目次][][][年次リスト

第2章 アジアの世紀へ:長期自律的発展の条件

第4節 アジアの長期自律的発展の条件

5.全要素生産性の引上げ

 アジアが長期自律的発展を遂げるために必要な要素として、社会保障制度、地域格差、労働力、インフラを取り上げ、それぞれの現状と課題等についてみてきた。アジアが今後も持続的な成長を続けていくためには、いわゆる全要素生産性の引上げも重要である。全要素生産性の引上げの手段は多岐にわたると考えられるが、ここではまず、アジアの技術進歩についてみる。次に、企業の競争力や効率性を高める観点から、アジアの貿易政策、競争政策等についてみる。最後に、アジアにおけるビジネスのしやすさについて、ビジネス環境データや政府のガバナンス指標を用いて現状を確認し、ビジネス環境と成長の関係についてもみることとする。

(1)技術進歩のための方策

●直接投資を通じた技術移転、ODAを通じた技術協力
 企業の競争力を強化し、経済全体の成長力を高める上で、技術は重要な役割を果たしている。アジアにおいては、先進国からの技術移転により、技術開発の時間やコストの削減が可能となり、高い成長率を達成してきたともいえる。
 技術移転の方法には、契約や委託加工を通じるものなど、様々な方法があるが、アジアでは直接投資によるものが中心であったと考えられる。直接投資による技術移転は、資本を伴いながら、生産技術、管理技術、経営ノウハウ等が一括して移転される形態であり、受入側に効率的に技術移転が行われると考えられる。アジアでは、80年代後半以降、直接投資の流入が大きく伸びており、これらの多くは技術移転を伴っていたと考えられる(第2-4-44図)。
 また、投資受入国側に人的資源が育ち、技術を受け入れるだけの技術基盤が形成され、十分な技術吸収能力があると、直接投資の経済発展への貢献はより大きくなる。また、投資受入国側の能力形成が進めば、外国投資家側からみて、安心してより高度な技術を伴う直接投資を行うことが可能となる。高度な技術をもたらす投資が実行される結果、投資受入国の成長が加速されるとともに、一層高度な投資を受け入れることが可能となるといった、プラスの循環が発生することも可能と考えられる。
 技術移転の多くは、直接投資によりもたらされるところが大きいと考えられるが、ODAを通じた技術協力もある。例えば、日本は、中国、インドネシア等のアジア諸国(26)に対して、2008年度までの累計で、総額1.3兆円に及ぶ技術協力を行っている(第2-4-45図)。内訳としては、金融セクター改革、中小企業育成・振興、農工業、行政、法制度整備、環境等の幅広い分野における人材養成が中心となっており、研修員受入れ、専門家派遣、調査団派遣等を実施している。

●総じて低い研究開発投資
 前述のように、アジアは、先進国から直接投資を受け入れ、その際、高度な技術を併せて導入し、これにより持続的な成長を維持することが可能となったとも考えられる。受け入れる技術水準が高まるに従い、技術を導入し使用するための技術力を有する人材を育成することや、受け入れた技術を独自に発展させることが可能となる研究機関、また、全く新しい技術を研究・開発していくことも必要と考えられる。しかしアジアでは、総じてR&Dにかかる研究員の人数が少なく、R&Dにかかる支出額も小さい。例えば、人口100万人当たりのR&Dにかかる研究員の人数をみると、シンガポールでは約6,000人、韓国では約4,000人となっているのに対し、中国では1,000人、マレーシアでは500人であり、インドでは100人程度となっている(第2-4-46図)。R&Dに関連する支出のGDP比をみても、アジアでは総じて比率が小さく、中国、インド、マレーシア等では、今後、発展段階に応じてこうした分野への支出を増大させていく必要があると考えられる。

●増加する特許出願件数の推移
 中国のR&Dの研究員の人数やR&Dに係る支出額は、シンガポール等に比べて小さい(前掲第2-4-46図)。しかし、2000年以降、特許出願件数は伸びを高めており、05年頃からは韓国を上回る状況となっている。特許出願数の中でも、国内企業からの特許申請が海外からの申請を上回っていることは、中国国内企業において独自の技術を開発するなどの技術力の高まりが生じている可能性が考えられる。また、インドにおいても、特許出願件数は着実に伸びているが、海外からの申請割合が大きくなっている。

第2-4-47図 特許出願件数の推移:中国で増加

●知的財産権保護の重要性は高まる
 前述のように、アジアにおける特許出願件数は増加傾向にあり、海外からの出願も多くなっている。しかし、アジアに進出している企業からは、知的財産権の保護が不十分であるとの指摘が、特に中国について多くなされている(第2-4-48図)。また、知的財産権だけでなく、法律全般について、運用が不透明であるとの指摘も、中国、インド、インドネシアで目立ってみられる。こうした状況は、アジアに投資する企業にとっては重大な問題であり、各国で知的財産権保護や法律の適正な運用に積極的に取り組む必要がある。
 知的財産権の保護の状況を、法整備の面からみると、中国では、2001年に、商標法、特許法、著作権法が整備されている(付表2)。インドでも、商標権、特許権、著作権、工業意匠権にかかる法律が2000年には制定されている。マレーシアにおいては70年代後半から2000年にかけて各種の知的財産権に関わる法律が制度化され、同様の法律がインドネシアにおいても80年代後半から2000年にかけて整備されている。
 アジアでは、中国を始めとして2000年頃までに特許権、著作権、商標権等の知的財産保護の関係法は整備されており、今後は、それらを適正に運用していくことが課題となるとみられる。

(2)貿易政策と競争政策

●アジアの貿易・投資環境
 アジアにおいては、これまで成長の原動力であった外資の活用を引き続き促進していくことが重要であると考えられる。アジアでは、ASEANを中心とした様々な自由貿易協定や投資協定が発効している(第2-4-49表)。こうした取組を通じた貿易・投資の拡大により、アジア各国の企業間の競争が活発化し、競争を通じた生産性の向上がもたらされることが考えられる。
 貿易協定の状況をみると、例えば、93年1月にASEAN6か国(原加盟国(27))で交渉がスタートしたASEAN自由貿易圏(AFTA)では、2010年に原加盟国間における輸入関税を撤廃しており、15年には新加盟国(28)との間においても原則撤廃することとしている。また、ASEANと中国の間では、02年11月に「中ASEAN包括的経済協力枠組み協定」が署名され、04年1月から、農産物品の一部について関税の引下げが行われており、10年1月からは原加盟国との間で原則撤廃となっている。ASEANとの関係では、この他、韓国、インド、日本等との間で、それぞれ自由貿易協定が発効している。また、06年に発効しているシンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイ間の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)については、08年にアメリカ等4か国が参加を表明し、今後交渉が進展していく見込みとなっている。
 また、交渉中のものや構想段階のものもある。例えば、APECでは、加盟21か国で自由貿易地域を実現しようとするアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想が検討されている。09年11月のAPEC首脳宣言では、「将来のあり得べき太平洋の自由貿易圏(FTAAP)へ向けた構成要素の探求を継続する。実務者による分析研究は、FTAAPの創設に伴う課題とともに、FTAAPが大きな経済的恩恵をもたらすことを示している。我々は、明年、FTAAPを実現するための一連のあり得べき道筋を探求した結果について、閣僚及び実務者からの進捗報告を期待する。」とされた。

●競争政策と規制政策
 企業が互いに競争することにより、より良い商品やサービスが安価で市場にもたらされることが期待される。競争環境が整備されていることは、商品やサービスの提供を受ける消費者にメリットがあるだけでなく、企業間の競争を通じて、企業の生産性を高め、経済全体の成長力を高めることにもつながるものと考えられる。したがって、アジア各国では、実効性のある競争政策に取り組む必要があると考えられる。
 アジアの競争法の制定の状況をみると、インドでは70年、タイ、インドネシアでは2000年頃に施行されている(第2-4-50表)。中国では08年、ベトナムでは05年に施行されるなど、最近になって整備されている国もある。また、競争法の執行機関をみると、フィリピンを除き、競争委員会等の独立した機関が設置されているものとみられる。法の執行可能性の観点からは、望ましい形態となっている。
 また、競争政策と並び、企業の経済活動に影響を与える重要な政策として、規制政策が挙げられる。政府が不適切な規制を制定した場合、企業はその規制を遵守するために過度のコストを負担することになる。これが、企業の生産コストを高め、生産的活動への資源配分を妨げることがある。また、高価格の物やサービス供給という形で、消費者の経済厚生を引き下げる可能性もある。生産性の向上の観点からは、規制が存在することによって発生する、不必要なコストを削減することも重要である。アジアの一部の国・地域では、こうした観点に立って、規制改革が進められている(第2-4-51表)。

(3)ビジネス環境

 次に、アジアのビジネス環境をみてみよう。ビジネス環境とは、企業が経済活動を行う上で遭遇する、起業や営業、労働者の雇用に伴う各種の許認可、納税手続き、海外との貿易の際の通関手続き等の様々な場面において、企業活動に影響を与えるような、法律や規制の体系をみたものである。企業の経済活動を阻害せず、促進させるような法律や規制が整備されている場合、ビジネス環境が良いということになる。
 ビジネス環境を整備することは、国内企業にとって望ましいだけでなく、直接投資の受入れを促進し、外資の活用や企業間の競争を通じて、経済全体の生産性向上につながるものと考えられる。したがって、全要素生産性を高める上で、ビジネス環境を整備することは重要なことであると考えられる。ここでは、アジアのビジネス環境について、ビジネス環境データと、ビジネス環境を高める上で重要な役割を果たす政府のガバナンス能力についてみることとする。

●アジアのビジネス環境
 第2-4-52図は、実際に企業が労働者を雇用してビジネスを行う場合に、各国でどのような手続きが必要となるかや、あるいは現に存在するビジネスにかかわる規制やコスト等により、アジア各国のビジネス環境を評価したものである。評価指標は、10項目あり、それぞれについて、各国順位をつけている。これによると、ASEANの中では、シンガポール、タイ、マレーシアが相対的に円の形が大きく整っており、すなわちビジネス環境が整っていると考えられる。一方、フィリピン、インドネシア、インドでは、ビジネス環境にかかる評価が高いとはいえないとみられる。

●ビジネス関連法の整備
 ビジネス環境と法制度は深い関係がある。例えば前述の第2-4-52図では、ビジネス環境を項目ごとに評価しているが、それぞれの評価項目には関連法がある(第2-4-53表)。そして、それらの法律の整備状況が、ビジネス環境の評価を左右することにもなる。アジアにおいても、積極的にこうしたビジネスにかかわる法律を整備し、ビジネス環境の整備につなげていくことが必要である。また、こうした法律を整備するだけでなく、法律の整備や法律を運用する組織の整備、それらにかかわる人材の育成(法律の運用を適切に行うことができる人材の育成等)も併せて重要と考えられる。

●総じて低いアジアのガバナンスレベル
 次にアジアの政府のガバナンスをみてみよう。世界銀行研究所では、ガバナンスを「その国の権威・権力が行使される一連の慣習と制度」と定義し、その国のガバナンス状況を、(i)国民の声と説明責任、(ii)政治的安定と暴力の不在、(iii)政府の有効性、(iv)規制の質、(v)法の支配、(vi)汚職の抑制の6つの分野に分けて評価している。約200か国について順位をつけ、相対評価を行っている(29)
 政府のガバナンスは、ビジネスにかかる環境を構成する要素の1つと考えられる。各指標について、アジアのガバナンスの状況をみると、総じて台湾、韓国、シンガポールについては数値が高く(相対的な順位が上位にあり、ガバナンスが良い)、その他アジア地域については、数値が低め(相対的に順位が低い)であるといえる(第2-4-54図)。
 指標ごとにみると、「国民の声と説明責任」(国民の政治参加、結社の自由等があるか)については、中国とベトナムにおいて相対的な順位は低く、インドネシアでは顕著に改善している。
 「政治的安定と暴力の不在」(国内で発生する暴動等、制度化されていない、あるいは暴力的な手段により政府の安定が揺るがされる可能性があるか)については、インド、インドネシアでは相対的な順位は低く、また、マレーシア、タイ、フィリピンでは悪化している。
 「政府の有効性」(行政サービスの質、政治的圧力からの自立度合い等)については、マレーシアで比較的評価が高く、タイ、インドネシアで悪化が目立つ。
 「規制の質」(民間セクターの開発を促進するような政策や規制が策定されているか)については、韓国、インドにおいてやや順位に上昇がみられる一方、マレーシア、フィリピン、インドネシア等ではやや順位が低下している。
 「法の支配」(公共政策に携わる者が社会の法を遵守しているか、契約の履行、警察、裁判所の質等)については、韓国、ベトナムを除くアジアでは、総じてやや相対的にみて順位が低下している。
 最後に、「汚職の抑制」(その国の権威・権力が一部の個人的な利益のために行使される度合い)については、インドでやや相対的に改善している一方、中国、フィリピンでは相対的な順位が大きく低下している。

●ビジネス環境と直接投資流入額、一人当たりGDPの関係
 ビジネス環境を整備することにより、実際に成長率は高まるのであろうか。
 まず、ビジネス環境総合ランキングと直接投資の流入額との相関関係について考えると、通常、ビジネス環境の整備された国・地域に、直接投資はより多く行われるものとみられる。ビジネス環境総合ランキングと直接投資の流入額をプロットしてみると、第2-4-55図のようになっている。企業の直接投資の決定要因は、ここで評価したビジネス環境データには現れないものもあると考えられるものの、一定の関係はみられる。
 また、ビジネス環境総合ランキングと、一人当たりGDPの相関関係をみると、総じてビジネス環境について高評価の国ほど、一人当たりGDPも大きい傾向がみられる(第2-4-56図)。ビジネス環境を整備することは、直接投資の流入を促進し、国内企業においても生産性向上に寄与するものとみられる。アジア各国は、今後も、ビジネス環境を整備していくことが重要であると考えられる。


目次][][][年次リスト