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第 I 部 海外経済の動向・政策分析

第2章 地球温暖化に取り組む各国の対応

第2節 温暖化への取組における経済的インセンティブの活用

3.排出権の配分方法を巡る課題と、競争力、所得分配等への影響

 以上みてきたように、排出権取引のねらいとする排出削減費用の効率化については、批判や留保はあるものの、おおむね肯定的な評価がなされてきている。次に、排出権取引を巡る重要な論点として、排出権の初期配分の方法と、産業の競争力や所得分配への影響について、必要に応じ環境税も参照しながら考察したい。

●温室効果ガスの排出削減と産業競争力との関係
 最初に、温室効果ガス(以下「GHG」という。)の排出削減を行うためには、生産の縮小や効率的な設備の導入を行うことが必要であり、このため、GHGの排出の多い産業を中心に負担が生じて国際競争力にも影響が生じると考えられる(58)が、これは、排出権取引等の経済的メカニズム固有の問題ではないことを確認しておきたい。むしろ、排出権取引等の経済的メカニズムは、こうした排出削減に伴う負担を経済社会全体としてより小さなものにすることをねらいとしている。したがって、経済全体としては、排出権取引制度の導入により、ほかの方法で排出削減を行う場合よりも国際競争力への影響を軽減し得ると考えられる。しかし、産業別にみると、特に排出権をどのような方法で初期配分するかによって、影響は大きく異なり得る。そこで、以下では、産業別の影響と初期配分の方法との関係について検討する。

●「グランドファザリング」が中心
 排出権の初期配分の方法には、無償で行うか有償で行うか、無償の場合どのように行うかといった区分がある。
 これまでみてきた各国・地域の制度の多くでは、排出権の全部又は大半を関係企業の過去の排出実績等に応じて無償配分する方法(グランドファザリング)がとられている。この方法の利点は、制度導入時に個別企業に大きな負担が生じないため、制度導入が相対的に円滑に行えることであり、こうした理由から多くの国で採用されている。
 しかし、この方法は、既存事業者を優遇する一方新規参入を阻害するおそれがある(59)。さらに、排出量の多い産業を中心に既存事業者がこの制度により利益を得る可能性があることも指摘されている。すなわち、排出権を無償で配分されている既存事業者が、追加的に若干の排出権を調達して増産をすると、増産部分の限界的な生産費用にはその排出権価格が上乗せされるが、こうした事業者が、この限界費用の増分を無償配分された排出権を利用して生産される部分を含めた全ての生産物の価格に転嫁すると大きな差益を得る可能性(「ウィンドフォール利益」と呼ばれる。)がある(60)
 こうした問題への対処方法は、グランドファザリングを前提とした対処方法と、全く違う方法により排出権を配分することにより対処する方法の二通りがある。まず、グランドファザリングの下でも、例えば、EU−ETSでは、新規参入を阻害しないよう、新規参入者に対しての一定の配分枠を留保し無償で配分することとしている。また、ウィンドフォール利益については、これを見越して厳しめの排出権の配分を行うこと(61)等の対応が考えられる。いずれにしても、グランドファザリングの下では、こうした問題に細心の注意が必要であると考えられる。

●「ベンチマーク方式」と「オークション」
 一方、グランドファザリング以外の配分方法としては、一定のエネルギー効率を前提として排出権を配分する「ベンチマーク方式」を採用することや、排出権の全部又は一部をオークション等により有償で配分する方法が考えられる。
 ベンチマーク方式は、実例としては、電力小売業等を対象としたニューサウスウェールズ州の制度で採用されている(前掲コラム2参照)。各産業の実状に応じて適切な排出削減目標や基準を定め、それに応じた排出権配分を行うことができれば、本制度は、上述したグランドファザリングに伴う問題点の解決に大きく資すると考えられる。しかし、多様な産業を対象として産業間で公平性を保つ適切なベンチマークをどのように設定するかという課題がある。
 一方、オークションの場合は、新規事業者にとっても、排出権を購入する負担は既存事業者と同等であるため、新規参入を阻害するおそれが少ないと考えられる。さらに、排出権の初期配分の段階から、排出権の購入か排出削減のどちらかの選択を事業者に求めるため、市場機能が作用し、経済全体での排出削減費用の最小化にも大きく資すると考えられる。
 しかし、排出権の全量又は相当部分をオークションにより配分する場合には、これによる負担の増分を製品価格にどの程度転嫁できるかにもよるが、排出者、特に、排出量の多いエネルギー産業や一部の製造業の負担が重くなり、国際競争力への影響も大きくなると考えられる。こうしたことを考慮して、各国・地域の制度では、まずはグランドファザリングによる無償配分を中心とし、段階的にオークションの比率を高めていくこととしているものが多い(62)。この点については、批判もあるが、当初から完成された制度を導入するのではなく、制度導入を円滑化し、次第に制度の完成度を高めていく考え方がとられているともみることができる。
 このように、排出権をどのように配分するかは、費用削減効果や、各事業者の負担に大きく影響し得る。なお、その際、各国・地域で、同様の制度的枠組み・運用を取ることができれば、産業別の競争力への影響も軽減され得るとも考えられる。制度設計に当たっては、以上の各点を踏まえた十分な検討が必要であると考えられる。
 ところで、全額オークションの場合は、理論的には、その落札価格で炭素税を課すことと同一の効果が生じると考えられる(63)。実際、既にみたように、北ヨーロッパ諸国等炭素税を採用している国では、概して、国際競争力に配意して国際的な競争に直面している製造業等の産業・部門については税の軽減措置を講じており、こうした点からも産業別の競争力への影響がこうした経済的メカニズムの採用に際しての重要な考慮要因となっていることがうかがわれる(64)。ただし、このように産業・部門によって税率を異にすることは、経済社会全体としての排出削減費用最小化(効率化)の効果を損なうことになり得ることは留意すべきであろう。

●温室効果ガスの削減に伴う家計への逆進的な影響
 次に、家計の所得分配との関係について考察したい。
 電力や暖房燃料等のエネルギー等は生活必需品の性格が強いことが多いため、GHGの排出削減を行おうとすると、そのコストがこうした商品・サービスの価格に転嫁され、家計の所得分配に逆進的な影響が生じる傾向があることが各国で指摘されている。たとえば、アメリカ議会予算局(CBO)が07年4月に取りまとめた排出権取引に関する報告書では、アメリカのCO排出を15%減少させるという厳しい前提で試算すると、そのコスト負担は逆進性が強く、低所得層では所得の3.3%に達するのに対して、高所得層では1.7%にすぎないとしている(65) (第2-2-19表)。ただし、産業競争力の場合と同様、こうした負担は、経済的メカニズムを導入するか否かに関わりなく、排出削減を行うためには不可避のものであることに留意すべきであろう。排出権取引等の経済的メカニズムは、経済社会全体としてこうした負担を小さくすることをねらいとしているため、同等の排出削減を行う場合には、こうした逆進的な影響を緩和できる可能性があると考えられる。
 ただし、環境税や、排出権の初期配分を有償で行う場合には、環境税の税負担や排出権の購入費用も製品価格に転嫁され、一層逆進的な影響を及ぼす可能性がある(66)。このため、環境税の税収や排出権の販売収入を用いて、税や社会保障負担を軽減し、逆進性を緩和することが検討課題となりうる。実際、環境税等の増税に際しては、例えば、91年のスウェーデンの税制改革のように、所得関連課税や社会保障負担の軽減を行い、逆進的な影響を相殺することが多い。

●排出権販売収入による減税等の効果
 このように、環境税や排出権の有償配分の場合には、それによる収入を政府が何に用いるかという論点がある。たとえば、これらの収入を、温暖化対策関係の研究開発等に用いる場合には、結果として、歳入・歳出とも温暖化対策によって拡大することとなるため、こうした歳出増による政府の規模の拡大をどう考えるか議論が必要になるだろう。
 また、これらによる収入を、歳入中立の原則の下、所得税等の軽減に充てれば、排出削減に伴う逆進性を緩和する効果が、また、法人税や所得税の軽減に充てれば投資や雇用を増加させ経済への影響を緩和(ほかの方法で同様の排出削減を行う場合と比べて、相対的には経済全体を活性化)する効果が得られる可能性もあることも指摘されてきている。例えば、前述のCBOの報告書は、排出権取引によりアメリカのCO排出を15%減少させる前提で試算して、排出権を無償配分(67)する場合には、排出削減が経済全体へ与えるマイナスの影響はGDP比0.28〜0.34%に及ぶが、排出権を政府が販売しその収入を法人税等の減税に充てる場合には、減税により経済が強化されるため条件によっては経済に与えるマイナスの影響を半分程度(68)にすることができるとしている(69)
 このように、環境税や排出権の有償配分の場合には、それによる収入の使途をどうするかが、制度設計上の非常に重要な論点となる。

●産業や家計への影響も考慮した総合的な検討が必要
 以上述べてきたように排出権取引等の経済的メカニズムは、効率的な排出抑制を可能とする一方で、様々な形で経済社会への大きな影響をもたらし得る。特に、その手法によって、産業競争力や家計の所得配分への影響が異なり得ることは、重要である。もとより、温暖化対策としての排出権取引の歴史は短く、その効果や影響についてはこれまでのところなお未解明な点が多い。これまでの議論については、実例を踏まえた一層の精査が必要と考えられるが、いずれにしても、こうした経済的メカニズムの効果や導入の適否を検討するにあたっては、こうした影響も十分に考慮した総合的な検討が必要と考えられる。その際、家計の所得配分に影響が生じ得ることや、排出権の有償配分や環境税の場合にはこれによる政府の収入の使途をどうするかという論点があることから、ほかの税や社会保障負担等による対応も含めた議論が必要と考えられる。


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