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第2章 アジアの世紀へ:長期自律的発展の条件

第4節 アジアの長期自律的発展の条件

1.社会保障制度の整備

(1)アジア各国で進む社会構造の変化と社会保障

●長寿化・高齢化の進展
 アジア各国では、ここ数十年の間に平均寿命が大きく伸び、長寿化が進んでいる(第2-4-1図)。中国、インド、ASEAN(1)では、平均寿命は、1970年代には、40歳台後半〜60歳台前半であったが、07年には多くの国で70歳台となっている。同時に、第2節でみたように、人口構成も変化しており、高齢化が進展している。国により「高齢社会(65歳以上人口比率14%以上)」の段階となる時期には差があるものの、いずれの国においても、高齢化は非常に速いスピードで進むことが見込まれている。

●工業化による都市化の進展
 また、アジア各国では、工業化に伴い、都市化が進展している。全人口に占める都市人口の割合をみると、2010年時点で、マレーシアでは7割強に達し、中国、インドネシア、フィリピンでも5割に近づいている(第2-4-2図)。また、タイ、インド、ベトナムでも、スピードは比較的緩やかなものの、都市人口は増加している。

●核家族化の進展
 同時に、核家族化も進展している。データが入手可能な国について、平均世帯人数を90年と直近とで比較してみると、中国では、都市部で3.5人から2.9人(08年)、農村部で4.8人から4.0人(08年)に、タイでは4.1人から3.3人(07年)に、インドネシアでは4.5人から4.0人(08年)に減少している(第2-4-3図)。

●社会保障制度整備の必要性
 アジア各国では、高齢化が急速なスピードで進展しており、多くの国で所得水準の低い段階で高齢社会を迎えることとなる。同時に、都市化や核家族化が進展する中で、これまで家族や共同体によって担われてきた高齢者の扶養の機能が減少しつつあるとみられる。
 また、多くの国では、従来、公的部門や大企業などの正規雇用者を中心に年金、医療等の社会保障制度が整備されてきており、農民や自営業者等がカバーされていない傾向がある。前述のように、都市化が進む中でも農村人口が比較的多い国も多く、また、多くの国で、都市部の雇用においても、小規模企業の就業者や自営業者等が多いとみられる。例えば、都市部の雇用における自営業者等の割合は、インドでは83.2%(99年度)、タイでは59.9%(99年)を占めるとされている(2)
 アジア各国では、経済発展に伴い格差等も生じている中で、セーフティネットの確保が必要であり、また、社会構造が変化しつつある中で、近い将来に到来する高齢社会に備えて、年金、医療等の社会保障制度の整備を進めていくことは急務であると考えられる。また、不十分な年金、医療等の社会保障制度は、家計における予備的貯蓄の動機ともなり得る。このため、社会保障制度の整備は、中長期的な内需拡大への取組という視点からも必要であると考えられる。例えば、中国においては、家計貯蓄率(都市部)が28.6%(09年)と高くなっているが、この一因として、社会保障制度の整備が不十分であり、高額な医療費が社会問題化していることなどから、家計が将来への不安や不測の事態に備えて貯蓄をする傾向があることが考えられる。
 以下では、社会保障制度が整備途上にあるアジア諸国を中心に(中国、インド、ASEAN(タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ベトナム))、年金制度及び医療保障制度の整備状況について概観する。

(2)アジア各国の年金制度の整備状況

 アジア各国では、何らかの公的年金制度は設けられているものの、現行の制度には、制度のカバー範囲を始めとして多くの課題が指摘されている。以下では、各国の年金制度の特徴についてみていきたい。
 アジア各国における公的年金制度の実施の方式は様々である(第2-4-4表)。
 まず、多くの国で共通している点は、公務員を対象とした制度と民間企業の被雇用者等を対象とした制度が並存して整備されていることである。民間被雇用者を対象とした制度についてみると、タイ、フィリピン、ベトナムでは、現役時代の所得に応じた一定額の給付を行う確定給付型の制度を採っており、マレーシア、インドネシアでは積立金と運用収益をもとに給付額が決まってくる確定拠出型の制度を採っている。また、インドのように確定給付型と確定拠出型との併用が行われている場合もある。さらに、タイ、インドでは、低所得の高齢者に対する給付制度も実施されている。これらの制度は、マレーシア及びフィリピンでは、1950年代と比較的早い時期から導入されているが、その他の国では、現行の制度の導入は90年代以降と比較的最近である。なお、マレーシアの制度は、強制貯蓄制度(Provident Fund)(3)となっており、高い国内貯蓄率(08年時点でGDP比42.2%)に貢献していると言われている。
 次に、公的年金制度のカバー率をみると、各国ともに日本と異なり国民皆年金とはなっていない。マレーシアについては比較的高いカバー率を達成しているが、中国、タイ、フィリピンでは、生産年齢人口の2割弱、インドネシア、ベトナムでは1割強と低い水準となっている。中でも、インドでは5.7%と更に低くなっている(4)第2-4-5図)。これは、制度の対象範囲が、公務員や民間企業の被雇用者(国によっては一定規模以上の企業)に限られていることも反映している。農村人口が多く、また、都市の雇用の中で自営業者等の占める割合が大きいアジア各国では公的年金制度のカバー率は必然的に低いものとなる。また、中国の都市部のように強制加入となっていても、制度への信頼性等の問題から加入率が低いものにとどまっている場合もある。
 しかし、カバー範囲は低い一方、年金給付の所得代替率(生涯年平均所得に占める年金給付の割合)をみると、比較的高い国が多い。特に、中国、フィリピン、ベトナムでは、6割を超えており、OECD平均と比べても高い水準となっている(第2-4-6図)。年金制度の対象者に対しては、厚い給付が行われている傾向がみてとれる。ただし、マレーシアについては、所得代替率は比較的低いものの、広い範囲をカバーしていることが特徴的である。
 受給開始年齢をみると、インド、タイ、マレーシア、インドネシアでは55歳と特に早くなっている(第2-4-7図)。平均寿命と受給開始年齢の差をみてみると、受給開始年齢が早いこと、先進国と比較すると平均寿命は短いものの近年伸びてきていることに伴い、年金の平均的な受給期間も長くなってきており、多くの国で15年前後、特にマレーシアでは19年と特に長くなっている。
 給付方法をみると、積立方式が採られているマレーシア、インドネシアでは、退職時に口座から全額を引き出すことが可能となっていることが特徴的である。また、インドでも、積立部分については退職時に一括給付され、さらに退職前の引き出しが可能となっており、実際に頻繁に引き出しが行われているといわれる。平均寿命も伸びている中で、このように、生涯にわたって所得を提供する制度となっていない場合には、個人が長寿リスクを負うことになる。
 そのほか、年金の給付額について、アジアにおいて、物価と賃金上昇率に自動的に連動させる制度を採っている国は中国、フィリピンのみであり(その他ベトナムにおいて最低賃金に連動)、その他の国では、生活費の変動を反映するための年金額の自動調整が行われていないことが課題として指摘されている(5)。こうした場合、年金が実質的な所得保障になっていないこととなり、特に経済発展段階にあり、物価上昇率が比較的高いアジア各国においては、大きな問題である。
 以上のように、アジア各国の年金制度の整備状況に差はあるが、課題は多い。多くの国が所得水準の低い段階で高齢社会を迎える見込みであるため、セーフティネットの確保の観点から、現在狭い範囲に限られているカバー範囲を拡大していくことがまずは急がれよう。ただし、アジア各国では、農業従事者が多く、また、都市部においても自営業者等が比較的多いため、保険料や給付の算定の基礎となる所得の捕捉が困難であるとみられ、所得比例の年金制度を導入する場合には所得捕捉体制を整えることも課題の一つであると考えられる。また、現時点では、年金への公的支出は、マレーシアを除き1〜2%台と概して低いが、今後、高齢人口の増加により財政的負担が高まっていくことが見込まれることから、財政の持続可能性を考慮しながら、制度を整備していく必要がある。その際、現在の一部の層に対する比較的高い所得代替率や、平均寿命が伸びている中で比較的早い時期となっている受給開始年齢等を必要に応じて見直しつつ、整備を進めていく必要があると考えられる。

(3)アジア各国の医療制度の整備状況

 まず、アジア各国の基礎的な健康関連の指標についてみる。まず、乳幼児死亡率をみると、大きく低下してきており、インド以外の国では、中所得国の平均と比較しても低い水準まで達している(第2-4-8図)。浄化された水源やトイレ等の衛生施設へのアクセスの状況をみても、国により達成状況にばらつきはあるものの、全般的に改善が進んでいる(第2-4-9図)。こうしたことからみると、基礎的な保健衛生政策が進展してきていることがうかがえる。
 医療資源へのアクセス状況についてみると、人口1,000人あたりの医療従事者数(医師、看護師、助産婦)は、最も少ないインドネシアで0.9人、最も多いフィリピンで7.3人となっている(第2-4-10図)。WHOは、ミレニアム開発目標で重点とされている主要なプライマリ・ヘルスケアの介入を十分なものとするために、人口1,000人当たり2.3人以上の医療従事者が必要と推計しており(6)、中国、タイ、マレーシア、フィリピンではこれを達成しているが、全般的にまだ低い水準である。なお、医療資源が少ないのみならず、医療資源の偏在の問題も指摘されている。ESCAPによれば、アジア・大洋州地域の多くの開発途上国において、医療資源は都市に偏在しており、例えば、インドでは、医療施設(公的及び民間)の約8割が都市部に集中しているとされている(7)
 各国の医療に関する公的な制度の整備状況をみると、年金の場合と同様、主として、公務員、民間企業の被雇用者を対象とした制度が実施されている場合が多いが、国により特色がある(第2-4-11表)。タイでは、保険制度の対象外の者に対して、受診できる医療機関は限定されるものの無償で医療を受けられる制度、マレーシアでは、全国民が公立の医療機関において低額の負担(低所得者、政府職員は無料)で医療サービスを受けられる制度を実施しており、いずれの制度も、保険ではなく税を財源とするものとなっている。また、中国では、都市部の民間企業の就業者に加え、都市部の非就業者、農村住民を対象とした制度も設けられており、比較的広い範囲がカバーされている。さらに、中国政府は、2011年をめどに国民の9割以上を基本的な医療保険に加入させることを目指している。フィリピンでも、政府は全国民の加入を目指しており、08年時点で医療保険制度(フィリピン健康保険公社)への加入率は76%に達している。
 このように、ある程度の整備が進んでいる国もある一方、インドでは全人口の10%以下しか医療保険でカバーされておらず(8)、インドネシアやベトナムでもカバーされていない人口の割合が高いと言われている。また、中国では、医療保険制度は地方政府がそれぞれ実施しているが、農村部からの出稼ぎ労働者については加入対象となっていない場合が多く(一部の都市では加入が認められている)、出稼ぎ先の都市において医療を受けられないといった固有の問題も存在している。
 医療支出の内訳をみると、多くの国で、私的支出(公的医療保険の自己負担分や私的医療保険からの支払い等)が公的支出を上回っており、一度病気になった場合には、医療費の家計への負担が大きいものとみられる(第2-4-12図)。中でも、公的保険制度の整備が進んでいないインドやベトナムでは、私的支出の割合が非常に高く、私的支出のうち自己負担分が医療支出全体に占める割合をみても6割を超えている(第2-4-13図)。また、フィリピンについては、比較的広い範囲がカバーされているものの、私的支出の割合が比較的高い。他方、タイでは、広い範囲に無償医療を提供していることを背景に、公的支出の割合が64.5%と大きく、医療支出に占める自己負担の割合は27.2%と非常に低いものとなっている。
 こうした状況下では、家計は、病気や病気による所得減少に備えて貯蓄を行う必要性も高く、また、所得水準の低い層においては疾病を機に貧困に陥る可能性も高い。今後、公的医療制度のカバー率を引き上げ、個人への負担を軽減していくことが求められる。しかし、高齢化が進み、高齢者向けの医療の要請は増える。また、経済発展に伴い、疾病の中心も感染症などから慢性的な疾患へと、先進国と同様の傾向を示すようになり(9)、医療サービスの内容の高度化も見込まれる。こうしたことから、医療費が増加していくことも予想され、財政への負担に配慮しながら、制度を拡大していく必要がある。一般政府支出に占める医療支出の割合をみると、タイ、中国では既に比較的高いものになっている(第2-4-14図)。両国ともに高齢社会の到来が比較的早いため、高齢化への対応が求められるが、特に、税負担による無償の医療制度が実施されているタイでは、将来的に財源が大きな問題となる可能性がある。


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