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第1章 物価安定下の世界経済

第3節 物価安定下の金融政策

(2)ユーロ圏における金融政策(ECB設立以後)

● 今次局面における景気回復の遅れと金融緩和
 ECBは、01年5月から金利引下げを開始し、03年6月までに2%まで段階的に引き下げた。その後は、04年以降、英国やアメリカ等における政策金利引上げの動きの中で、政策金利は05年12月まで30か月にわたり2%に据え置かれた。低い金利水準が維持された背景として、ドイツを中心にユーロ圏の景気回復が遅れていたことが指摘されている。特に、04年初からフランス、スペイン等では好調な個人消費を背景に景気は回復していたものの、ドイツ、オランダ等では遅れがみられ、ユーロ圏内の景気回復は国ごとにばらつきがみられていた。

● 5年2か月ぶりにECBも「予防的」引締め
 05年12月の2%から2.25%への引上げ時においては、原油価格高騰が続く中、消費者物価指数(HICP)(5)上昇率は2.2%、コアHICP上昇率は1.4%と依然抑制されていたものの、トリシェ総裁は、「インフレに関してはそれが起きてから対応するよりも未然に予防(prevention)する方が良い」とし、予防的な引締めを行った。その後、3月に引上げが行われ、6月にも引上げが見込まれる状況となっている(前掲第1-3-1図)
 05年12月の金利引上げ時における物価上昇率及びGDPギャップの動きをみると、物価上昇率が比較的抑制されている中で、FRBの04年6月の引上げ局面開始時と同様に、GDPギャップがマイナスからプラスに転ずる時期とほぼ一致している(第1-3-3(2)図)。それ以前における引上げ局面の開始となった99年11月もほぼ同様で、GDPギャップがマイナスからプラスに転ずる状況下で、物価上昇に先立ち引上げが行われている。需給バランスのタイト化は将来の物価上昇をもたらす可能性が高いと考えると、先行きのインフレリスクとして、足元の需給情勢を考慮した金融政策運営が行われていると考えられる。

(3)英国における金融政策

(i)英国における最近の金融政策

● 金利引下げと住宅価格高騰
 英国も、01年2月に政策金利を6%から5.75%に引き下げたのに続き、以降(9か月連続)10回にわたり4%まで引き下げた。その後インフレリスクを警戒する中で政策金利は4%に据え置かれたが、03年2月に再び引き下げられ、03年7月の再度引下げによって3.5%と歴史的低水準(48年ぶり)となった。
 しかし、一方で、02年頃より低金利を背景に、住宅需要の増加とともに住宅価格上昇が続き、住宅バブルを警戒する発言が相次ぐようになっていた。このため、03年11月には3.75%に引上げ、その後も断続的に4.75%まで引上げた結果、当時の欧米の政策金利として最も高い水準となった(前掲第1-3-1図)。  

● 05年8月の引下げは僅差による決定
 05年に入り、住宅価格は沈静化したものの、それまで住宅市場の好調によって支えられていた消費の伸びが鈍化し、経済成長率も伸びが鈍化した。8月には、成長率鈍化等を背景に、政策金利は4.5%に0.25%ポイント引き下げられた。議事録によれば、本決定は委員9人のうち引下げが5票であったのに対し、キング総裁を含む4人は据え置き、と僅差の決定であったことが明らかになっている。
 当時の物価上昇率とGDPギャップの動きをみると、GDPギャップは05年初よりマイナスに転じている。しかし、物価上昇率は緩やかながらも上昇しており、8月の金融政策委員会(MPC)会合時点で明らかになっていた6月の消費者物価上昇率は2.0%、会合後に公表された7月の消費者物価上昇率は2.3%と目標値を超えるものであった。MPCが難しい選択を迫られていたことが分かる(前掲第1-3-3(3)図)。

● 先見的(フォワードルッキング)な政策運営
 英国中央銀行(BOE)は、インフレーション・レポートという四半期報を公表しており、その中で先行き2年間の物価上昇率や経済成長率の見通しを、ファン・チャートと呼ばれる確率分布で示している。インフレ見通しの作成にはMPC委員も関与しており、政策運営に機械的に連動しているわけではないが、MPCがフォワードルッキングな政策判断を行う上での重要な材料とされている(6)。05年8月の同レポートをみると、物価上昇率予測を示すファン・チャートでは、2年後まで1〜3%のレンジ内に収まっているものの、先行きが一時的に2%を上回ることが見込まれる中、06年以降は2%を下回ることを予想している(第1-3-4図)。MPCによる実際の政策運営においても、経済の先行きを考慮した政策決定を行っていることが分かる。

(ii)英国の現政権下における金融政策運営

●通貨危機とインフレーション・ターゲティングの導入
 英国では、90年10月に自国通貨を欧州通貨のバスケットに連動する為替相場メカニズム(ERM)に参加し、為替相場安定を重視する金融政策運営を行っていたが、92年9月の欧州通貨危機をきっかけにERMを離脱し、フロート制に移行した。こうした中で、金融政策に対する信認維持等を目的として、92年10月に財務大臣から「消費者物価(RPIX)の前年比を1〜4%の範囲内とする」旨の発表があり、インフレーション・ターゲティングが導入された。その後、物価上昇率は低下し、約半年後の93年11月にはおおむね2.5%程度で推移するようになった(第1-3-5図)
93年2月には初のインフレーション・レポートが公表されるなど、金融政策運営の透明性を高める取組がみられた。

●BOEの独立性確保とその後の期待インフレ率低下
 しかし、インフレ期待は変動しつつも高水準を続け、4%台後半で高止まりした。これは、運営の枠組みの信頼性が必ずしも高くないことを意味していた(7)。97年5月に労働党のブレア政権後、金融政策運営について枠組みの変更が行われ、BOEに政策手段の独立性が確保された。具体的には、98年6月にBOE法が改正され、政府(財務省)が設定したインフレ目標値(Inflation target)を達成するため、BOEは政策金利の決定を含む権限を与えられ、政策決定機関としてMPCが設置された(8)。インフレ目標値は、消費者物価(RPIX)上昇率2.5%としたが、これは常に2.5%を維持することを示しているのではなく、ある程度の期間で2.5%に戻るよう金利を調節することを意味する。ただし、消費者物価上昇率が目標値の上下1%を超えた場合には、BOEはその理由を財務大臣に公開書簡で報告する義務を負う。
 その後、期待インフレ率は顕著に低下し、期待インフレ率及び足元の物価上昇率ともに安定した動きが続き、かつその水準はインフレ目標の水準へ収斂してきている。すなわち、BOEの場合、インフレーション・ターゲティングの導入に加え、BOEの独立性確保を含めた政策運営の枠組みが確保されたことにより、市場参加者の期待形成を安定させ、マクロ経済の効率性の改善に寄与しているとみることができる(9)

コラム:テイラー・ルールの推計とテイラー原則

本文でみたように、少なくとも最近の主要国の政策金利の変更は、物価上昇率だけでなく景気(需給要因)も考慮して行われていると考えられる。
テイラー・ルールとは、物価上昇率が長期的な目標値からどの程度乖離しているか、及び景気変動に対応する指標(例:GDPギャップ)が均衡値からどの程度乖離しているかに応じて、政策金利の変更を行っていく金融政策ルールである。
テイラー・ルールによれば、基本的に需給ギャップがプラス(マイナス)となれば、金利を引き上げ(引き下げ)る。一方、何らかの要因により仮に物価上昇率(または期待インフレ率)が1%上昇したとしよう。この場合、実質金利は1%低下するが、これに対応して金利を0.5%しか引き上げなかった場合、実質金利は依然0.5%低下したままであり、緩和効果が持続してしまう。したがって、金融政策により物価上昇率(または期待インフレ率)変動の影響を相殺し望ましい経路に戻すためには、物価上昇率の変化以上に名目金利を引き上げる必要がある(テイラー原則)。
テイラー・ルールの推計方法は様々であるが、その一例は表のとおりである。アメリカでは、87年以降のグリーンスパン議長の在任期間を対象とすると、それ以前のボルカー議長の在任期間とは異なり、テイラー・ルールが当てはまる結果となっている。また、期待インフレ率の長期パラメータは1より大きく、テイラー原則が当てはまっている。
参考に、ユーロ圏、英国についてみると、ユーロ圏についても、データのとれる92年以降ユーロ導入までみると、同ルール及び原則が当てはまっている。ユーロ導入後は結果が明確ではないが、推計期間が短いためかもしれない。一方、英国については、97年のブレア政権成立後に現在の金融政策の枠組みとなったが、同ルール及び原則がある程度当てはまっている。

テイラー・ルールの推計の一例


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