第1章 第2節 集積メリットの活用を模索する各地の実例 9.

[目次]  [戻る]  [次へ]

地域クラスターの所在地 九州

(この地域の特徴)

  • * 他とは異なるコンセプトの温泉地づくりを推進した民間人の行動力
  • * コンセプトを支える地域コミュニティと行政の動き

湯布院の人口及び関連する産業の規模の推移

(「クアオルト構想」の推進による温泉地づくり)

大分県中部に位置する人口約1万人の湯布院町は、山と田園に囲まれた典型的な山間地の風情を持った町である。ここに年間400万人弱の観光客が訪れ、その数は年々増加している(2000年の384万人から2002年には395万人)。観光客の多くは九州域内から訪れるが、東京や大阪などからの観光客も増加している。

福岡市からの所要時間は、鉄道で約2時間、大分空港からはバスで約1時間と、交通の便が特に優れているわけではない。また、大規模なレジャー施設があるわけでもない。ただ、100軒ほどある旅館等の宿泊施設をみると、温泉地にありがちな大型の施設や派手な看板等は全く見られず、比較的小規模の旅館が自然風景に溶け込むように立ち並んでおり、統一感のある街並みが出来上がっている。

今の湯布院のまちづくりの歴史は約30年前にさかのぼる。近隣の別府温泉に比べて小規模で際立った特徴のない当時の由布院温泉の状況に危機感を抱いた若手旅館経営者数名がドイツの温泉保養地の視察を行い、感銘を受けて帰国した。彼らがその体験をもとに提唱したまちづくりプランが「クアオルト構想」で、温泉、文化、自然を生かしつつ住民の生活環境を整えた上で、観光客もイベント等を見ながら滞在を楽しむことのできるドイツ流の保養温泉地を形成するというものである。この旅館経営者たちは、単に観光客を呼ぶだけの観光では行き詰まると考え、独自の温泉地づくりを目指して観光協会、旅館組合、町議会、行政に働きかけるなど、中心となって運動を推し進めたが、このことが今の湯布院を作り上げた。

これまでの道のりは必ずしも平坦ではなかった。80年代後半のバブル期には、大規模な開発計画が動こうとしたが、湯布院町は「潤いのある町づくり条例」を制定し、1,000m2超えの土地造成及び高さ10m超えの建築物を規制の対象として、町の統一感の維持に努めてきた。

(観光地としての課題への対応)

九州でも有数の観光地となった湯布院だが、今はいろいろな課題に直面している。例えば、まちなかの交通渋滞、条例の規制にかからない小規模開発の進行である。

交通渋滞については、「湯布院町まちづくり交通対策協議会」が、町内外のボランティアを中心に、流入する車の流れを円滑にする交通実験を先般行った。この実験は、道路交通のあり方について町民が広く議論するきっかけとなったと言われている。

また、小規模開発については、「ゆふいん建築・環境デザイン協議会」が、湯布院らしい風景をつくるための建築デザイン上の心得を示した『ゆふいん建築・環境デザインガイドブック』を作成し、啓発に努めている。

(「クアオルト構想」の実現に尽力した人々)

まちづくりについて議論する中谷氏(左端)

「クアオルト構想」を提唱した若手旅館経営者とは、溝口薫平(21)、中谷健太郎、志手康二(故人)の3氏であり、このような民間の人材が湯布院の温泉地づくりを主導してきた。3氏は、地域内外の幅広い人々の参加を大切にし、観光業に携わる人ばかりでなく、多様な分野の人々とのコミュニケーションを促進してきた。例えば、旅館の料理の食材として地域の特色ある農産物等が使われる機会が増えていることも、こうした連携の成果の一つと言える。また、90年には由布院温泉観光協会と由布院温泉旅館組合により「由布院観光総合事務所」が設立されたが、その事務局長を全国から公募するなど、湯布院町の外からの意見を取り入れることにも積極的である。このような、長期的目標を設定しその実現に向けていろいろなことに取り組む姿勢は、次の世代にも受け継がれてきている。

(他地域にも有益な地域再生のノウハウ)

近隣の別府温泉は、年間約1,200万人の観光客が訪れる国内有数の温泉観光地である。ここは、湯布院と対照的に大型宿泊施設が立ち並び、団体観光客でにぎやかなところだが、近年は観光客数の減少が続いていた。そこで、湯布院の運動を参考にした人物が中心となり、別府温泉再生に向けた活動に取り組んでいる。例えば、別府市内に点在する8つの温泉「別府八湯」の活性化など、地域固有の資源を利用した事業が活発になっている。温泉地のコンセプトを工夫しながら、温泉地づくりのノウハウについてお互いの経験を生かしてゆくことも、地域の再生にとって重要なことと考えることができる。

[目次]  [戻る]  [次へ]