第3節 財政金融政策の展開

第1章 景気回復力の展望

第3節 財政金融政策の展開

我が国政府は、バブル崩壊後の90年代を通じた長期の景気低迷に対応して、度重なる経済対策を実施したうえ、日本銀行も金融緩和を続けたが、民間需要の持続的な回復をもたらすことはできなかった。他方、政府の財政出動、社会保障関連費用の増加、及び長期にわたる景気低迷や減税実施等による税収の減少によって、巨額な財政赤字を抱えるに至っている。

我が国は、財政構造改革を進める必要がある。財政構造改革の主な内容は、(i)大幅な財政赤字の削減、(ii)財政支出の内容の見直しにある。デフレが進行しているなかで、財政構造改革をどのように進めていくのかが問題となっている。また、日本銀行は、デフレ脱却に向け、効果的な金融緩和政策を実施することが求められている。特に、2001年3月以降、量的緩和政策を採用し、一段の緩和を続けているが、景気に対する効果は必ずしも明瞭ではない。

本節では、このような財政金融政策が抱える問題や景気への影響について検討しよう。

1 財政構造改革のマクロ的影響

 財政構造改革のマクロ的影響

まず、国と地方の歳出規模を当初計画ベースでみよう。国の当初予算ベースでは、2000年度は85.0兆円となった後、2001年度は82.7兆円、2002年度は81.2兆円と減少している。また、地方財政計画では、2000年度88.9兆円の後、2001年度は89.3兆円と若干増加した後、2002年度は87.6兆円と減少している。

歳出規模の削減は、財政構造改革への取り組みを反映している。国、地方ともに財政赤字が拡大し、債務残高が高水準に達しており、財政構造改革が重要であることは、昨年度の年次経済財政報告でも述べた通りである。しかし、同時に、歳出の削減は、それ自体は、短期的にはマクロ経済にマイナスの影響を及ぼすものと考えられる。財政政策のマクロ的影響について検討することは、マクロ経済の動向を考えるうえでも、財政政策のあり方を考えるうえでも、重要である。

ただし、上記の数値はいずれも当初計画ベースであって、補正予算を含んでおらず、繰り越しも考慮していない。また、財政においては、社会保障基金の影響も大きい。以下では、こうした点を考慮して、国民経済計算における一般政府の動向によりながら、財政政策のマクロ的影響を検討することにしたい。

ところで、財政政策のマクロ経済的影響を検討するための標準的なツールは乗数である。乗数とは、財政支出の増加や減税の実施によって、何倍の国内総支出等の増加が見られるかを表したものである。公共投資の増加を例にとると、それ自身が有効需要の増加であるとともに、賃金、利潤の増加をもたらすことによって、個人消費や設備投資等の有効需要をさらに増加させる。公共投資乗数は、公共投資の増加によって、何倍の国内総支出等の増加が実現できたかを表したものである。また、個人所得税の減税は、可処分所得の増加となり、個人消費を増加させることによって、同じように波及効果の起点となる。減税乗数とは、減税が何倍の国内総支出等の増加をもたらすかを表わしたものである。

ただし、乗数の大きさは、財源調達方法によって異なる。財政支出や減税が公債によってまかなわれれば、その効果も相対的に大きいが、租税によってまかなわれれば、その効果は相対的に小さいと考えられる。前者に対応するのがいわゆる赤字財政乗数であり、後者に対応するのがいわゆる均衡財政乗数である(67)

以下では、(i)財政支出の規模と、(ii)財政政策のための財源調達方法、の両方の要因について、順次検討しよう。

 足元の財政支出はほぼ横ばい

財政支出の動向を一般政府でみると(第1-3-1図)、財政支出の総額は、90年代を通じて増加傾向で推移した後、99、2000年度と頭打ちになっている。このような財政支出の内訳についてみてみよう。

政府最終消費支出は、一貫して増加傾向にある。これは、医療費の現物給付増大の影響が大きい。医療費の現物給付とは、国民が享受した医療サービス等の対価のうち、自己負担分を除いた社会保障基金の負担分である。

次に公的固定資本形成は、99年度以降減少しており、2000年度、2001年度も減少している。これには、一般政府ベースの公的固定資本形成の約8割を担っている地方政府が大きく削減したことが寄与している(68)。2002年度も、当初予算では公共投資を10%削減しているが、2001年度第二次補正予算で公共投資を追加しており、この大部分が2002年度に執行される見込みであることから、減少幅は当初予算の減少幅に比べ小幅にとどまる見込みである。

また、社会保障移転給付は、高齢化の進展を背景に、年金の支払いを中心に増加傾向にある。

このように財政構造改革により、国の当初予算ベースの歳出が削減され、公共投資は減少傾向にあるが、社会保障費関連の増加を主因に、一般政府の財政支出全体は足元で横ばいとなっている。財政支出のなかでもそれ自身が最終需要の一部をなし、相対的に波及効果の大きいと考えられる公的固定資本形成と政府最終消費支出をあわせても、横ばいとなっている(69)

 税収が減少し、財政赤字はやや増加

次に一般政府の収入をみてみよう(第1-3-2図)。

まず、税収についてみると、2000年度には郵便貯金が集中的に満期を迎えたことに伴う税収が増加したために、全体としても増加した。しかし、2001年度は、そのような特殊要因が少なくなるとともに、名目GDPが減少していることに現れているように課税対象となる所得が縮小しているので、税収も減少したとみられる(70)

社会保障負担については、2000年度は、名目GDP減少に伴い、年金等の負担が減少したが、介護保険の導入に伴い、全体では微増となった(前年度比+0.5%)。2001年度についても、介護保険の本格的な導入や雇用保険料の引き上げ等から、若干増加する見込みである。

税収が減少しているために、財政支出と財政収入の差である財政赤字は拡大している。これを貯蓄投資差額でみると(第1-3-3図)、2000年度は先述の特殊要因があるために縮小しているが、2001年度にはやや増加したと見込まれる。

●短期のマクロ的なマイナスの影響は小さい

以上のことから、2000~2001年度の財政政策が与えた短期的なマクロ経済的影響について整理してみると、次のようになる。

(i)相対的に乗数の大きい政府最終消費支出と公的固定資本形成をあわせてみるとほぼ横ばいとなった。両者では、波及効果に違いがあり得ることについては注意を要するが、概して言えば支出面から大きなマイナスの影響があったとは考えにくい。

(ii)財政赤字がわずかに増加していたことは、全体として短期的に乗数効果を高める効果があったと考えられる(71)

したがって、2000~2001年度は、財政構造改革において進展がみられたものの、財政全体としての短期的なマクロ的な影響を考えると、それほどマイナスの影響があったとは考えられない。

 構造的赤字と循環的赤字

財政赤字の変動は、裁量的に行なった財政政策の結果として変動する部分と、景気変動によって受動的に財政収支が変化する部分の双方を含む。この点を区別して、財政赤字の変動を要因分解したらどうなるだろうか。このような観点から、財政赤字の水準を循環的収支(景気の循環によって変動する財政収支)と構造的収支(循環的収支を除いた財政収支)に分けてみたのが第1-3-4図である。

それによると、2000年度は循環的赤字が若干縮小した一方、構造的赤字は郵便貯金の大量満期要因により減少したが、この要因を除くとほぼ横ばいである。2001年度については、構造的赤字は若干減少する一方、循環的赤字は景気の悪化を背景に拡大した見込みである。循環的赤字の部分は、景気循環の変動に対して自動的に財政赤字が拡大することが財政の自動安定化機能(ビルト・イン・スタビライザー)に対応する部分であると考えることができる。そのような観点からみると、2001年度においては、構造的赤字の縮小によるマイナス効果を、プラスのビルト・イン・スタビライザー効果が相殺しているということもできる。

 財政構造改革への取組

このように、依然として大幅な財政赤字が続いているため、国と地方の政府の長期債務残高は増加している。国の長期債務残高は、2000年度末491兆円、2001年度末514兆円で、2002年度末は528兆円となると見込まれる。また、地方の長期債務残高は、2000年度末が181兆円で、2001年度末190兆円、2002年度末195兆円(以上、国と地方の重複分を含む)が見込まれている。国と地方の長期債務残高の合計は2002年度末には693兆円程度(GDP比約140%)となることが見込まれている。また、一般会計歳出総額に対する公債発行額の割合である公債依存度は、このところ歴史的に極めて高い水準となっており、2002年度で36.9%となる見込みにある。

公的債務残高が高水準に達し、財政の持続可能性が危うくなっていることから、政府は、財政構造改革の取り組みを強化している。

中期の経済財政運営の将来展望を示す「構造改革と経済財政の中期展望(以下、「改革と展望」)」(2002年1月)によると、財政構造改革を通じて歳出の質を改善するとともに、歳出を抑制し、「改革と展望」期間中(2002年度から2006年度)の政府の大きさ(一般政府の支出規模のGDP比)が現在の水準を上回らない程度とすることを目指している。例えば、公共投資に関しては「国の公共投資については、その時々の経済動向を勘案しつつ、「改革と展望」の対象期間を通じ、景気対策のための大幅な追加が行われていた以前の水準を目安に、その重点化・効率化を図っていく。また、地方の公共投資の水準についても、国と同一基調で見直していくべきである」としている。こうした努力と民間需要主導の着実な成長の結果として、国と地方を合わせたプライマリー・バランス赤字(72)の対GDP比は2006年度前後には現状の半分程度に低下し、また2010年代初頭には黒字化するものと見込まれている。

●財政構造改革のデフレ効果

このように財政構造改革において、当面、プライマリー・バランスを黒字化することを目指して、歳出を抑制する。このことは、財政の持続可能性を確保するためには避けて通れない道であるが、その反面、短期的には、マクロ経済に対してマイナスの効果を持ち得る。これを考慮したうえで、財政構造改革の具体的な手順をどのように示すかは、日本経済が依然として脆弱な体質を抱えているなかでは、重要な問題である。

この問題に関連して、ヨーロッパの経験のなかで見られた非ケインズ効果が日本にも見られるか否かは、重要である。一般的には、増税や財政支出の削減は、総需要を減少させ、GDPや民間消費にマイナスの影響を与える(ケインズ効果)と考えられてきた。これに対し、非ケインズ効果は、経済及び財政状況によっては、財政再建がむしろ民間消費などにプラスの影響を与えるという効果である(73)

仮にこのような効果に期待できるとすれば、財政構造改革のデフレ効果も相殺できることになる。しかし、非ケインズ効果が発現する前提として重要なのは、政府の財政構造改革へのコミットメントに対する国民の信頼である。長期金利が低位安定していることは、財政の維持可能性について、現時点では市場からある程度の信認が得られていると考えられる。そのようななかで、先の「改革と展望」の内容を着実に実行し、信認をより強固なものにすることが重要である。

 財政支出の内容の見直しも重要

「改革と展望」では、財政支出の内容を見直すことを通じて短期的なマクロ経済に対するマイナスの影響を小さくすることの重要性を指摘した。財政支出の内容を見直し、民間部門の生産力を引き上げ、民間設備投資を呼び込むような分野に歳出をシフトさせることによって、財政支出の規模の減少によるマクロ経済へのマイナス効果を緩和しようという考え方である。

公共投資は、過去の投資と合わせて、社会資本ストックを形成するが、社会資本ストックは、民間の生産活動に対して生産力を高める効果を持つ。その効果には大きく二つある。一つは、社会資本ストックが増加すること自体によって生産力が高まるという、直接的な効果である。もう一つは、社会資本ストックが増加することによって民間ストックの限界生産力が高まり、民間設備投資が呼び込まれるという、間接的な効果である。後者は、民間投資の誘発効果である。

いくつかの社会資本の生産力効果に関する研究(74)によれば、産業別、地域別の差があるとの結果が報告されている。これらの研究によると、生産力効果が特に高いと考えられるのは、概して言えば、第2次産業、第3次産業であり、都市部である。社会資本整備に当たっては、このような生産力効果にも留意しつつ、限られた資源を効率的に配分するという観点から、豊かな国民生活や力強い経済活動の基盤となる、効果の大きい社会資本を最も効率的に整備する必要がある。

2002年度当初予算においても、「5兆円を削減する一方で重点分野に2兆円を再配分する」という方針の下、諸制度改革と連携しつつ、重点分野(環境、少子高齢化、地方活性化、都市再生、科学技術振興、人材育成・教育・文化及びIT国家の実現)にシフトした予算配分を行った。今後とも、このような考え方に基づいて、重点配分を行なうことが重要である。

 柔軟かつ大胆な対応

2001年末以降、我が国の財政面の施策として、米国における同時多発テロ事件後の経済環境の急激な変化を踏まえ、構造改革をより一層加速しつつ、景気がデフレ・スパイラルに陥ることを避けるため、政府は「緊急対応プログラム」を策定し、それに基づき事業規模4.1兆円程度の2001年度第2次補正予算を編成し、執行するという柔軟かつ大胆な政策運営を行なった。この措置は、中期的に財政の質的改善を図り、財政を健全化する方針を貫きつつ、短期的には景気が過度に下振れしないよう配慮を行ったものである。この効果も2002年4-6月期を中心に見られた。

今後、財政構造改革を進めるに際しても、マクロ経済への影響に注意しながら進めるとともに、必要なときには、柔軟かつ大胆な政策運営を行なうことが重要である。

2 量的緩和政策のマクロ的影響

 量的緩和政策に期待される効果

金融政策は、バブル崩壊後、基本的に緩和基調で運営されてきた。特に、2001年3月までは、短期金利を操作目標にし、その引き下げが図られてきた。例えば、公定歩合は、91年7月以降、計9回引き下げられ、95年には0.5%となった(75)。また、95年7月からは公定歩合を下回る水準に無担保コールレート(オーバーナイト物)の誘導目標が設定され、その重要性が増すことになった。無担保コールレートの誘導目標は、98年9月には0.25%に引き下げられ、99年にはゼロ金利政策が採用されるに至った(76)

しかし、景気が後退局面に入り、デフレが続くなかで、金融政策の一層の緩和が必要とされる状況となった。これを受けて、日本銀行は、2001年3月の金融政策決定会合において、デフレが解消するまで(77)の期間においては、操作目標を日本銀行当座預金残高に変更することを決定し、当面の目標を5兆円程度(4兆円程度から増額)とした。いわゆる「量的緩和政策」への転換である(78)。以後、目標水準は順次引き上げられた。さらに、当座預金残高水準引き上げを実現するための手段として長期国債の買入額を引き上げることとした(79)

このような量的緩和政策に対して、景気刺激の面で期待されている効果としては、第1に、過去の金融緩和政策とも共通する効果として、金利の低下による効果が挙げられる。もっとも、短期金利はほぼゼロになっており、名目金利はマイナスになれないという非負制約があるため、これ以上の低下は期待できない。したがって、長期金利の引き下げが期待されている。

第2に、量的緩和政策に特有な効果としての「ポ-トフォリオ・リバランシング」による効果が挙げられる。これは、日銀当座預金というリスクもリターンもない資産が増加することによって、金融機関ひいては経済全体としてみたときの資産運用に変化が起き、よりリスクがあるがリターンも期待できる資産の増加がもたらされることに期待する効果である。よりリスクがあるがリターンも期待できる資産としては、例えば銀行貸出が考えられるが、銀行貸出が増加するということは、いうまでもなく実体経済の活発化がもたらされることを意味する(80)

このうち、金利を通じた効果については、量的緩和政策が採用された時点においてはある程度あったものと考えられる。特に、長期金利に対しては、現在のような短期金利の低水準がどの程度の期間継続するかということが重要であり、デフレが解消するまで量的緩和政策を続けるというコミットメントは、「時間軸」の設定という点で重要な意味をもつと考えられる。しかし、長期金利がすでに低水準にあるなかでは、一定以上の効果は期待しにくい状況にある(81)

それでは「ポートフォリオ・リバランシング」の効果はどうか。以下では、その点を中心に、量的緩和政策の効果について検討することにしよう。結論を予め述べておくと、金融政策の効果が波及する経路(トランスミッション・メカニズム)として従来から注目されてきた銀行貸出を通じる経路は、現在のところ作用しているとは考えにくい。しかし、為替の減価を通じる経路が作用している可能性がある。

 高い伸び率を示したマネタリーベース

まず、マネタリーベースの推移について、やや詳しくみておこう(第1-3-5図)。

98年以前については、現金の伸び率を主因に安定的に推移していた。その後、99年から2000年央にかけては、ゼロ金利政策によって機会費用が低下したことや、2000年問題による流動性選好の高まりもあって、日銀当座預金残高の寄与が高まった。

2001年3月の量的緩和政策の実施以降は、日本銀行が当座預金残高の目標を順次引き上げていること(82)に対応して、当座預金残高が寄与を一段と高めることになった。この間は、目標の下限をかなり上回る水準で残高が維持されてきた。また、現金も、ペイオフ解禁を控えた2001年度末にかけて伸び率を高めている。この結果、マネタリーベースの伸び率は、量的緩和政策採用直後の2001年3月の前年比1.2%増から、2002年6月の同27.6%増にまで上昇している。

このようなマネタリーベースの高い伸び率は、これまでほとんど経験したことがない(83)。マネタリーベースの伸び率を、名目GDPの伸び率や貨幣の流通速度に基づく一定のルールに照らしても、かなり潤沢に資金が供給されたと評価することができる(84)

この結果、コールレートは事実上ゼロに低下した。これが低い水準であることはいうまでもない。しかし、例えば、物価上昇率や需給ギャップ等から一定のルールに基づいて適正なコールレート水準を計算すると、マイナス金利という結果が得られる(85)。このことは、コールレートの現在の水準が、名目金利はマイナスになれないという非負制約があるために実現された金利であるということを示唆している。量的緩和政策が必要とされる根拠も、このようなところにあるといえる。

 低い伸び率にとどまったマネーサプライ

マネタリーベースが増加すると、通常は、銀行貸出を通じた信用創造を媒介にして、マネーサプライも増加するものと考えられる。マネタリーベースが増加したときのマネーサプライの増加の割合のことを貨幣乗数という。

これが一定の場合には、マネタリーベースの伸び率とマネーサプライの伸び率は等しくなる。そこで、前年比伸び率を比較すると、マネタリーベースが1.2%増(2001年3月)から27.6%増(2002年6月)に上昇しているのに対し、マネーサプライ(M2+CD)は、同時期で2.5%増から3.4%増の上昇にとどまっている(86)(前掲第1-3-5図)。このことは、貨幣乗数が大きく低下していることを意味する。

貨幣乗数は、金融仲介機能を通じて、信用創造がどれだけ行われているかを反映している。貨幣乗数は、基本的には、貸出を通じて預金が増加し、それがまた貸出に回るという信用創造プロセスが活発であれば上昇する。しかし、銀行や他の民間部門が当座預金残高や貨幣の保有を増加させると、それだけ信用創造プロセスから貨幣が漏れるので、貨幣乗数は低下する。

そこで、貨幣乗数が変化した要因をみるために、金融部門の準備/預金比率、金融部門の現金/預金比率、非金融部門の現金/預金比率に分解してみよう(第1-3-6図)。貨幣乗数が低下(上昇)するのは、金融部門の準備/預金比率が上昇(低下)したとき、金融部門の現金/預金比率が上昇(低下)したとき、非金融部門の現金/預金比率が上昇(低下)したときである。

貨幣乗数の長期トレンドをみると、低下傾向にある。これは、93年以降、家計・企業等の非金融部門の現金/預金比率が上昇した要因が大きい。低金利の長期化を背景に、資産構成において現金への選好が高まったことが背景にあると考えられる。

99年から2000年にかけての時期及び2001年以降においては、貨幣乗数は低下トレンドを下回る大きな低下を示したが、これには金融部門の現金/預金比率と準備/預金比率とが上昇したことが寄与していた。前者の時期においては、ゼロ金利政策による流動性保有の機会費用低下や2000年問題への対応といった要因が寄与していたと考えられる。後者の時期においては、ペイオフ解禁や経営統合等への対応もあったが、加えて、量的緩和政策によって供給されたマネタリーベースが、信用創造プロセスに十分に回っていないことが影響していると考えられる。その背景には、銀行貸出が減少していることがある。銀行貸出が縮小している理由としては、(i)企業部門が過剰債務の解消の一環として、銀行からの借入を返済していることや、(ii)銀行部門がリスク許容力の低下のために、リスクの高い企業への貸出を削減していることが考えられる。

このように、マネーサプライが低い伸び率にとどまった背景には、資産構成において現金が選好されたり、銀行の貸出が減少したこと等によって信用創造機能が十分に働かなかったことが考えられる。

 マネーサプライとGDP

次に、マネーサプライとGDPとの関係について検討しよう。

マネーサプライとGDPの間には、一般に強い相関があるものと考えられる。これは、金融機関が融資や債券購入の増大を通じて預金を供給する場合、貸出の増加や利子率の低下によって設備投資が増大し、経済活動が刺激される一方、マネーの需要側でも、経済活動の拡大に伴い、決済手段の一つとしての預金への需要(取引需要)が高まるためである。

そこで、マネーサプライとGDPの間の長期的な関係について調べてみると、97年頃までは安定的であったといえる。しかし、98年以降は、そのような安定的な関係は見いだせない(87)。この時期は、マネーサプライがわずかながらも増加を続けているのに対して、実質GDPではマイナス成長もみられた時期にあたっている。

この背景には、取引需要以外の貨幣需要が生じたことが挙げられる。97年秋より生じた金融不安、99年暮れのいわゆる2000年問題、2000年及び2001年暮れにかけてみられた低格付企業等の資金調達条件の悪化といったことが、取引需要以外の貨幣需要を高めた。これに加え、最近では、金利水準が極めて低位で推移する状況下で、2000年から2001年にかけての郵便貯金の大量満期や2001年秋のエンロン破綻に伴う投資信託の元本割れを背景に、流動性預金へのシフトが生じたこと等により、取引需要以外の貨幣需要が生じた。

このように、マネーサプライの増加にもかかわらず、実質GDPが増加しなかった背景には、取引需要以外の貨幣需要の増加があったと考えられる。

 量的緩和政策と円安

以上のように、量的緩和政策の効果は、金融政策の効果が波及する際の主要な経路(銀行貸出を介した経路)をみている限り、確認できない。日銀当座預金残高は高水準で推移し、マネタリーベースは高い伸び率を示しているにもかかわらず、銀行貸出は減少を続け、マネーサプライは低い伸び率にとどまり、実質GDPも低調なためである。

もっとも、量的緩和政策が期待する「ポートフォリオ・リバランシング」効果が波及する際は、必ずしも通常の波及効果のみが想定されるわけではない。この効果が期待しているのは、日銀当座預金残高というリスクもリターンもない資産が増加することによって、金融機関ひいては経済全体でみたときの資金運用に変化が起き、よりリスクがあるがリターンも期待できる資産の増加がもたらされるというものである。したがって、ここでいう、よりリスクがあるがリターンも期待できる資産は貸出に限られない。むしろ、金融政策の効果の波及経路としては、貸出の増加以外の様々な経路が考えられる。

貸出の増加以外の経路として考えられるのは、例えば為替減価を通じた経路である。量的緩和政策により、リスクもリターンもない日銀当座預金残高が増加し、対外資産への需要を高めることが、為替減価をもたらすというものである。

実際、為替レートは、量的緩和政策を採用する直前の2001年2月における1ドル116.04円から、1年後の2002年2月における133.52円まで、円安基調となった。このことは、量的緩和政策の効果が為替の減価として現れている可能性を示唆している。

そこで、量的緩和政策の効果について検討するために、90年以降の為替レートの動きを説明する関数を推計した(88)。これによると、日銀当座預金を含むマネタリーベースの増加率が説明変数として、有意に効いている。これは量的緩和政策の効果として円安がもたらされた可能性を示唆する結果である(89)

もちろん、為替レートの動きに対しては、様々な要因が影響する。そうした要因が円安をもたらした可能性もある。例えば、為替動向に影響が大きいと考えられている長期金利の動向をみると、アメリカでは、2001年度央に同時多発テロもあって、アメリカ経済に対する不透明感が強まり、金利が低下したが、2001年度下期には、一転してアメリカの早期回復期待の強まりから、金利が上昇した。特に為替円安が進んだのは年末から年度末であるので、アメリカの金利や株価の上昇といったドル建て資産の期待収益率の高まりが影響していたとみることができる。また、年末から年度末にかけて、我が国の対外証券投資は低調であり、同期間中に日銀当座預金残高やマネタリーベースの増加が直接的に「ポートフォリオ・リバランシング」をもたらしたとは見て取りにくい。ただし、その前後の対外証券投資は増加しており、2001年以降円安傾向であったことは、底流として我が国について量的緩和政策の効果があった可能性がある。

量的緩和政策は、このように円安をもたらすことを通じて、実体経済にプラスの影響を及ぼしてきた可能性がある。

第1-3-7図 実質為替レートの変化と日米マネタリーベースの相対格差