の意義を考えるために、デフレの経済的な弊害について検討し、その最近の変化も取り上げる。さらに、円安方向への動きが消費者物価に及ぼす影響などについて検証する。

(1)消費者物価の前年比下落幅が縮小

最近の消費者物価の動向から、我が国のデフレ状況の変化を概観した上で、平均購入単価の動きに着目して、家計の「低価格志向」についても変化が見られることを確認する。さらに、デフレの背景を、消費者物価の要因分解と日米のフィリップス曲線の比較を通じて整理する。

緩やかなデフレ状況に変化

消費者物価について、連鎖基準方式の「生鮮食品を除く総合(いわゆるコア、以下「コア」という)」の前年比の推移を見ると、下落幅は2012年秋以降に拡大傾向にあったが、2013年5月に縮小した(第1-2-8図(1))。耐久消費財は、エアコンやテレビにおいて商品の出回りの変化が指数に反映されたことによる押上げ効果が剥落し、2013年に入って下落寄与が小幅に拡大した86。しかし、5月は、テレビの下落幅が縮小したことなどにより、耐久消費財の下落寄与が縮小した。エネルギーの押上げ寄与は、2012年秋以降、為替レートが円安方向へ進んだ一方、国際商品市況が弱含んだことから、おおむね横ばいの状況が続いている。なお、5月は、関西電力と九州電力の家庭向け電気料金の値上げの影響が見られる。

物価の基調的な動きを捉えるため、連鎖基準方式の「生鮮食品、石油製品及びその他特殊要因を除く総合(いわゆるコアコア、以下「コアコア」という)」の動きを確認する。コアコアの前年比は、2012年初めまで下落幅が縮小してきたが、その後は2013年2月まで徐々に下落幅が拡大した(第1-2-8図(2))。この背景としては、家電エコポイント制度の終了などによって拡大していた耐久消費財の下落寄与の縮小が止まるとともに、この時期に小売企業の値下げ戦略が広範な品目で展開されたことによって食料及びその他の財87の下落寄与が緩やかに拡大したことが挙げられる。なお、物価指数の採用品目の上下動の割合に着目して、上昇している品目の割合から下落している品目の割合を引いて求めた「物価DI」を見ても、2012年初めから2013年1月にかけて、食料及びその他の財の価格低下が、幅広い商品に広がりを見せながら進行した様子がうかがえる(第1-2-8図(3))。

ただし、2013年3月以降は、耐久財の下落寄与の縮小や食料価格の下落傾向の一服などを背景に、コアコアの前年比下落幅が縮小している。また、円安方向への動きによる輸入コストの上昇を受けて、一部の食料品や耐久消費財などの出荷価格の引上げに向けた動きも見られ、これらが先行きの消費者物価の押上げに作用し得ると考えられる。

こうした消費者物価の動向などから総合的に判断すると、物価が持続的に下落するという意味において、我が国経済はなお緩やかなデフレ状況が継続しているものの、2013年3月以降、変化が見られる。

家計の低価格志向の緩和を背景に平均購入単価が上昇

長期にわたるデフレが消費者の低価格志向を強め、それが企業の値下げ競争を引き起こし、物価下落圧力となっていることがしばしば指摘される。ここでは、こうした家計の低価格志向の動きを検証する。

持家の帰属家賃やエネルギーを除いた上で、消費者物価と平均購入単価を比較すると、2006年から2007年の円安と景気回復が同時に進行していた時期には、消費者物価が緩やかに下落していたのに対して、平均購入単価は上昇していた(第1-2-9図(1))88。そのため、家計の消費行動は品質の高い商品へシフトしていたと見られる。他方、リーマンショック後の局面について見ると、消費者物価と平均購入単価がともに下落している。すなわち、物価水準が下落するとともに、家計は低価格な商品、廉価な店舗へ消費行動をシフトしたと考えられる89

2011年末から2012年春頃までは、平均購入単価が持ち直す動きも見られたが、その後は再び下落に転じた。前述したように、この頃は、小売企業が値下げ戦略を打ち出し始めた時期と一致する。項目別に見ると、「生鮮食品を除く食料」と「外食」の平均購入単価の下落が顕著であり、「被服及び履物」も小幅ながらも下落幅を拡大した(第1-2-9図(2)~(4))。家計は、割安なプライベートブランド食品、低価格帯の飲食店、価格の安い衣料品を選好して消費を行っていたと考えられる。

ただし、2013年1月以降は、平均購入単価が上昇に転じており、家計の低価格志向は緩和しつつあると考えられる。この背景としては、緊急経済対策の効果や大胆な金融政策に対する期待などから、2013年1月以降、消費者マインドが改善傾向にあることが挙げられる。

1-5 購買行動と景気

財やサービスの需給が反映される物価は、しばしば経済の体温に例えられる。しかし実際の物価指数は、景気変動に対して遅れて動く遅行指数であり、足下の物価指数から現在の「体温」を読み取ることは容易ではない。他方、実際に購入された財・サービスの価格から算出した平均購入単価(=支出金額/購入数量)は、物価変動に加えて、所得環境の改善による高額商品へのシフトや節約志向の高まりによるディスカウント店へのシフトといった、その時々の人々の購買行動がそのまま反映されるため、景気に対する感応度は高いと考えられる。さらに、平均購入単価から物価変動の影響を除けば、そこには実質的な意味での人々の購買行動が表れると期待できる。

そこで、平均購入単価を消費者物価で割ったものを仮に「購買行動指数」とすると、短期的な振れを伴いつつも、実質GDPの動きとの一致性の高さが確認できる(コラム1-5図(1))。また、両者を散布図にすると、明瞭な右上がりの関係が見られる(コラム1-5図(2))。こうしたことから、購買行動指数には、足下の経済の状況を知る上で有用な情報が含まれていると考えられる90

最近は予想物価上昇率が物価の押上げに作用

こうした消費者物価の現状と背景を理解するために、コアの変動を、(1)マクロの需給バランス(GDPギャップ)、(2)予想物価上昇率、(3)現金給与総額、(4)その他外生要因(石油製品の輸入物価)、に分解すると、近年の特徴として以下の点が指摘できる(第1-2-10図)。

まず、2009年末以降のデフレ局面においては、我が国の総需要低迷を背景に、GDPギャップ要因が常にデフレ圧力として作用している。リーマンショック後の景気後退期には、企業収益が落ち込み、給与が大幅に減少したため、現金給与総額要因の物価押下げ寄与が拡大した。また、1990年代後半以降のいずれの景気後退期においても、GDPギャップ要因と現金給与総額要因が揃ってマイナス方向に大きく動き、デフレ圧力を相乗的に強める傾向が見られる。

他方、予想物価要因は、資源輸入価格の上昇や消費者マインドの改善などを受けて、2011年後半から継続して物価押上げ要因となっている。2000年代前半のデフレ局面において、予想物価要因が、消費者のデフレ予想の広がりなどによって、物価押下げに作用していたのとは対照的な動きとなっている。石油製品要因は、国際商品市況や為替レートの動きを反映して変動しており、2013年に入ってからは小幅なプラス寄与となっている。

需給バランスと消費者物価上昇率の関係を上方シフトさせることが重要

今回のデフレ局面において、GDPギャップが継続的に消費者物価(コア)の押下げ寄与となっていることを指摘したが、近年、先進国を中心に、GDPギャップと消費者物価上昇率の関係が以前に比べて弱くなっていることが指摘されている。ここでは、こうした構造変化が生じているか否かを検証する。

日米のフィリップス曲線を比較してみると、両者に共通する点として、(1)曲線が次第に下方にシフトしていること、(2)曲線の傾きが小さくなっていること、の2つが指摘できる(第1-2-11図)。前者は、予想物価上昇率の低下と考えられる。また、後者の背景としては、消費者物価上昇率の低下に伴って価格改定頻度が低下していることや、企業が世間相場を重視して自社商品の価格設定を行うようになったことなどが指摘されている91

こうした構造変化により、近年は、GDPギャップのマイナス幅が縮小しても、消費者物価が過去よりも上昇しにくく、その上昇ペースも緩やかなものにとどまる傾向にある。そのため、長引くデフレから脱却するには、大胆な金融緩和を進めることなどによって経済主体の期待形成に直接働きかけることが重要だといえる92。なお、この大胆な金融緩和に加え、政府は、機動的な財政政策と民間投資を喚起する成長戦略を一体的に進めている。

(2)デフレの弊害とその緩和の動き

我が国の経済にとってデフレ脱却がなぜ重要であるかを答えるためには、デフレの弊害について理解する必要がある。デフレが実体経済に影響を及ぼす経路として、(1)実質金利の高止まり、(2)デフレと円高の相互作用、(3)海外生産移転の進行、(4)雇用面の調整、という4点について考察し、最近一部に見られる緩和の動きについても確認する93

実質金利の高止まりによる経済的コストと最近の金利動向

金融緩和政策によって名目金利がゼロ近傍まで低下すると、名目金利をそれ以上引き下げることができないため、消費者物価上昇率がマイナスの場合には、実質金利(名目金利-消費者物価上昇率)が高止まりすることになる。実際に、日本、アメリカ、ユーロ圏、英国の名目金利と実質金利の推移を比較すると、いずれの国においても、リーマンショック後の積極的な金融緩和政策によって、名目金利は非常に低位で推移している(第1-2-12図(1))。しかし、実質金利を見ると、デフレ状況が続いている我が国では、他国に比べて高止まりしていることが明確であり、その結果、実質的な金融緩和効果も低下していることが分かる(第1-2-12図(2))。

実質金利が十分に下がらなければ、企業や家計の資金調達コストが高まり、設備投資や住宅投資が抑制され、マクロの総需要が縮小する。さらに、総需要の縮小によって企業所得が減少し、雇用者報酬も低下する。こうした波及経路を通じた実体経済の悪化度合いは、デフレが深刻なほど、デフレ期間が長引くほど大きくなる。

そこで、実質金利の高止まりを経由したデフレの経済コストを、内閣府の短期マクロ計量モデルによって推計した(第1-2-13図94。それに基づくと、2009年度~2011年度の実質金利の高止まりによって、我が国の実質GDPは累積で8.5兆円程度押し下げられている。我が国の物価下落の進行ペースは緩やかであるが、それが長期化しているため、時間の経過とともに総需要の縮小幅が拡大する。需要項目別に見ると、設備投資の落ち込みが顕著である。また、法人企業所得の減少に比例する形で、雇用者報酬も減少しており、前述の消費者物価関数の議論を踏まえると、それらが相乗的に物価下落に作用している面もあると考えられる。

ただし、最近になって、こうした実質金利の高止まりの状況に変化の兆しが出始めている。予想物価上昇率による実質金利の推移を見ると、2013年に入ってから予想物価上昇率が高まる中で、実質金利はマイナスまで低下した(付図1-6)。実質金利の水準は、ある程度の幅を考慮する必要があるものの、今後は、実質金利の低下の動きが設備投資など実体経済の改善に作用することが期待される。

デフレと円高の相互作用に歯止め

我が国のこれまでのデフレの特徴として、デフレと円高が相互作用的に進行してきたことが指摘できる。主要国の名目実効為替レートの推移を見ると、我が国の為替レートは長期にわたって上昇トレンドにある(第1-2-14図(1))。おおむね横ばい圏内で推移してきたカナダとユーロ、総じて下落傾向にあったアメリカと英国とは様相が異なっている。リーマンショック後の動向を見ても、主要通貨に比べて円だけが急速に上昇したことが分かる。2012年秋以降、経済対策と金融政策に対する期待感や海外経済の持ち直しなどを背景に、為替レートは円安方向への動きが進み、デフレと円高の相互作用に歯止めが掛り始めている。

また、実効為替レートの名目と実質の比から、自国と貿易相手国全体の物価比の推移を確認しよう。我が国は、消費者物価上昇率が他国よりも低い状況が続いていることから、一貫して右肩下がりの動きとなっている(第1-2-14図(2))。購買力平価説に基づくと、このようなインフレ格差によって我が国の為替レートは増価する。日米の絶対・相対購買力平価とドル円レートの関係をみると、長期的には購買力平価に沿う形で円高が進行している(第1-2-15図95。今後は、大胆な金融緩和などによるデフレからの早期脱却やインフレ格差の縮小などが期待される。

さらに、デフレが購買力平価を通じて円高を招くのみならず、円高が輸入物価や国内企業物価を経由してデフレ圧力となる。国内企業物価のうち、国内向けに供給される最終消費財について、国内品と輸入品に分けて寄与度を見ると、為替レートが円高に振れる局面では輸入品の下落寄与が拡大している(付図1-7)。しかし、2012年秋以降、円安方向への動きが進んだことから、最近は、輸入物価や国内企業物価を経由したデフレ圧力が解消しつつある。

1-6 均衡為替レートの選択

2国間の名目為替レートの水準が適切であるかを評価する場合、長期的に収束すると考えられる均衡為替レートと実際の為替レートを比較することが多い。均衡為替レートとして利用される指標を、(1)購買力平価、(2)実質為替レート、(3)採算為替レート、の3つに大きく分類した(付表1-8)。実際の分析においては、以下の点に留意する必要がある。

第一に、いずれの指標にも長所と短所があり、優劣をつけることは難しい。例えば、為替の企業への影響に関しては、価格指数に基づく絶対的購買力平価よりも投入コストに基づく他の均衡為替レートの方が適切という指摘がある一方、定義の違いや推計方法などの問題は後者の方が大きいとの見方が多い。また、OECDが公表する絶対的購買力平価は、非貿易財を含むという短所がしばしば指摘される。しかし、絶対的購買力平価の長所と他の指標の短所を総合的に判断すると、絶対的購買力平価は、2国間の生活水準の比較という意味において、均衡為替レートとして活用できると考えられる。こうした各指標の特徴を理解した上で、分析目的に適した指標を選択することが重要である。

第二に、為替レートを通じた企業の価格競争力を比較する場合には、産業ごとの均衡為替レートを用いるのがよい。投入コストを用いた日米の相対的購買力平価は、我が国の投入コストがアメリカより抑制されてきたことを背景に、円高傾向が続いてきた(コラム1-6図(1))。輸送機械、一般機械、電気機械の相対的購買力平価を比較すると、2000年代以降、電気機械が他の業種よりも円安傾向にあった(コラム1-6図(2))。そのため、リーマンショック後の急速な円高の影響は、電気機械において大きかったと見られる。

デフレ下での円高への対応と最近の収益環境の変化

デフレと円高が相互作用的に進み、予想外に価格競争力が低下すると、日本製品の価格競争力の低下に伴う輸出減少などを招き、輸出関連企業の収益環境は厳しい状況に陥る。こうしたデフレ下での円高の進行は、製造業の海外生産移転を促す要因となるため、我が国の産業空洞化リスクとして注意する必要がある96。主要製造業の海外生産比率の推移を確認すると、リーマンショック後における海外生産の落ち込みの影響が見られるものの、長期的には、現地市場の拡大などを背景に上昇傾向を維持している(第1-2-16図(1))。また、円高が大きく進んだ2010年以降、海外設備投資比率の上昇ペースが速まっており、製造業が、国内より海外で積極的に生産能力を増強している様子が鮮明となっている(第1-2-16図(2))。

特に、2008年度以降は、実際の為替レートが採算円レートより円高で推移し、輸出企業の収益環境は厳しい状況にあった(第1-2-17図(1))。これまで、企業は実際の為替変動に合わせるように採算円レートを徐々に調整する傾向にあり、賃金抑制などのコスト削減や採算が悪化した製品の生産調整などによって、長期的な円高トレンドに対応してきた。しかし、リーマンショック後は、採算円レートよりも実際の為替レートが円高で推移している。企業の想定を超えるペースで円高が進行したため、個々の企業の努力だけでは、急激な為替変動に対応できなかったことが分かる。業種別に見ると、2008年度調査の採算円レートの水準が業種平均より大きく円安となっている「精密機器」や「輸送用機器」などの業種は、為替の面から見た収益環境が相対的に厳しかったと考えられる(第1-2-17図(2))。

しかし、2012年秋以降の円安方向への動きによって、輸出関連企業の収益環境は改善している。2012年度調査の採算円レートは、いずれの業種も1ドル95円を下回っており、最近の為替レートの水準は企業収益に対してプラスに作用すると見込まれる。

非製造業はパート比率を高めて平均賃金を削減

デフレと円高の相互作用などを背景に、製造業の収益が悪化し、海外生産移転も継続的に進むと、製造現場の従業員を中心に雇用の調整が行われる。総務省の「労働力調査」によると、製造業の雇用者は、ピークだった1992年の1,382万人から減少傾向を続け、2012年には980万人となり、20年間で400万人減少した。製造業から転出した雇用の一部は非製造業が受け皿となったが、全て吸収することはできず、失業率の上昇に影響を与えた。なお、製造業では、賃金面で賞与による調整などが見られるが、所定内給与は増加傾向にあり、雇用者数の調整を進めたことが分かる(第1-2-18図(1))。

非製造業においても、デフレ下での長期的な景気低迷によって労働コストの圧縮が求められ、企業は平均賃金の引下げで対応した。非製造業の所定内給与の変化の要因を見ると、企業は、一般労働者の賃金をカットするのではなく、賃金水準の低いパート労働者比率を高めることによって、平均賃金の低下を実現したことが確認できる(第1-2-18図(2))97。また、OECD加盟国と比較してみると、我が国の失業率や雇用調整速度は依然として他国より低い水準にあるが、パート労働者比率(全産業)の上昇幅は大きく、同時に雇用の調整速度も増している(第1-2-18図(3))。

なお、パート労働者の賃金に着目すると、時給98、雇用者報酬は緩やかに増加傾向にある(付図1-9)。つまり、パート労働者比率の上昇は、相対的に低賃金層が増加することで勤務形態計(一般・パート)の平均賃金を押し下げるものの、パート労働者の賃金自体には改善の動きが見られる。デフレから脱却し、持続的な経済成長を実現することによって、今後もパート労働者の賃金の増加を図っていくことが重要である。

1-7 報道記事を通して映る円高・デフレの様相

我が国の円高・デフレの様相を報道記事の検索件数を通して眺めてみよう。まず、「円高」が新聞に多く掲載された時期は、(1)1985年のプラザ合意後、(2)1993年~1996年の円高局面、(3)2008年のリーマンショック後、の3回である(コラム1-7図(1)(2))。記事件数が最も多いのは1995年4-6月期であり、為替レートが4月19日に戦後最高の1ドル79円75銭を記録したことが背景と考えられる。次に、「デフレ」が注目され始めたのは2001年である。内閣府の月例経済報告において、デフレ判断が初めて示された2001年4月と前後して、記事件数の増加傾向が強まった99。その後、GDPデフレーターのマイナス幅拡大に合わせて、記事件数は2002年10-12月期にピークを付けた。この時期は、雇用者報酬の下落がGDPデフレーターの押し下げに大きく寄与し、いわゆる「賃金デフレ」が生じていたと考えられる。家計は自分の懐を見てデフレの負の側面を実感していたと見られる。2012年10-12月期以降の記事件数の急増は、「デフレ脱却」の文脈の記事が多く、デフレに対する関心の高さは、デフレ脱却への政策対応などを反映していると考えられる。

さらに、円高・デフレの弊害に着目して、「空洞化」と「非正規・派遣」についても確認しておこう。「空洞化」の記事件数は、円高が進むにつれて増える傾向にあり、2011年7-9月期が最も多い(付図1-10(1))。他方、「非正規・派遣」は、2005年頃から増加し始め、金融危機や急速な景気悪化を背景に、2009年1-3月期にピークを付けた。こうした記事件数の最多の時期を踏まえると、リーマンショック後の円高・デフレ局面は、金融危機や急速な景気悪化を背景に、デフレの「生産」や「雇用」への弊害がより表面化した時期だったと考えられる。なお輸入物価(最終消費財)が大きく低下すると、「円高還元」の記事件数が増加する傾向にある(付図1-10(2))。このことは、円高によって輸入物価が下落すると、円高還元セールなどを通じた値下げ競争が起こり、それがデフレ圧力を高めている可能性を示唆している。

(3)円安方向への動きが消費者物価に与える影響

我が国が、デフレ脱却に向かう過程で、他国とのインフレ格差の縮小などから、為替レートが円安方向に進むことがある。しかし、円安方向への動きが急速であると、輸入物価の上昇などを通じて、家計に悪影響を及ぼすのではないかとの指摘もある。そこで、為替レートの変動が、輸入物価や国内企業物価を経由して消費者物価に波及するメカニズムとその影響度について検証する。さらに、輸入依存度の高い石油製品と食料品の中から代表的なものをいくつか取り上げて、商品ごとの特徴についても考察する。

為替変動の影響は国内企業物価段階で大きく減殺

2000年以降の輸入物価(円ベース)、国内企業物価(工業製品)、消費者物価(コア)の推移を見ると、輸入物価は国際商品市況や為替レートの影響を直接受けるため変動が大きくなっているが、国内企業物価、消費者物価と川下段階に進むにつれて変動が小さくなる(第1-2-19図(1))。特に、2004年から2008年の資源価格高騰期に着目すると、輸入物価が累積で88.0%上昇したのに対し、国内企業物価は同15.8%、消費者物価は同2.5%の上昇にとどまっていた(第1-2-19図(2))。これらの関係から機械的に計算すると、国内企業物価の上昇は輸入物価上昇の20%程度、消費者物価の上昇は同3%程度にとどまる。

為替が円安方向に振れた場合の影響をより詳しく見るため、為替レート(名目実効為替レート)から輸入物価への経路、輸入物価から国内物価(国内企業物価、消費者物価)への経路の二段階に分けて、波及効果のラグを考慮した時系列的な関係(VARモデル)を推計した。前者の経路については、為替レートが1.0%ポイント減価すると、当月の輸入物価が0.8%ポイント上昇し、為替変動の8割程度が輸入物価に波及するという結果が得られた(第1-2-19図(3))。後者の経路については、輸入物価の0.8%ポイント(累積1.4%ポイント)の上昇は、1か月後の国内企業物価を0.08%ポイント(累積0.24%ポイント)、消費者物価を0.03%ポイント(累積0.05%ポイント)上昇させるにとどまるという結果になった(第1-2-19図(4))。したがって、これらの結果に基づけば、為替変動から国内企業物価への波及は14%程度、消費者物価への波及は3%程度ということになる。

以上の分析から、為替変動は、その大部分が輸入物価に伝わるが、国内企業物価段階で大きく減殺され、消費者物価段階にはわずかな影響しか及ぼさないことが示された。一方、この背後には、企業が生産コスト上昇分を販売価格に転嫁できずに利益が圧迫されるという問題もある。このため、特に中小企業・小規模事業者に一方的にしわ寄せされることがないよう的確に対応していくとともに、生産性や品質の向上により収益力の改善を図っていくことが重要である。

ラップやポリ袋などの家事用消耗品への影響は限定的

輸入への依存度が高い石油製品の最終消費財のうち、ガソリンと家事用消耗品等(ラップ、ポリ袋など)に対する為替変動の影響を確認する。2004年から2008年の原油価格高騰期において、輸入原油価格が累積338.2%上昇した際、国内企業物価のガソリンは同80.9%、消費者物価のガソリンは同76.9%上昇した(第1-2-20図(1))。すなわち、店頭のガソリン価格の上昇は、原油価格上昇の20%強にとどまっている。また、先と同様のVARモデルを推計すると、1.0%ポイントの為替変動はそのまま当月の輸入原油価格を1.0%ポイント変化させ、輸入原油価格の1.0%ポイント(累積1.8%ポイント)の変化は翌月の消費者物価のガソリンを0.3%ポイント(累積0.7%ポイント)変化させるという結果が得られた(付図1-11(1)(2))。したがって、この結果に基づけば、為替変動から消費者物価のガソリンへの波及は40%程度ということになる100

石油化学製品について見ると、ナフサから生成される基礎原料の石油化学系基礎製品(エチレンなど)の価格上昇は、ナフサ価格上昇の約7割に達する(第1-2-20図(2))。しかし、最終財であるラップやポリ袋など家事用消耗品等価格の上昇は、ナフサ価格上昇の2%弱にとどまっている。さらに、2009年以降については、輸入原油価格の上昇に伴いナフサや石油化学系基礎製品は上昇しているが、家事用消耗品等は下落が続いた。VARモデルを推計しても、原油からナフサと石油化学系基礎製品段階までの波及は有意な結果が得られたが、家事用消耗品等については有意な結果が得られなかった(付図1-11(3))。

このことから、石油製品の最終消費財のうち、ガソリンは為替変動の影響を受けやすい品目である一方、ラップやポリ袋などの日用品は影響をほとんど受けないことが分かる。

大豆加工品については価格転嫁が進まない傾向

続いて、食料品の中から輸入依存度が高い、小麦製品、大豆加工品、油脂製品の3つについて円安の影響を確認する。2006年から2008年の穀物価格高騰期において、輸入小麦価格が累積161.7%上昇した際、国内企業物価の小麦粉は6か月遅れて同44.6%、消費者物価のパン・めん類は8か月遅れて同15.7%上昇した。すなわち、最終消費財価格の上昇は、輸入小麦価格上昇の10%程度となっている(第1-2-21図(1))101。また、VARモデルを推計すると、為替変動はそのまま当月の輸入小麦価格に波及し、輸入小麦価格の1.0%ポイント(累積2.0%ポイント)の変化は9か月後のピークでパン・めん類の価格を0.04%ポイント(累積0.3%ポイント)変化させるという結果が得られた(付図1-12(1)(3))。したがって、この結果に基づけば、為替変動からパン・めん類への波及は15%程度ということになる。以上より、為替の変動は、一定程度の遅れをもってパン・めん類などの小麦製品価格に波及するものの、川下に進むにつれて変動幅が大きく減殺されることが分かる。

大豆加工品と油脂について見ると、2006年から2008年にかけて輸入物価の大豆・なたねが累積124.7%上昇した際、消費者物価の油脂(食用油、マーガリン)は同27.8%、大豆加工品(豆腐、納豆など)は同5.1%上昇した(第1-2-21図(2))。単純に計算すると、油脂の最終消費財価格の上昇は原料価格上昇の約20%となり、大豆加工品は同4%程度にとどまる。さらに、2009年以降について見ると、輸入大豆・なたね価格が再び上昇傾向にある中で、大豆加工品は下落が続いており、原料価格の転嫁が進んでいない。VARモデルの推計結果を見ても、油脂では輸入物価からの波及が明確に見られるが、大豆加工品ではほとんど波及が見られない(付図1-12(2)(4))。為替変動からの波及を求めても、油脂の22%程度に対して、大豆加工品は3%程度となった。ただし、油脂においても、2012年以降の輸入大豆・なたね価格の上昇に伴う価格転嫁は進んでいない。また、大豆加工品で価格転嫁が進まない背景としては、購入頻度が高く値下げの対象になりやすいことや、プライベートブランド商品化が進み低価格が定着してきたことなどが考えられる。

(4)国際比較から見た我が国の物価

我が国の消費者物価上昇率は長期にわたって他国より低い水準にあり、デフレから脱却できていない。ここでは、国際比較を通じて、我が国の特殊性を確認し、今回の一連の金融政策の意義を考える。さらに、財・サービス別の消費者物価を比較することによって、我が国のデフレの背景を探る。

我が国では低インフレ状況が顕著

消費者物価上昇率の長期的な推移を見ると、日本は、1973年の第一次石油危機によって大きく上昇したものの、1970年代後半になって先進国平均を下回る水準まで低下した(第1-2-22図(1))。この背景としては、政府の広範な物価安定政策と日本銀行の金融引締め政策、経済企画庁物価局(当時)の設置など物価管理体制を強化したことなどが指摘できる102。また、1970年代後半は、ドルに対する信認の低下や我が国の貿易黒字の拡大などによって、円が急伸した時期であり、輸入物価の下落が消費者物価の押下げに作用したと考えられる103

日本の消費者物価上昇率は、それ以降も一貫して先進国平均を下回って推移している(第1-2-22図(2))。1990年代後半以降には、大手金融機関の破綻後に金融危機や社会不安が生じる中で、デフレ予想や賃金抑制マインドが定着し、その後長らくデフレ状況が続いている。日本銀行は、こうした長期的な傾向を踏まえた上で、「物価安定の目標」を他の先進国並みの2%に定め、できるだけ早期に「物価安定の目標」を達成するとしている。各国の金融政策の緩和度合いを単純に比較することはできないものの、今回の一連の金融政策は、デフレ状況下にある我が国が、諸外国と同水準の消費者物価上昇率の達成を目指した措置と見ることもできよう。

耐久消費財とサービスの消費者物価が他国より下方に乖離

我が国の消費者物価が他国より低迷している背景を、財・サービス別の消費者物価の動向から確認しよう。まず、我が国の財とサービスの消費者物価上昇率はともに他のG5諸国より低い傾向にあるが、我が国とこれらの国との賃金上昇率の違いなどを反映して特にサービスにおいて乖離幅が大きい(第1-2-23図(1)(2))。ただし、サービスの消費者物価上昇率の変動幅は非常に小幅であり、リーマンショック後の低下局面を除くと、おおむね横ばい圏内で推移している104。また、財を耐久消費財と非耐久消費財に分けると、耐久消費財の消費者物価上昇率は他のG5諸国から下方に乖離してマイナス圏で推移する一方、非耐久消費財はそのような傾向が小さい(第1-2-23図(3)(4))。すなわち、我が国の消費者物価上昇率が他国よりも低く、かつデフレ状況が継続しているのはサービスと耐久消費財の消費者物価の動向によるものといえ、特に耐久消費財の下落が大きい。

家電や情報機器が耐久消費財価格を押し下げ

そこで、耐久消費財について、我が国のマイナス幅が他国より大きい理由について検討する(第1-2-24図)。まず、日本では、パソコンやテレビなどを含む「教養娯楽家電・情報機器」のマイナス寄与が非常に大きい。他国においても、「教養娯楽家電・情報機器」は物価下落に寄与することが多いが、日本よりも価格の下落ペースが緩やかであることやウエイトが大きくないことなどから、マイナス寄与は限定的なものにとどまっている。次に、冷蔵庫やエアコンなどを含む「家事家電・冷暖房機器」を見ると、日本ではマイナス寄与が大きい一方、他国では価格下落が緩やかであり、マイナス寄与は小さい。最後に、ドイツとフランスにおいては、「自動車」が物価上昇に寄与しており、耐久消費財全体の物価下落を抑制する方向に働いている。ドイツは、自動車生産について日本と比較されることが多いが、両者の国内価格は異なった動きとなっている。

3 企業の価格・賃金設定行動と物価

ここでは、財・サービスの供給側である企業の価格・賃金設定行動の特性について、マクロとミクロの両面から考察する。前半部分で、企業取引段階の企業物価の変動要因を分析するとともに、企業収益と賃金の関係から近年の企業の賃金設定行動の特徴について論ずる。後半では、内閣府が2013年に実施した「企業経営に関する意識調査」を利用し、我が国企業の価格設定行動の特性について、企業レベルのミクロデータを用いた分析を行う。

(1)我が国の企業物価と賃金の動向

企業物価の動向を予想物価上昇率や賃金との関係から整理するとともに、過去の景気局面ごとの企業収益と賃金の関係を比較することによって、近年、企業収益の変化に対して賃金の反応が小さくなっている現状を確認する。また、企業が労働コスト抑制に取り組む中で進んでいる単位労働費用の低下の特徴についても検討する。

企業間の取引段階における根強いデフレ予想の転換が重要

企業間取引段階の価格である国内企業物価と企業向けサービス価格について、その決定要因を分析すると以下のような特徴が見られる。まず、国内企業物価、企業向けサービス価格(国際運輸除く)ともに、リーマンショック以降、予想物価要因のマイナス寄与が続いている。前述のとおり、2011年以降において、予想物価要因が押上げに寄与している消費者物価とは逆の動きになっている(第1-2-25図、前掲第1-2-10図)。企業のデフレ予想が改善しない理由としては、競合他社との低価格競争や顧客からの値下げ圧力などが強いことが挙げられる。

また、国内企業物価においては輸入物価要因の影響が強く、その寄与度は消費者物価よりも大きい。この結果は、先のVARモデルによる分析とも合致する。他方、企業向けサービス価格については、輸入物価要因が有意とはならなかった。

最後に、賃金の企業向けサービス価格に対する寄与度は小さく、国内企業物価に対しては有意とならなかった。企業間取引段階では、賃金の変化は、労働コストの変動を通じて企業物価に作用する。しかし、実際には、我が国の企業は、労働コストの変化分を販売価格に転嫁しづらい状況にあり、賃金の企業物価への影響が弱まっていると見られる。

企業収益の変動に比べて賃金の変動は小さい

これまで、価格転嫁の視点から、賃金の企業物価に対する寄与度が小さいことを検討したが、近年、企業収益から賃金への波及効果が低下していることも指摘されている。そのため、賃金と企業物価の関係については、企業が賃金の変動分を販売価格に転嫁できていない問題だけでなく、賃金の変動そのものが縮小している問題についても検討する必要がある。

過去の景気拡大局面における企業収益と賃金の関係を見ると、1990年代前半までは経常利益の増加に伴って賃金が上昇する傾向にあったが、それ以降の景気拡大局面においては、経常利益が増加しても賃金が伸びない状況が続いた(第1-2-26図(1))105。最近、景気が良くなっても賃金が上がらないという見方が増えているが、それは、マクロデータからも確認できる106。一方、1990年代後半以降の景気後退期を見ると、企業の経常収益の減少幅よりも賃金の低下幅の方が小さく、企業は収益が減少する中で賃金の引下げを極力抑えてきたことが分かる。すなわち、我が国においては、企業が賃上げを渋っていたというより、企業収益の変動に対して賃金の変動そのものが抑制されている。

そのため、今後の政策運営においては、成長戦略などによって企業の収益機会を増やすとともに、前述した政府の賃金引上げに向けた環境作りなどにより、企業収益の改善に伴って、企業の収益力向上の成果が適切に勤労者に分配され、賃金が上昇していくことが重要である。賃金の上昇は内需の拡大につながり、所得と内需と生産の好循環を生んで持続的な成長をもたらす。

企業の単位労働費用の調整方法に見られる特徴

企業の収益と競争力の観点から、付加価値を1単位生み出すための労働コストである「単位労働費用(ULC:Unit Labor Cost)」の調整方法を確認しておこう。全産業のULCは、1990年代末から低下に転じ、リーマンショック以降は下げ止まりの兆しも見られるが、総じて緩やかな低下傾向にある(第1-2-27図(1))。これは、労働生産性の上昇と賃金の低下が同時にULCの押下げに作用したためであり、その寄与度を比較すると、前者の影響の方が幾分大きい。

こうした単位労働費用の抑制は、製造業、非製造業を問わずに行われてきたが、両者の調整プロセスは大きく異なっている。製造業は、主に労働生産性の上昇によって、1990年代半ばからULCを低下させている(第1-2-27図(3))。他方、非製造業のULCは、1990年代末から賃金の低下に伴って低下し始めた。ただし、リーマンショック後に労働生産性が低下したため、ここ数年は横ばいとなっている(第1-2-27図(5))。

労働生産性と雇用者数の関係を見ると、製造業は雇用者数が減少している中で、生産性が向上している一方、非製造業は雇用者数が増加している中で、生産性の向上がさほど見られていない。また、労働時間数は、製造業、非製造業ともに低下傾向にあるが、パート比率の上昇が大きい非製造業の低下ペースが速い(第1-2-27図(2)(4)(6))。

賃金から国内企業物価、企業向けサービス価格への波及経路において、こうした単位労働費用の調整方法の違いが影響を及ぼしていると考えられる。すなわち、2000年代前半のデフレ期において、定期給与要因が企業向けサービス価格の押下げに寄与していたのは、非製造業が単位労働費用を賃金の引下げによって調整していたことが背景にある(前掲第1-2-25図)。他方、製造業は、賃金の低下を小幅なものにとどめたため、定期給与要因は国内企業物価にほとんど影響を及ぼさなかった。

(2)企業の価格設定行動に関するミクロデータ分析

内閣府が実施した「企業経営に関する意識調査」を利用し、企業の価格設定行動の特性について、企業レベルのミクロデータを用いた分析を行う107。具体的には、企業の価格設定における期待の役割を検証し、価格変更の要因を把握するとともに、企業の価格転嫁力について検討する。さらに、賃金を2012年に引き上げた企業の特徴について整理する。

企業は市場価格見通しに合わせる形で価格変更を計画

企業は将来の販売価格をどのように計画するのだろうか。我が国の2013年の経済成長率がプラスになると見込む企業は73.5%、消費者物価の上昇を見込む企業は58.5%と過半を超えるが、自社商品の販売価格の引上げを見込む企業は18.3%と低い水準にとどまる(第1-2-28図(1))。そのため、企業のマクロ経済や物価に対する見通しが、企業の価格設定行動に及ぼす影響は必ずしも明確ではない。他方、商品の市場価格見通しと、自社商品の販売価格見通しとの間には一定の正の関係が観察され、企業は、自ら直面すると想定される市場価格に合わせる形で、価格変更計画を立てていることが分かる(第1-2-28図(2))。すなわち、将来の市場価格見通しの変化が、企業の期待を通じて、自社商品の価格設定行動に影響を及ぼしていると考えられる。

市場価格見通しの影響は製造業の方が強い

こうした商品の市場価格見通しと自社商品の販売価格見通しの関係は、業種によって違いがあるのだろうか。市場価格の上昇・下落を見通している企業ごとに、自社商品の販売価格の見通しを確認した(第1-2-29図)。まず、非製造業より製造業において市場価格と自社商品の販売価格との関係が強い。製造業の財ごとの強さは、中間財、最終資本財、最終消費財の順になっている。中間財を製造する企業において関係が強い理由としては、非鉄金属や化学などの一部の業種において、原材料コストの変動を販売価格へ自動的に反映できる仕組みがあることが指摘できる。また、非製造業の飲食料品の卸売・小売業も関係が強い。これは、厳しい価格競争の中で、競合他社の価格設定に追随する傾向を反映していると考えられ、裏返せば、市場価格が上向けば各社が値上げに踏み切りやすい環境にあるともいえる。他方、最終消費財を製造する企業では、商品の市場価格見通しと商品の販売価格見通しの関係は弱く、市場価格の変化に合わせた価格設定が難しい状況にあると見られる。このことは、上昇方向にも下落方向にも最終消費財の価格が粘着的となる傾向を示唆しており、我が国のデフレが緩やかでかつ長期にわたっている要因の一つと考えられる。

販売価格引下げの際は「競合他社の価格」を重視

昨年1年間、企業が実際に価格変更を行った回数をみると、「0回」と回答した企業が43.1%、「1回」が20.5%、「2~3回」が13.7%となり、価格変更を行っていない企業と、変更しても数回だけの企業が大多数を占める。日本銀行調査統計局(2000)や阿部他(2008)は、我が国の財・サービス価格の粘着性を指摘しているが、ここでも同様の結果が確認された。それでは、仮に価格を変更するとすれば、どのような要因で企業は価格変更を行うのだろうか。

主要商品の販売価格を引き上げる際に最も重視する要因は、「製造・供給・仕入コスト」と回答した企業が全体の51.7%に達し、いずれの業種においても、この要因を挙げる企業が最も多い(第1-2-30図(1))。すなわち、企業が販売価格を引き上げるのは、コスト上昇への対応という側面が強く、製造業は原材料費、非製造業は商品仕入価格と人件費の動向が重要である(第1-2-30図(3)(4))。次いで、「競合他社の価格」(15.1%)、「販売先・消費者との関係」(14.7%)となり、これらを選択する企業は非製造業で比較的多い。非製造業では、コストの上昇以外にも、競合他社の値上げや低価格志向の緩和といった販売先・消費者の態度の変化も値上げにつながりやすいと考えられる。

他方、主要商品の販売価格を引き下げる際に最も重視する要因は、いずれの業種でも「競合他社の価格」が最も多かった(第1-2-30図(2))。企業の販売価格の引下げは、競合他社の値下げに追随して行われる場合も多いと見られ、それが市場の低価格競争の激化につながっている可能性が指摘できる108。次いで、「販売先・消費者との関係」の回答割合も多く、販売先からの値下げ要請に対応する形で、値下げを余儀なくされる企業も少なくないことが分かる。また、我が国のように緩やかなデフレが続いている状況では、こうした競合他社との低価格競争や顧客からの値下げ圧力といったコスト以外の要素が、企業のデフレ予想に作用している可能性が指摘できる(前掲第1-2-25図)。

コスト上昇時の価格転嫁力は業種と生産・流通段階に依存

先の設問では、仮に価格を引き上げる場合に最も重視する要因は「コスト」であるという結果が得られたが、現実には、コストが上昇しても、それを価格に転嫁できないという問題が指摘されている。そこで、企業の価格転嫁力について検討しておこう。企業の主要なコストが10%上昇した場合、そのうちどの程度を販売価格に反映するかを聞いたところ、「ほぼ全て転嫁する」と回答した企業は21.2%にとどまり、多くの企業では転嫁しないか、一部の転嫁にとどまっている(第1-2-31図(1))。価格転嫁しない理由として、「販売先・消費者との今後の関係を重視するため」という回答が最も多く、顧客にデフレ予想が定着した中では、値上げが困難な状況にあることを示唆している(第1-2-31図(2))。また、「競合他社が引き上げるまで引き上げないため」、「販売量が大きく減少する恐れがあるため」という回答も多く、企業は、市場シェアを維持するために、価格転嫁ができない場合も少なくないと見られる。

企業の価格転嫁力を業種別に見ると、中間財製造業と卸売・小売業において、「転嫁する」と回答した企業が多い。中間財を製造する企業は、生産コストに占める原材料の割合が大きく、その原料価格に連動して販売価格を決める仕組みがあることを反映していると考えられる。また、最終資本財や最終消費財を製造する企業は、価格転嫁するとの回答が少なく、川上から川下に進むにつれて、価格転嫁力が低下する傾向にある。卸売・小売業の転嫁力が相対的に高い背景については、仕入コストに一定のマージンを乗せて販売するという基本的な商慣行が影響していることが指摘できる109。また、「他の非製造業」の中でも、事業者向けより一般向けの方が転嫁する割合は低く、非製造業においても川下ほど価格転嫁が難しい状況にある。

規模別に見ると、年間売上高50億円以下の企業は、「転嫁しない」という回答が多く、価格転嫁力が低いと考えられる(第1-2-31図(3))。他方、市場シェア別の回答には、企業の価格転嫁力に大きな差異が見られない(第1-2-31図(4))。このように、コスト上昇時の価格転嫁力は、業種の違いや生産・流通段階の違いと企業規模によって大部分が説明され、市場シェアの影響はそれほど大きくないと考えられる。

価格転嫁できない企業の対応と価格転嫁の条件

このように、コストの上昇を十分に価格転嫁できない状況下において、企業はどのように対応するのだろうか。まず、当然のことながら、コスト上昇分の吸収方法として、「利益率の圧縮」と回答した企業が多く、競合他社との価格競争などによって、値上げせずに利益を削っている企業も少なくない。「他の原材料・仕入価格の抑制」、「人件費の抑制」という回答も多く、特に製造業は「他の原材料・仕入価格の抑制」と答える企業が多い。生産コストが上昇すると、原材料に対する値下げ圧力や、賃下げ、雇用調整の圧力が高まることになる(第1-2-32図(1))。また、製造業の特徴として、「設備の維持・更新費の抑制」が「人件費の抑制」をやや上回っていることが挙げられ、生産コストが上昇すると、設備投資が減少しやすい傾向がうかがえる。

それでは、どのような環境になれば、コストの上昇を価格転嫁できるのだろうか。まず、価格転嫁の条件として、「販売先・消費者の理解」と回答する企業が多く、特に、最終消費財を製造する企業に多く見られる(第1-2-32図(2))。この結果は、価格転嫁のためには、顧客のデフレ予想を払拭することが重要であることを示唆している。また、中間財や最終資本財を製造する企業では、「足下の需給の改善」と回答する企業が比較的多く、これらの業種では、需給環境が改善すれば価格を引き上げやすいことが分かる。さらに、非製造業の中でもスーパーなどの飲食料品の卸売・小売業は、「競合他社の価格戦略の変化」と回答する企業が半数を超え、デフレ下での厳しい価格競争の中で、競合他社に先駆けて値上げすることが難しいと見られる。また、このことは、競合相手が適正な価格転嫁を行うようになれば、業界全体として同じ方向に向かう可能性があることも示している。

経済環境や業況の改善を見込む企業は賃金を引き上げる傾向

最後に、企業の賃金設定の特徴について整理する。一般従業員の賃金を2012年に引き上げた企業は全体の49.5%で、引き下げた企業は10.8%であった(第1-2-33図(1))110。賃金を引き下げた企業の割合は製造業の方が多く、年前半の円高進行や輸出の弱さなどを背景とする収益の悪化が、賃金設定に影響したと考えられる。また、賃金と物価見通しや主要商品の市場価格見通しとの間には明確な関係は見られず、将来の物価見通しから賃金への波及メカニズムは確認できなかった(第1-2-33図(2))。他方、賃金の変更と経済成長見通しや、自社商品の国内市場の成長見通しとの間には一定の関係が見られ、先行きの経済環境や業況の改善を見込む企業ほど、賃金を引き上げる傾向にあることを示唆している(第1-2-33図(3))。これらのことから、単に物価や販売価格が上昇するだけではなく、経済成長や業況改善の見通しを伴わなければ賃金引上げにはつながりにくいことが分かる111

また、賃金を引き上げた(引き下げた)企業に対して、賃金上昇(下落)分を販売価格に反映させたか尋ねたところ、「賃金変化のほぼ全てを反映」させた企業は4.1%、「賃金変化の半分程度を反映」させた企業は5.1%と少数にとどまった(第1-2-33図(4))。これは、製造業と非製造業に分けても、大きな差異は見られない。また、賃金変化を主要商品の販売価格に反映させていない企業について、どの程度の賃金変化であれば反映させるか尋ねたところ、「10%以上の上昇又は下落」と回答した企業が多く、賃金が大幅に上昇しない限り、企業の価格設定行動に影響を及ぼさない傾向にあることが示された。

企業収益の改善が賃金に波及する兆し

前節で見たように、我が国の企業収益は、円安方向への動きや経済対策の効果などを背景に、改善している。今後は、それが賃金の改善へと波及していくことが重要である。日本労働組合総連合会の調査(5月下旬調査)を中心に2013年度の春季生活闘争(春闘)の状況を見ると、定期昇給とベアを含む賃金改定率は前年とおおむね同じとなる中で、ベアの実施率は前年差で2.4%ポイントの上昇となっている。また、年間一時金は前年差で3万円程度の増加となっている(第1-2-34図)。このように、企業収益の改善が賃金の改善へと波及する動きが一部に見られる。今後は国内の企業部門から家計部門への波及が進むもとで、消費拡大などを通じたマクロ需給バランスの改善が、デフレ脱却に寄与することが期待される。


(67)内閣府は、2006年3月、デフレ脱却を「物価が持続的に下落する状況を脱し、再びそうした状況に戻る見込みがないこと」と定義している。
(68)なお、今回の声明に先立つ2012年10月30日、政府と日本銀行は、「デフレ脱却に向けた取組について」という共同文書を公表している。
(69)主要先進国のインフレ目標の特徴については付表1-2を参照。
(70)近年の我が国の金融政策の動きについては付表1-3を参照。
(71)同年4月18日、太田国土交通大臣は、建設業団体に技能労働者の賃金引上げを要請した。
(72)インフレ目標の枠組みを構成する主な要素として、Hammond(2012)では、(1)金融政策の主要目標として物価の安定を明示すること、(2)インフレ目標値を公表すること、(3)インフレ予想を含む幅広い情報に基づいて政策が行われること、(4)透明性を確保すること、(5)説明責任の機能を有すること、の5つが挙げられている。
(73)予想物価上昇率は測定方法によって水準が異なるため、ある程度の幅を考慮する必要がある。
(74)資源価格の上昇、付加価値税率の引上げ、公共料金の値上げなどが予想物価上昇率の押上げに寄与したと考えられる。
(75)なお、インフレ目標を導入していない国についても確認しておくと、アメリカの予想物価上昇率は実際の消費者物価上昇率に連動する傾向にあるが、ユーロ圏の予想物価上昇率は実際の消費者物価上昇率の変動幅より小さい(第1-2-2図(5)(6))。
(76)過去の主要な金融緩和政策の比較(付表1-4)を参照。我が国の「量的緩和政策」の効果については、鵜飼(2006)、本多・黒木・立花(2010)などを参照。
(77)日本銀行の黒田総裁は、金融政策決定会合後の会見において、「戦力の逐次投入をせずに、現時点で必要な政策を全て講じた」ことも特徴の一つであると述べている。
(78)日本銀行の黒田総裁は、就任前の衆議員予算委員会における所信聴取において、「マネタリーベースの拡大が不十分だった、欧米に比べて不十分だったということがデフレの継続に影響していたということは、否定できない」と指摘している。
(79)なお、内閣府(2012)は、各国の金融政策の違いが外国為替レートに影響を及ぼす可能性を示唆している。「量的・質的金融緩和」の全体の主な波及経路については、前述のとおりである(前掲第1-2-1図
(80)現在、10年物価連動債は新規発行が行われておらず(2008年10月以降発行を停止)、また、物価連動債の市場における流動性も低いことから、BEIの水準は、ある程度の幅を考慮する必要がある。
(81)我が国の貨幣乗数の低下の背景については、飯田・原田・浜田(2003)などを参照。
(82)マクロ・プルーデンス政策の具体例としては、担保価値に対する貸出金比率の規制(LTV規制)や、いわゆるバーゼルIIIの中で予定されている自己資本比率規制(カウンター・シクリカル資本バッファー)などがある。
(83)この2つの論文は、一定の条件の下で、裁量的な政策にはバイアスがあるため好ましくなく、一定のルールに基づく政策が最適であるという結論を示している。
(84)アメリカに関する同様の分析については、Kahn(2010)を参照。
(85)財政ファイナンスとインフレの関係についての先駆的な研究として、Sargent and Wallace(1981)が挙げられる。
(86)エアコンは2012年1月、テレビは同年2月に商品の出回りの変化に応じた銘柄改正が行われたが、その際、両者とも大幅な上昇を示したため、耐久消費財の前年比に対する押上げ効果が1年間続いた。
(87)その他の財には、家事用消耗品等の日用品が多く含まれる。
(88)消費者物価指数は、家計の消費構造を一定に固定したうえで、財・サービスの価格変化を測定するものであるため、家計の低価格・高価格商品への消費シフトの影響を受けない。一方、消費金額を購入数量で割って単純に算出する平均購入単価には、家計の消費行動の変化がそのまま反映されるため、家計の低価格志向(高価格志向)は平均購入単価の下落(上昇)に寄与する。
(89)「外食」の消費者物価については、焼肉や牛丼など一部の品目の下落寄与があるものの、それ以外の品目がリーマンショック後も高止まりしているため、全体として下落が見られない。
(90)白川・門間(2001)は、「景気の体温を測る目的で何らかの価格情報をみるのであれば、例えば、高級品も低級品も取り混ぜて単に表面価格を平均した平均単価などが有益であるかもしれない」と指摘している。
(91)内閣府(2012)、木村・黒住・原(2008)などを参照。
(92)予想物価上昇率が高まると、実質金利の低下、消費や投資などの需要拡大、賃金の引上げ、コスト上昇分の販売価格への転嫁などにつながると考えられる。
(93)家計が将来の物価下落を見越して消費を先送りする影響や実質債務増加の問題については、内閣府(2010、2011)などを参照。
(94)具体的には、2009年から2011年のデフレ期間において、実際の金利と金融政策ルールから導かれる政策金利との差だけ実質金利が高止まりしていると定義して、その実体経済への影響度を推計する。なお、この結果については、モデルの前提条件や利用するデータなどの影響を受けるため、幅を持って見る必要がある。
(95)購買力平価の水準は、両国間の消費財バスケットの違いなどの影響を受けるため、ある程度の幅を考慮する必要がある。
(96)我が国の海外生産移転の現状と背景については、第2章や内閣府政策統括官(経済財政分析担当)(2012)などを参照。
(97)堤・市橋・木下・長内(2013)では、パート労働者が大宗を占める非正規雇用の比率を世代別にみると、若年男子の非正規雇用比率が上昇している点も指摘している。
(98)ここでの時給は、パートの所定内給与と所定内労働時間を用いて時給換算した。
(99)デフレ判断については、内閣府(2012)コラム1-3を参照。
(100)ガソリンの店頭価格には、為替の影響を受けないガソリン税などの税が4割程度、流通コストやマージンなどが2割程度含まれ、為替と連動する原油部分は4割程度と見込まれることから、ここでの40%の波及効果という推計結果は、為替変動のほぼ全てが店頭価格に及んでいることを示している。
(101)外国産麦は国家貿易により政府が一元的に輸入しており、政府から国内メーカーへの売渡価格は過去6か月間の輸入価格に基づき半年ごとに改定される。このため、輸入物価と国内企業物価、消費者物価との間にはラグが生じる。
(102)物価安定政策としては、1973年に制定された「物価需給適正化法」や「国民生活安定緊急措置法」などが挙げられる。
(103)ドル円レートは、1976年1月に1ドル300円程度であったが、1978年7月に1ドル200円、同年10月に180円を割り込む水準まで円高ドル安が進行した。輸入物価指数は1977年4月から1979年3月まで前年比マイナスで推移した。
(104)市橋・長谷川(2012)において、アメリカではサービス価格における家賃のプラス寄与が大きい一方、我が国は家賃の寄与がほとんど見られず、その要因として賃貸需要動向の違いを指摘している。
(105)この背景として、内閣府(2007)は、実質賃金の伸びと平均生産性の伸びの関係が弱まっている点を指摘しており、パート比率の上昇などが影響していると考えられる。
(106)また、景気拡大期に労働分配率が低下しており、労働者に適切な対価が支払われていないという問題も同様に指摘される。しかし、景気拡大期には、賃金上昇が遅れ気味になるため労働分配率が低下する傾向にあり、それは近年固有の動きではない(付図1-13)。
(107)調査の概要については、付注1-8を参照。
(108)Simon-Kucher & Partners(2012)は、我が国の企業は他国と比べて競合企業との価格競争が厳しく、その背景として、企業が市場シェアを意識した経営を行っていることなどを指摘している。
(109)ただし、ここでは通常の販売価格について尋ねており、特売などの影響は含まれないことに留意が必要である。
(110)企業の回答を確認した結果、この賃金引上げには、ベースアップやボーナス加算の他に、定期昇給を念頭に回答している場合も含まれており、その点には留意が必要である。
(111)今回の調査から企業の売上高と賃金の関係を確認すると、増収を続けている企業ほど賃金の引上げを行う傾向にある。
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