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第II部 世界経済の展望――緩やかな景気回復

第2章 緩やかな回復にとどまる世界経済

第1節 今回景気回復局面の特徴と先行きのリスク

 2002年後半に入り、世界経済の見通しは下方修正されることとなった。2002年の経済成長率見通しは、2002年春から2002年秋にかけて、アジアでは上方修正されているが、アメリカ、ヨーロッパでは下方修正されることとなった。本節では、アメリカ、アジア、ヨーロッパそれぞれの今回景気回復局面の特徴と、今後の先行きに関するリスクを検討する。

1.回復が緩やかとなったアメリカ経済

 アメリカ経済は2002年1〜3月期以降、景気回復局面にあるとみられているが、年後半以降、回復は一層緩やかなものとなっている。その要因として、(i)雇用や生産・設備投資の回復の遅れ、(ii)企業会計不信問題を契機とした株価の大幅な下落、(iii)個人消費の鈍化、を指摘できる。

●雇用・生産・設備投資の回復の遅れ
 今回の景気回復局面の特徴をみるために、生産がプラスに転じた2002年1月を始期として、過去の回復局面と比較してみると、個人消費は比較的堅調に推移している一方で、雇用、生産、設備投資の回復に遅れがみられることがわかる(第II-2-1図)。
 個人消費については、2001年6月から実施されている所得税減税や、同年9月から大手自動車メーカーにより実施されているゼロ金利キャンペーン等の各種販売促進策、高い水準で推移する住宅価格(後述)等が、回復を下支えしてきたとみられる。しかしながら、雇用の回復の遅れや、企業会計への不信問題を契機とした株価の大幅な下落(後述)などから、消費者マインドは悪化が顕著になり、特に自動車販売の影響を除くと、7月以降、消費の伸びに鈍化がみられる。また、10月以降はゼロ金利キャンペーンの一巡等から消費全体の伸びも鈍化がみられるようになっている。
 雇用の回復が遅れている背景には、労働生産性の高まりが雇用の回復を妨げていることがあるといわれている。労働生産性をみると、現在はトレンド線よりもやや上方で推移していることから、雇用の回復にはこれまで以上の生産の回復を待つ必要がある。
 生産の回復の遅れから、稼働率は低い水準にとどまっており、設備投資は過剰な状態が続いている。資本のフロー(設備投資)とストック(資本ストック、企業が保有する生産設備の合計)の動きをみると、2001年以降は設備投資が前年比でマイナスとなっており、過剰資本を調整する過程にあるとみられる。中でもIT分野では稼働率が低迷しており、特に過剰な資本を抱えている可能性が高い。稼働率が最も低迷している通信分野の過剰資本の存在を光ファイバーの稼働距離でみると、40%程度となっている(1)。さらに、光ファイバーの通信効率は年々倍増することに鑑み、光ファイバーの稼働率は僅か数パーセント程度にとどまっているとの見方もある(2)

●企業会計不信問題を契機とした株価の大幅な下落
 2001年12月の大手エネルギー会社エンロンの破綻は、大手会計事務所が会計操作に加担していたことから企業会計への不信問題に発展した。株価は2002年3月19日をテロ事件後のピークとして下落に転じ(第II-2-2図)、さらに2002年6月に大手長距離通信会社ワールドコムにおいても会計操作が明らかとなったことから一段と下落した。こうした株価の大幅な下落は、実体経済の回復を緩やかなものとする一因となったとみられる。
 企業会計不信の高まりに対し、アメリカ政府は迅速に対応し、信頼の回復に努めた。証券取引委員会(SEC)は、6月28日に年間売上高12億ドル以上の945社の最高経営責任者(CEO)等に対し、最新の決算報告の正確性につき宣誓書を提出するよう求めた。さらに、7月30日には企業改革関連法(サーベンス・オクスリー法)が成立し、SECではこれに基づき、決算報告が義務付けられる企業全てに、毎期の決算報告の提出に際し宣誓書を提出するよう定めた。
 企業改革関連法の成立をはじめとする政府の迅速な対応と、宣誓書の最初の期限である8月14日までに新たな会計不祥事が発覚しなかった(3)ことなどから、株価は8月には落ち着きを取り戻した。しかし、この間の株価の下落は、消費に対する逆資産効果や資本コストの上昇を通じて、実体経済の回復にマイナスの影響を与えたとみられる。米ブルッキングス研究所では、S&P500指数が2002年3月19日から7月19日までに28%の下落となったことから、(株価が7月19日の水準にとどまった場合)企業会計不信問題はGDPを年ベースで0.34%押し下げる効果があったとの試算(4)を行っている。

●株価はバブルであったか
 8月下旬以降、景気先行き懸念等から株価が再び下落し、90年代末に大幅な上昇をみせる以前の水準にまで戻したことから、これまでの株価はバブルではなかったかとの見方が強まっている。特に、通信、IT、エネルギーの3分野での下落が著しい。2000年3月をピークとするアメリカの株価(S&P500指数)と、89年12月をピークとする我が国バブル期の株価(日経平均)を比較すると(第II-2-3図)、極めて似た動きを示しており、我が国バブル期との類似点も指摘されている。
 現実の株価が、株式の収益率と無関係なバブル的要素を含むかどうかをみるために、株価(S&P500指数)の変動が株式の収益率を決定する企業収益と長期金利の変動に依存すると仮定し、収益に見合った株価を理論価格とする推計を行った。現実の株価と比較すると(第II-2-4図)、現実の株価は95年頃から理論価格からかい離して大幅に上昇していたが、2000年3月をピークにかい離幅は縮小している。同様の推計を、中小企業も含む株価指数(ウィルシャー5000)について行ったところ、ほぼ同様の動きを示しているが、2002年7〜9月期ではS&P500を用いた場合よりもかい離幅はやや小さくなっている。これらの結果から、1995年以降の株価高騰にはバブル的な要素が含まれており、中小企業では調整がより進んでいると考えられる。
 アメリカでもバブルが崩壊したとする見方から、我が国同様に長期低迷局面に入るのではないかとの懸念もあるが、アメリカ経済はバブル崩壊の影響をより早期に克服できるとする見方もまた多い。我が国経済との相違点としては、(i)労働生産性の低下がみられないこと、(ii)企業会計への不信問題が生じたものの、迅速な解決をみており、コーポレート・ガバナンスは健全な状態にあること、(iii)金融システムはより健全であること、(iv)金融政策の余地は大きいこと、(v)住宅バブルは発生していないこと、などが指摘されている。このうち、住宅バブル発生の有無について以下で検討する。

●個人消費を支えた住宅価格
 株価の大幅な下落にもかかわらず、消費が落ち込まなかった背景には、高水準を続ける住宅価格があったといわれる。
 2000年以降、株価の大幅な下落により家計保有の株式資産は大幅に減少しているが、一方で住宅価格は上昇が続き、住宅資産は増大している。一般に、株式資産が1ドル増加した場合、消費は3〜4セント、住宅資産が1ドル増加した場合、消費は5セント増加する効果(資産効果)があるとされる(5)。このことから、株価下落が消費に与えた逆資産効果の大半が、住宅価格上昇による資産効果で相殺されたとの見方が一般的となっている(第II-2-5図)。
 住宅資産の資産効果が株式資産のそれを上回る理由としては、住宅資産は株式資産に比べ所得別に見た保有層に偏りがないことから、資産効果が幅広い層で期待できることが挙げられる。さらにアメリカでは、住宅ローンの借換え時に住宅価格の上昇分だけローン残高を積み増してこれを現金として受け取るキャッシュ・アウトや、住宅の純資産(住宅資産−住宅ローン残高)を担保に新規に借入れを行うホーム・エクイティ・ローンといった手段が充実していることから、住宅価格の上昇は消費者の流動性制約の緩和となって購買力の高まりにつながることも挙げられる。
 高水準で推移する住宅価格を利用した消費者の借入れの増大は規模的にも大きい。2001年には1,400億ドルのキャッシュ・アウトがあったとの見方もあり、これは2001年に実施された所得税減税(410億ドル)を大きく上回る。キャッシュ・アウトで調達した資金の約2割は消費支出に振り向けられるとされており、住宅価格が個人消費の下支えに果たした役割は大きいと考えられる。
 なお、約40年ぶりの低水準となった長期金利も、利子費用の低下をもたらした。家計負債の7割弱を占める住宅ローンについては、2001年には1.2兆ドルの借り換えが行われているが、その間の住宅ローン金利の低下幅が1.2%程度であったから、140億ドル(対可処分所得比0.2%)の負債の減少があったことになる。

●住宅価格はバブルか
 高水準で推移する住宅価格についてもバブルではないかとの見方がある。先にみたような住宅資産が消費に与える資産効果は大きく、住宅価格が下落した場合には、逆資産効果の影響が懸念される。
 住宅価格が高水準で推移する背景には、(i)株式市場から債券市場への資金移動やアメリカ経済に対する先行き懸念などから、長期金利が歴史的に低い水準となっていること、(ii)人口動態や移民の増加など住宅需要の高まり、などが指摘される。住宅取得世代と考えられる25〜34歳の人口の増加率の推移をみると(5)、90年代後半から総人口の伸びを上回っている。また世帯数の伸びも総人口の増加率を上回って推移している。また、人口増加数に占める移民の割合も1991年以降は上昇傾向で推移しており、現在は40%近くに達している。
 現実の住宅価格が、住宅資産の収益率や需要の高まり等のファンダメンタルズと無関係なバブル的要素を含むかどうかをみるために、現在の住宅価格が将来の予想家賃収入の割引現在価値であるとする簡単な収益還元モデルを基に主要地域別の理論価格を推計した(第II-2-6図)。住宅価格上昇率が高くバブルの可能性が高いといわれる都市でも、理論価格と現実の住宅価格との間にそれほどかい離はみられず、バブル的要素は余り含まれていない可能性が高い。ただし、今後についてはバブル的要素が生じる可能性は否定できず、住宅価格の動向を見守る必要がある。

●企業収益の会計的取扱いを巡る議論
 景気回復の遅れから企業収益の動向に注目が集まるなか、企業収益に対する会計的取扱いの違いが、企業収益の把握を困難にしているといわれている(6)。また、企業会計不信問題への反省から、企業収益に関する会計的取扱いを見直す動きもある。
 企業収益を国民所得統計ベースとS&P500社の企業会計ベースとで比較すると、99年から2001年にかけてかい離幅が拡大している(第II-2-7図)。米商務省では、こうしたかい離は(i)対象企業、(ii)業種構成、(iii)会計原理の違いによるとしている(7)
 (i)対象企業については、国民所得統計では内国歳入庁の税務統計を基に、全ての企業を対象としているのに対し、S&P500社は対象が株式時価総額の大きい企業に偏っている。企業収益は99年から2001年にかけて株式時価総額の大きい企業ほど高まっており、このことがかい離の一因となったと考えられる。
 (ii)業種構成については、S&P500社では国民所得統計に比べて製造業の割合が高くなっており、99年から2001年にかけてのITバブルの影響がS&P500社でより強かったことがかい離の一因となったと考えられる。
 (iii)会計原理について、米商務省では、国民所得統計では、ストック・オプションが権利行使された際に費用化(付与された株価の市場価格が権利行使価格を上回った分に株式数を乗じた額を人件費として計上する)しているのに対し、企業会計では費用化されていないとの違いを指摘している。このうち、ストック・オプションについては、権利行使額が98年から2000年にかけて大きく拡大したとの試算があり、この時期の企業収益を企業会計ベースと国民所得統計ベースとでかい離させる大きな要因の1つとなったと考えられる。ストック・オプションを費用化した場合、2002年のS&P500社の企業収益は10%程度減少するともいわれている(8)
 また、企業会計不信問題への反省から、近年IT関連企業を中心に用いられるようになっていた会計方式等を見直すべきとの議論もある。それらは、合併・買収による一時的な影響を取り除くプロフォーマ(9)と呼ばれる会計方式や、企業収益の国際比較を容易にするEBITDA(10)と呼ばれる指標であり、買収企業の評価損や利払い費用等を計上しないことから、企業収益を実態よりも多くみせ、会計が不透明になっていると批判されている。こうした会計の不透明化が会計操作を招いたとの批判もある。


2.回復が続くアジア、回復力が弱まったヨーロッパ

 今回の景気回復局面において、アジアでは比較的早期の回復がみられたが、ヨーロッパの回復は緩やかなものであった。2002年後半に入り、アメリカ経済の回復が一層緩やかなものとなるなか、アジアでは総じて回復が続いているが、ヨーロッパでは回復力が弱まっている。

●アジアとヨーロッパ:対照的であった内外需の寄与
 今回の景気回復局面におけるアジアとヨーロッパの実質GDP成長率(前年同期比)を比較すると、アジアでは2002年に入り、はっきりとした回復に転じているのに対して、ヨーロッパでは2002年初めにみられた緩やかな回復がこのところ停滞している(第II-2-8図(i))。
 ヨーロッパの成長率を国別に比較すると、特にドイツ、イタリアの回復力が弱い。ユーロ圏のGDPの約3割を占めるドイツでは、2002年後半に再び減速に転じており、ヨーロッパの景気回復の足かせとなっている。
 アジアとヨーロッパの成長率を内外需の寄与度に分解してみると、アジアでは多くの国で景気回復の初期は外需に牽引されていたものの、内需が順調に回復傾向に転じていることが分かる。これに対し、ヨーロッパでは内需の回復傾向はみられない。特に2002年の4〜6月期には内需の寄与がマイナスとなり、回復を弱いものとしている。

●アジアの回復に大きな役割を果たした国内需要と域内需要
 アジア諸国の成長率を内外需の寄与別にみると、内需が強い国ほど回復力が強くなっている(第II-2-8図(ii))。景気が拡大している韓国やタイ、景気回復が続くマレイシアでは内需が成長に大きく寄与しているのに対し、比較的回復力が弱い台湾、香港、シンガポールでは内需の寄与はマイナスが続いており、成長は外需に依存している。
 2001年から2002年の各国の失業率をみると、韓国、タイ、マレイシアでは台湾、香港、シンガポールに比べて失業率が低くなっており、失業率の低さが堅調な内需の一因であったと考えられる。
 アジア諸国の輸出を地域別にみると、アメリカ向け輸出の比率は低下を続けており、代わってアジア域内向けの輸出比率が高まっている(第II-2-9図)。域内の中では特に中国向け輸出比率の高まりが顕著であり、今回景気回復局面において、アメリカとならび中国がアジア諸国の外需を下支えする役割を果たすようになったことがうかがえる。
 アジア諸国の対中輸出比率の上昇は、90年代から傾向的にみられる。この背景には、中国と他のアジア諸国との間にIT関連製品等の生産における垂直分業関係が進展しつつあることがあるといわれている。
 2002年における中国の輸入増(8月までの累積値、前年同月比)の内訳をみると、加工貿易(11)輸入(輸入全体に占める割合は4割弱)の増加がその7割弱を占め、加工・組立に必要となる財の輸入が牽引していることが伺える。また財別にみると、電気・電子機器輸入(同2割強)が、輸入増の3割強を説明している。中国のアジア諸国からの輸入は、電気・電子機器が占める割合が特に高く(第II-2-10図)、アジア諸国は、加工・組立に必要となる電気・電子機器を中心に対中輸出を伸ばしているとみられる。

●持ち直しの動きから再び減速したドイツ
 ドイツは、2002年半ばに持ち直しの動きがみられたものの、後半には再び減速に転じるに至った。今回の景気回復局面においてヨーロッパでは内需に弱さがみられることを指摘したが、特にドイツにおける内需の弱さは著しい。2002年に入り、成長率は1〜3月期、4〜6月期ともプラスとなっているが、国内最終需要ではマイナスが続いている(第II-2-11図)。しかもその落ち込みは93年の景気後退時よりも大きい。ドイツの国内最終需要は90年代を通じて弱さがみられることから、その背景には構造的な要因があると考えられる。
 消費が弱含みで推移している要因としては、雇用の伸びが低くとどまっていることがあげられる。90年代後半以降のドイツの消費、雇用の伸びを他のヨーロッパ諸国と比較すると、それぞれ2分の1、3分の1となっている。ドイツでは賃金交渉が産業別に大規模に行われる(12)ことが知られており、賃金が労働者の生産性に関わらず硬直的に決定される傾向があるという。また、社会保障負担も重く、非賃金コストを上昇させている。雇用コストを(ドルベースで)国際的に比較すると、ドイツは最も高い水準となっており、雇用の伸びを抑える一因となっていると考えられる。また、このところの株価の大幅な下落や、不動産価格の傾向的な下落も、逆資産効果を通じて消費の押し下げ要因となっていると考えられる。株価は2002年9月以降、テレコム、銀行関連の株を中心に特に大幅に下落しており、住宅価格は90年の東西ドイツ統合による不動産ブームの反動から下落が続いている。
 設備投資を巡る環境は、厳しさを増しているとみられる。ドイツでは、99年から2000年にかけて企業の倒産が20%増加したこともあり、銀行貸出は、このところ生産活動を下回る伸びとなっている。また、ECBによる一元的な金融政策の下で、インフレ率は低く、実質金利は高止まっている。他のユーロ圏諸国と比較すると、2002年におけるドイツの実質金利は最も高い水準にあり、経済成長率は最も低いものとなっている(第II-2-12図)。


3.世界経済の先行きへのリスク

 前章で明らかにしたように、2002年後半の世界経済の回復は緩やかになるものの、2003年後半にかけて回復の勢いは増していくと見込まれる。こうした中、今後の先行きに対するいくつかの地域横断的なリスクがある。

● イラクを巡る軍事的緊張の高まり
 イラクを巡る軍事的緊張が高まった場合、世界経済は主に原油価格の上昇を通じて、大きくマイナスの影響を受けると考えられる。
 原油価格は、イラクを巡る情勢の緊張等から7月から10月にかけて既に1バレル当たり約4ドル程度上昇しているが(第II-2-13図)、このところの緊張の高まりが軍事的衝突に至った場合にはさらなる上昇が見込まれる。軍事的衝突が起きた場合、原油価格10ドルの上昇が3か月間続くとの仮定の下、世界のGDPを0.25%(13)押し下げる、とした試算もある(14)。なお、原油価格の上昇は、期待インフレ率の高まりを通じ、長期金利上昇圧力となることにも注意が必要である。90〜91年の湾岸危機の際、世界的に上昇傾向にあった長期金利(15)が一段と上昇傾向を強める中、アメリカで90年10月末から91年2月初めまでの3か月余りの間にFFレート目標水準が6回にわたり計1.75%引き下げられたということがあった。現在のFFレート目標水準は既に1.25%という極めて低い水準にあり、利下げ余地が少ないことは留意すべき点である(第2節を参照)。
 さらに、軍事的衝突が生じた場合、こうした実体経済への悪影響を懸念し、消費者・企業のコンフィデンスの悪化や株価の下落がもたらされることも見込まれる。90年にイラクがクウェートに侵攻した際、アメリカではコンフィデンスが大幅に悪化し、株価の下落とともに消費・生産の減少もみられた(第II-2-14図)。
 一方、軍事的衝突は軍事支出の拡大をともなうため、GDPを押し上げる。2002年9月、米議会予算局(CBO)はイラクとの軍事的衝突があった場合の費用に関する試算を公表した。これに基づくと、軍事的衝突が3か月間続いた場合、財政支出の拡大幅は320〜470億ドル(対GDP比0.3%〜0.5%)(16)となり、原油価格上昇等のマイナスの影響をある程度相殺する可能性がある。
 なお、10月にインドネシアのバリ島で起きた爆弾テロ事件など、このところ頻発しているテロ事件も、世界経済の先行きへのリスクとして挙げられる。

● アメリカの経常収支赤字とドルのサステイナビリティ
 アメリカの経常収支赤字は、2002年4〜6月期に初めて対GDP比で5%に達した(第II-2-15図)。経常収支赤字の拡大が注目されるのは、経常収支赤字の累積により対外債務が非現実的な高水準となり、サステイナビリティ(持続可能性)への懸念が生じた場合に、通貨の大幅な減価による調整が見込まれるためである。特に、アメリカの経常収支赤字の拡大を背景に、基軸通貨であるドルが暴落した場合、世界経済に大きな攪乱的影響を与える可能性がある。
 IMFでは、2002年9月の経済見通しにおいて、90年代後半のアメリカの経常収支赤字は株式等証券投資の流入によって賄われ、ドルを増価させていたが、2001年以降は株価の下落にともなってドルも減価していることを指摘した。さらに、過去に大幅な経常収支赤字の拡大がみられた先進諸国の事例から、経常収支不均衡は通貨の下落や経済成長率の低下をともなって調整される可能性が高い、とする分析結果を紹介するなど、このところのアメリカの経常収支赤字拡大とアメリカへの資本流入の減少がドルのさらなる下落につながる可能性に注意を払っているとみられる。
 ドルの大幅な調整の可能性については、ドルが基軸通貨であるため、ドル需要が急激に落ち込むことは考えにくいとの見方(17)があるほか、緩やかなドルの下落はアメリカの輸出を促進し、デフレを防ぐなど、アメリカ経済にとってプラスの面もあるとの見方(18)もあるが、経常収支赤字とドルのサステイナビリティの潜在的リスクには注視が必要である。

● 中南米諸国における経済危機と動揺
 2002年8月、長引くアルゼンティンの経済危機(2001年12月〜)の影響を受けて金融危機に陥ったウルグアイに対し、アメリカ政府およびIMF等国際金融機関は緊急融資を決定した。IMFは続いて同月中にブラジルへの新規融資枠を設定する方針を発表(9月承認)するなど、このところいくつかの中南米諸国で経済危機や動揺がみられる。こうした経済危機や動揺は、中南米諸国全体に広がる可能性ばかりでなく、他の地域に「伝染」(19)する可能性もあり、世界経済にとってのリスク要因となっている。相次ぐ金融支援は、そうした「伝染」の広がりを防ぐためのものとみられている(20)
 アルゼンティンでは2000年後半に政府債務償還の資金調達に対する懸念が高まったことから経済的動揺が始まった。2000年12月にIMFを中心とする国際金融支援策が発表された後も、銀行預金や外貨準備の減少、ならびにイールド・スプレッドの拡大は続き、2001年8月のIMFによる追加融資枠の決定も、こうした動きを押し止めることはできなかった(第II-2-16図)。2001年12月にはついに、公的債務の一時支払停止(事実上のデフォルト)を発表し、翌年1月にはカレンシーボード制を撤廃、2月に変動相場制に移行するに至った。長引くアルゼンティンの経済危機は、ウルグアイ等周辺諸国にも「伝染」し、2002年春以降に非居住者等の銀行預金の大量引出しをもたらし、金融危機に至らしめた。
 ブラジルについては、2001年の半ばに既にアルゼンティンの経済的動揺の影響がみられていたことから、IMFでは9月に予防的に融資枠を設定した。その後は、アルゼンティンの影響はそれほどみられなくなったが、2002年の5月以降、10月の大統領選挙に向けて政権交代の可能性が高まったことから、動揺が始まり、通貨(レアル)の急落やイールド・スプレッドの拡大がみられるようになった(第II-2-17図)。8月のIMFによる新規融資方針の発表は、市場では一時的に好感されたものの、通貨の下落やイールド・スプレッドの拡大は続いている。10月27日に次期大統領への就任(2003年1月〜)が決まった野党労働党のルーラ・ダ・シルバ氏は、これまで現政権の緊縮財政に批判的であったことなどから、IMF融資の行方を懸念する見方もあり、今後明らかになる次期政権の経済政策運営方針と、それに対する市場の反応が注目される。
 なお、アメリカ政府やIMFによる相次ぐ金融支援に対しては、被支援国の財政再建等の経済構造改革をともなうものでなければ、アルゼンティンのようにデフォルトに至るだけであるとして、これを疑問視する見方(21)もある。対外債務を多く抱える中南米諸国にとっては起債等による資金調達が極めて重要であることから、投資家の信頼が回復されるまでは経済危機の可能性は残るといえ、各国の経済構造改革の動向を見守る必要がある。


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