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第 I 部 海外経済の動向・政策分析

第2章 住宅価格の上昇と消費拡大の効果―アメリカ、英国を中心に―

第3節 低インフレ期の金融政策と住宅等資産価格の変動

 ITバブル崩壊後、アメリカ経済は大規模な減税策(48)と大幅な金融緩和策による内需刺激により、デフレを回避することができたといえる。このことは同時に、大幅な金融緩和策による住宅価格の上昇が資産効果を通じて景気に与える影響の大きさを改めて確認することにもなった。金融政策によって需要を創出しデフレ回避に成功したことは、金融政策は「紐のように、引くことはできても押すことはできない」というオーソドックスな政策観に一石を投ずることにもなった。
 第1節でみたように、住宅価格の理論値は、P=R/(r+σ-π)で与えられる。すなわち、住宅価格には、実質金利及び住宅保有のリスクが高まれば下落し、期待家賃上昇率が高いほど上昇するという関係がある。したがって、低インフレ期には政策金利は低水準で維持され、また、好景気が持続していれば住宅保有リスクも低下するため、住宅価格は強含みとなりやすい。こうした状況の下で、さらに住宅の需給のひっ迫が予想され期待家賃上昇率が少しでも高まれば、もたらされる住宅価格の上昇幅は大きなものとなり得るだろう。逆に、期待家賃上昇率が低下した場合にも、住宅価格の下落幅は大きいものとなりかねない。資産効果がより大きいということが、金融政策の有効性を一層高めるというだけでなく、「低インフレ、低金利」期には「住宅ブーム」の発生や崩壊を通じて経済変動をより大きなものとする側面があることを示唆している。また、このような特徴は、株式等金融資産の場合にはより大きく現れる傾向にある。
 以上のような認識の下、以下では昨今の「住宅ブーム」に焦点をあて、政策当局の間で行われた、低インフレ期の金融政策の在り方について、論点を整理する。

1.住宅価格の動向と経済への影響(49)

(1)住宅価格の動向とその影響

 住宅価格は景気に遅行して動き、かつ景気の振幅を拡大する(Pro-Cyclical)傾向があるとされている。また、住宅価格の変動サイクルは、景気サイクルよりも長くなる傾向がある。これは、政策金利が物価上昇率を基本的に考慮しつつ動かされ、タームストラクチャーを通じて、住宅価格を左右するモーゲージ金利に影響することでタイムラグが生ずるためとみられる。ただし、具体的にどの程度のラグを伴うかは、各国におけるモーゲージの構成(期間、固定/変動)やモーゲージ市場の完備度に依存しているとされる(第2-3-1図)
 アメリカ等先進国の住宅価格と金利、物価、景気との関係をみると、次のような変動パターンが認められる。住宅価格は政策金利の引下げに遅行して上昇を始め、住宅価格の山は、政策金利が引上げられ始めてから1年半から2年後に訪れ、政策金利が引下げに転じてからも4年近く下落し続ける傾向がある。住宅価格と物価の動きにはかなりのずれがあり、物価(CPI)は住宅価格よりも半年ほど遅行して上昇し始めるが、住宅価格より1年程度遅れて上昇率の山を迎える。景気(実質GDP)との関係では、景気拡大に伴う住宅価格の上昇局面は平均2年以上続き、景気が減速した後も半年程度上昇を続け、山を迎える。景気は後退後、1年程度で反転するが、山を越えた後の住宅価格は緩やかに低下し続け、4年程度後にようやく上昇に転ずることが多い。
 このように住宅価格の動向は景気の拡大局面や減速局面の初めでは成長率を加速させ、後退局面では景気の谷における経済成長率を大きく低下させるだけでなく、反転を遅らせる効果をも持つとみられる。また、山をつける前の住宅価格は、山をつけた後と比較して政策金利に対し敏感に反応する傾向がある。ITバブル崩壊直後のアメリカにおいても、山をつける前の住宅価格が政策金利の引下げに敏感に反応したことが、資産効果を通じ景気回復を早めることになったと考えられる。このような資産効果を通ずる政策を活かし、経済のレジリアンス(50)を高めることで景気の安定化を図る方策があるのではないか、そのためにモーゲージ市場をアメリカや英国並みに整備し、金融政策効果の波及経路を強化してはどうかとする考え方が提案されるようになってきた(51)

(2)資産効果と景気変動

 物価が安定し低金利となっている下で、経済成長が持続する場合に住宅等の資産価格の上昇にはずみがつくことが多い。04年に入って、アメリカの住宅価格上昇率が急速に高まり、金利に対して過度に住宅市場が反応することの是非が景気の不安定化の観点から議論されるようになった(52)。金利自由化を始めとする金融市場の自由化により、モーゲージ市場が整備・拡大するにつれ、モーゲージ金利と市場及び政策金利との連動性が高まってきたが、これが70年代、80年代のブーム時と比べ住宅価格の変動幅を拡大し、住宅価格サイクルを長期化させているのではないかという論点である(53)
 住宅価格の動向が経済へ与える影響は大きく、しかも物価が安定している場合にも変動することが多いだけに、金融政策当局がいかに「住宅ブーム」に対処すべきかについて、近年欧米を中心に盛んに議論が行われるようになった。
 これまでのところ、住宅価格に限らず、資産価格を物価や産出量といった本来の金融政策の目標に優先させる政策運営を行う中央銀行はない。しかし、資産価格の急変動が景気変動を増幅する効果を持つとすれば、政策運営として全く無視できるものでもない。以下ではこうした問題を巡る議論について簡単に紹介する。

2.低インフレ期の金融政策

 過去においても住宅価格等の資産価格の動向は必ずしも経済全体の物価動向と連動していない。今般の住宅価格の上昇は、「低インフレ、低金利」の下で生じており、過去に例がないほど物価動向との乖離が大きくなっている。アメリカでは住宅市場の過熱懸念から、また英国、オーストラリアでは「住宅ブーム」終息後の急落懸念から住宅価格の動向が注目されている。こうした中で、住宅価格等資産価格と金融政策との関係はどうあるべきかについて04年頃から活発に議論が行われている。多くの中央銀行では、資産価格を金融政策の目標とはしないものの、ECBのように、住宅等のバブルが生じ、それが崩壊した場合に生じる経済への影響の大きさにかんがみ、資産価格の異常な上昇に対しては予防的に政策対応をとるべき(54)とする考え方もある。

●資産価格は金融政策の目標となるか?
 金融政策の目標が一般的に物価の安定とされている以上、仮に住宅等の一部の資産価格の上昇率に異常がみられたとしても、政策当局として参照すべきなのはあくまでも経済全体の期待物価上昇率であるべきという考え方が今日でも主流である。FRB、BOE等がこのスタンスを採用しているが、両国では、住宅価格上昇率が著しく高まる一方で物価上昇率は安定的に推移するという状況である。このような状況にもかかわらず、近年行われている議論では、金融政策当局として資産価格の大きな変動に対してとるべきスタンスは次のようなものである。
 つまり、大多数の見解は(55)、「資産価格の変動が、インフレやデフレ予想を変えるほどの圧力を生じない限り、金融政策を資産価格の変動に応じて変更する必要はないし、また望ましくもない」というものである。この根拠として以下の3点が挙げられる(56)
  第一に、住宅価格の上昇のうち、ファンダメンタルズの改善に基づく部分とそうでない部分を見極めるのは困難なことである。「住宅ブーム」は景気動向に遅行して生じるため、景気が拡大している間に生産性の上昇や投資の大幅な拡大を通じて、経済のファンダメンタルズ自体も改善していくから住宅価格も上昇する。故に、金融政策変更を適切なタイミングかつ最適規模で実施しようとしても常に不確実性が伴う。
 第二に、「風向きに逆らう(leaning against the wind(57))」ように、バブル予防的に金利の引上げを行うと、それは大幅なものとなってしまい、副作用も多いことである。大幅な金利の引上げによって当該資産価格の高騰は回避できたとしても、金融政策の本来の目的である物価の安定に対しては過剰なものとなり得、物価の安定化の範囲から大きく逸脱してしまうことになる。したがって、このような金融政策は、アカウンタビリティの視点から困難が伴うと予想される。特にインフレターゲット政策を厳格に実施している諸国では制度上の制約がある。
 第三に、もし仮に資産価格の高騰が確実にバブルであるとしても、政策実施の最適なタイミングの取り方及び金融引締めの程度を特定するのが難しいことである。もし多少でもずれた場合、逆に景気を不安定化させ、経済に多大な悪影響をもたらす可能性が高いからである。また金融政策が住宅価格に影響するまでのタイムラグが正確に予測できないことも指摘されている。タイムラグの長さは様々な要素に依存し、国ごと、時期ごとで異なるため、政策発動のタイミングの特定が困難になる。そもそも、住宅価格のピークがいつになるのかを事前に正確に知るのは不可能である(58)。さらに、住宅価格がひとたび下落に転じると、数年間下落し続けることから、時宜を失して急激に金利を引き上げてしまうと行過ぎ(Over-Kill)が生ずる可能性も高くなるのである。

コラム 政策金利引上げと実質長期金利の世界的低下現象

 04年6月以降、アメリカの政策金利が12回(11月1日時点)連続で引き上げられているにもかかわらず、長期金利はほかの国も含めて低下傾向にある。アメリカでは、80年代以降の規制緩和の進展により長期金利とモーゲージ金利との連動性が高まっているため(相関は0.9以上)、モーゲージ金利も低位で推移しており、住宅市場の過熱を助長し、金融政策の舵取りを難しくしている。
 グリーンスパンFRB議長は05年2月の議会証言においてこの現象について取り上げた。その中で、幾つかの可能性について言及しつつも、いずれも決定的な要因とはいえないとして、その原因は「謎(Conundrum)」と結論付けた。
 彼が可能性として挙げた理由の概要は以下のとおりである。(1)将来の期待成長率が低い、(2)高齢化社会の到来により、とりわけ先進国において年金基金の積立て不足が明らかとなる中、年金ファンドがポートフォリオを組むに当たって長期債への需要が高まっている、(3)海外の中央銀行が外為介入資金や外貨準備高の積増しのためにアメリカ国債を大量に購入していること、(4)ロシアや中国、インド等の新興国が市場に新規参入したことや金融取引技術が発達したこと(59)が、より効率的、低コストでの生産が可能となり、物価上昇率を押し下げ、関連するリスクプレミアムを低下させている。グリーンスパンは、いずれの仮説も長期金利の引下げに寄与しているとみられるものの、いずれも足元で生じている現象の説明、及び「世界的」な現象である説明ができず、決定的な理由とはならないと指摘した。

●長期を見据えた金融政策運営の必要性
 オーストラリアでは、かつて大規模な「住宅ブーム」と崩壊を何度か経験している。最近も「住宅ブーム」を経験したが、今日では住宅価格は横ばいから下落気味となっている。同国中央銀行総裁は、資産価格を金融政策の目標とはしないものの、資産価格の動向を、経済のファンダメンタルズの1つとしてその動きを考慮しながら金融政策を運営するべきとした(60)。資産価格に異常な動きが生じる場合には、政策効果のタイムラグが長いことを考慮して、先行きを見通した政策運営を行うことが必要であるとし、通常の1、2年よりも長めの期間を見通した金融政策を行うべきとしている。
 また、資産価格の安定化を図る上で、直接金融政策を用いず、住宅価格等資産価格の異常な高騰に対しては、金融監督の強化等や規制の強化(61)により対応したほうが望ましいとする考え方もある。これは、政策実施に伴う経済へのコストがより小さいという観点からの指摘である(62)(63)

まとめ

 2000年のITバブル崩壊後、株式等金融資産から資金が流出したこと、また、景気低迷を背景に世界的な低金利政策がとられたこと等により、アメリカ、英国を始めとした幾つかの先進国で「住宅ブーム」が発生した(64)。住宅市場の活況は、住宅投資及び関連耐久財購入による消費の増加に加え、「資産効果」を通じた消費全般の拡大により景気を安定化させるのに一定の効果があった。
 今般の「住宅ブーム」においては、「低インフレ、低金利」という共通の外的環境を抱えながらも、ブームの大きさは各国間で大きく異なっているが、これは、主にモーゲージ市場の発達度合に起因するものとみられる。とりわけ英国、アメリカにおいては、80年代以降の金融市場における規制緩和や制度整備の進展を受け、より低コストで家計が住宅資産を抵当とした借入れを行えるようになったことが家計の流動性制約を緩め、資産効果を通じた消費拡大効果が発揮された。
 英国は住宅価格上昇率が最も高かったものの、現在ではブームも終息し、ほぼソフトランディングに成功したとみられる。依然住宅価格の上昇が続くアメリカは、過去のトレンドとの乖離をみる限り、他国と比較してこれまでのところ異常とはいえないものの、住宅価格の動向が消費に与える影響が英国に比べて大きいとみられることに加え、足元において投機的な取引が拡大する兆候がみられている点には注意が必要である。その一方で、モーゲージ金利が上昇の兆しをみせるようになり、一部指標で住宅価格上昇率が鈍化するものもみられるため、結論が出るまでにもう少し時間がかかるといえよう。
 近年では、住宅市場の資産効果が大きいことにかんがみ、金融政策の有効性を高めるチャネルとしてモーゲージ市場を位置付け、ITバブル崩壊後に果たした効果を評価して、アメリカ並みに発達させることによって金融政策の波及経路を強化し、景気後退局面において金融政策を通じ経済のレジリアンスを高めようという考え方が出てきた。しかし、04年以降、とりわけ05年に入ってアメリカの住宅市場の過熱に対して懸念されるようになるにつれ、この考え方が必ずしも全面的に支持されるとは言い難くなっている。むしろ金利に対して過度に住宅市場が反応することが、かえって投機的な行動を助長させ、金融政策実施上の困難を伴うことも多いことから、不必要な経済変動を招く側面の方が強調されてきている。
 住宅等資産価格と金融政策の望ましい関係に関しては、いまだ様々な課題が残されており、今後アメリカの住宅価格がどのように変化するか、ソフトランディングに成功するかどうかが(65)、政策を方向付ける上で大きな鍵を握っているといえよう。


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