堺屋太一経済企画庁長官講演「昨日と違う明日の日本」
(於:戦略国際問題研究所-CSIS, 1999年4月, 米国 ワシントンD.C. )
English
本日は、この席にお招きをいただき、日本の経済について話す機会を与えられたことを大変な名誉と感じ、深く感謝申し上げます。
危機は回避された
さて現在、日本経済は依然として極めて厳しい状況にありますが、政府は鋭意景気回復に努めていると同時に、日本社会全体が壮大な構造改革、恐らくは日本の文化的社会的風土を改めるような、大改革の最中でもあります。
小渕内閣は、昨年7月30日の発足以来、迅速かつ大規模な不況対策を取ってきました。このことによって、一部には回復の兆しも見られ、景気は全体としては下げ止まりつつあります。まだはっきりと回復して来たとは申しかねますが、デフレスパイラルに陥る最悪の危機は回避されたと断言できます。
昨年7月末、小渕内閣が発足した時点での日本経済は、危険な状態にありました。大部分の金融機関は巨額の不良債権を抱えながら、漫然とした態度で生き残りを策して貸渋りを強めていました。1990年までに行った不動産担保の膨大な融資が土地価格の下落で不良債権となっていたのです。
このため、健全にして善良な各企業までが資金難に陥り、設備投資が縮小し、かなりの数の企業が倒産の危機に曝されていました。
その上、日本をとり巻くアジア諸国の経済状況もきわめて悪く、日本からの輸出は減退、日本系現地企業の中にも経営難や操業停止状態に陥るものも珍しくない有様でした。
小渕総理の要請で内閣に入った私は、当時の実情に、正直にいって慄然としたものです。
これに対して、小渕内閣は昨年7月30日に発足するとすぐ、8月4日から臨時国会を召集、直ちに景気対策の審議に入りました。この際、われわれは日本経済の問題点を注意深く観察し、最も効果的な対策を、最速、最大規模で採ることにしました。
日本政府は、1990年のバブル景気の崩壊以来、小渕内閣の発足までにも約75兆円の景気対策を行っていました。しかし、その効果は必ずしも十分なものではありませんでした。1995年度と96年度には、阪神大地震の復興需要や携帯電話などの新商品の普及で、実質GDPが3.0%・4.4%の成長を見たこともありますが、それも97年はじめを頂点として、急激な下降になってしまいました。
不況の原因と小渕内閣の対応
その原因は、まず第一に1990年までのバブル景気が崩壊したあと、土地価格や株価が3分1以下に下落したことで、ほとんど全ての金融機関が巨額の不良債権を抱えていた点にありました。
そもそも80年代までの日本の金融業界では、大蔵省の監督のもとにすべての銀行が相似た行動を取ることによって等しくリスクを分担する仕組み、いわゆる「護送船団方式」が採られていました。各銀行は同一金利で預金を集め、話合いによって協調融資を行うこともよくありました。いわば金融リスクが社会化されていたわけです。このことが金融機関の貸出しを安易にし、不動産担保融資を際限なく拡大したといえるでしょう。バブル景気の崩壊できわめて大きな癒し難い損失を生んだのは、そのためでもあります。
ところが、90年代に入って、この事実が明らかになった時にも、金融機関の経営者とそれを監督する官僚たちは、体内に化膿性疾患を把えながら、手術を恐れて祈祷に頼るような態度を採り続けました。つまり、不良債権を処理する積極的な行動を採るよりも、再び土地や株の値が上がることを期待して、問題を先延ばししていたのです。しかし、昨年夏の段階では、これが金融不全を引き起し、企業の資金操りを悪化させ、国民全般にも深刻な不安感を与えていました。当然、それは雇用不安にもつながり、消費の縮小を招くことにもなっていたのです。
そこで小渕内閣は、まず金融不安の解消を目指して、金融再生法案、金融健全化法案の成立を図りました。これは、世界的に見ても珍しい大胆な政策です。不良金融機関の淘汰を促すとともに、総額60兆円という巨額の金融再生スキームを設け、預金や金融債の全額を保証すると共に、生き残る金融機関に対しては公的資金を注入することによって健全化を図る、というものです。60兆円(約5000億ドル)という金額は、金融対策費としては人類史上最大です。また、日本のGDPの12%に当るという比率においても、最高水準といえるでしょう。
この結果、昨年末には、日本の20大銀行の中でも、既に破綻していた北海道拓殖銀行は消滅、日本長期信用銀行と日本債券信用銀行は一時国有化されました。この両銀行は、必要な債権債務の整理の上、他の金融機関に売却される予定であり、外資系金融機関も買い手となり得ます。このことは、小渕内閣が官僚主導の「護送船団」型の保護政策から決別したことを、市場と国民に知らしめる強いメッセージとなっています。その上で、小渕内閣は今年3月、主要15行に対して7兆5000億円の公的資金を注入しました。今後は地方銀行などを含めて淘汰と健全化とが急速に進むことでしょう。
もう一つ、小渕内閣が行った金融対策は、昨年10月から実行されている中小企業の借り入れに対する政府出資の信用保証協会による信用保証枠の20兆円にのぼる拡大です。この結果、中小企業の倒産は昨年末から急激に減少、日本経済の安定につながっています。
小渕内閣は、今後保証枠の拡大が必要となれば、さらに拡大する方針です。
需要の創造のための財政と金融
小渕内閣が採った第二の不況対策は需要の創造です。昨年11月16日に決定した緊急経済対策および1999年度の予算において、公共事業費を前年度に比べて約10%(公共事業等総合予備費を含む)増加することにいたしました。われわれは公共事業等の選別にあたっては速効性、波及性、未来性の三つの尺度を重視しています。日本経済を十分に下支えするためには、需要の速効性と波及性が重要です。このことを、一部の人は、従来型の地方公共事業を継続していると批判しています。しかし、日本経済の需要を下支えするだけの事業規模を積み上げるためには、速攻性と波及性のある現実的な事業を推進することが不可欠です。
だが同時に新しい産業を発展させ、豊かな社会を築くための、未来性ある事業にも、積極的に手懸けています。すなわち、99年度においては、小渕総理の主導のもとに、情報(先端電子立国の形成)、都市(未来都市の交通と生活)、生活(環境および小子高齢化への対応)および労働市場(高度技術と流動性のある安定雇用)を目指す四つの「21世紀先導プロジェクト」が実施されることになっています。また99年1月には「生活空間倍増戦略プラン」を決定、5月中には全国自治体よりその実行案を提出させることになっています。
また99年度予算においては、総額9兆円を超える減税政策も行いました。所得課税の最高税率を国税、地方税合わせて65%から50%に引き下げ、それ以下の税率も定率的に減税することとしました。
法人に対する課税も、実効税率40%という国際的な標準並みに引き下げることにいたしました。
さらに住宅建設に対しても税額控除額の大幅な拡大を行いました。加えて住宅金融公庫の貸出金利を当面2.4%の低金利に抑える政策を取っております。また法人及び個人事業者が取得した百万円までのコンピューターに関しては、百万円まで単年度で全額償却のできる減税措置を取りました。
こうした大胆で、大規模な政策によって、昨年の秋から公共事業が、今年に入ってからは住宅建設が伸びだし、景気にも明るい兆しが見られるようになりました。
金融の面でも小渕内閣と日本銀行はきわめて大胆な政策を採っています。すなわち、本年2月12日から日本銀行は、資金を潤沢に供給して、現在はオーバーナイト・コールレートはほとんどゼロとする政策を取ったのです。この結果、十年もの国債金利も2%をかなり下回る水準になっています。これは景気を回復するために、政府と日本銀行が強い決意を示したものであります。日本の株式市場は、こうした政府の決意を評価してか、回復基調にあり、昨年10月の最低価格より約30%も上昇しています。また、国際金融市場でのジャパン・プレミアムはほぼ解消しています。
雇用対策と企業構造改革
しかしながら日本経済は全般としてなお厳しい状態が続いています。特に雇用問題は厳しさを増し、2月末に完全失業率が 4.6%となりました。これは1953年に統計が確立して以来、最高の水準であり、米国を上回り、イギリスと同水準になっています。
つい2年前まで、終身雇用慣行を持つ日本では、失業率2%台の完全雇用が当然と思われていましたが、今やこの慣行が崩れようとしています。経済の本格的な回復には、企業の新たな投資が必要です。それには、投資に対する予想利益率の向上が不可欠であり、労働生産性の向上によるコストの引下げが重要です。このことは、多くの企業において、過剰施設と過剰雇用の解消が必要なことを意味しています。日本は、雇用の点でも「普通の国」になりつつあると言えるでしょう。
これに対応して、政府は緊急経済対策および99年度予算において、大幅に拡充した一兆円の雇用対策スキームを用意しております。中でも、ホワイトカラーを中心とする勤労者の再教育は焦眉の急であり、近く実効ある方策を発動する予定です。
私たちは終身雇用と企業系列を前提とした戦後日本型の慣行を守るのではなく、労働市場の流動化を促すと共に、勤労者の能力アップと適材適所の配置を進めることによって、日本全体の効率化を図るべきだと考えています。これからの日本にとって、雇用対策こそは、国民の不安を取り除き消費需要を拡大する鍵であるばかりでなく、企業の構造改革を促す点でも最重要政策と申せましょう。
日本経済の今後については、消費需要が依然として低迷していることや企業の設備投資計画が大幅に縮小していることなどから、99年度もなおマイナス成長が続くと見る者が多いようです。国際機関および日本国内のシンクタンクの予想でも僅かながらマイナスと見るものがほとんどです。しかしわれわれは断固として99年度においてプラス成長を達成する決意を固めております。このため4月には緊急経済対策の実施状況を点検いたしました。今後とも所期の実行のなされていない点があれば、一層の促進を促して行く方針であります。
自由な環境と国際協調
小渕内閣のもう一つの重要な政策は国際協調の強化推進です。日本は貿易の面では工業製品に関する限り最も自由な国であり、数量制限は全くなく、関税も他の先進国に比べて低くなっていると断言することができます。一部の農産物や林産物には高関税等の問題が残っているとは言うものの、全体として見れば極めて自由な貿易体制を取っています。
また、現在進行中の経済状況の変化と改革政策は、日本に対する外国企業の投資環境を著しく改善することでしょう。その第1は、日本の企業が抱える不良債権問題の解決や終身雇用慣行の後退が、日本社会の高コスト体質を是正し、外国資本にも投資しやすい条件を整えることです。特に最近の土地価格の下落と低金利は外国資本にとっても日本への投資環境を大幅に改善したと言えるでしょう。また、日本の青年たちはもちろん、経験豊かな中年ビジネスマンも、外資系企業に勤めることに抵抗感がなくなったばかりではなく、むしろ進んで外資系の企業を選択する者も多くなりました。さらに土地利用の制限についても見直す予定であり日本の経営環境、投資環境は一段と改善するものと思われます。
日本の国際協調の点で、特に重点をおいているのはアジア諸国の経済再建に貢献することです。日本はすでに 480億ドルの資金をアジアの経済再建のために提供しています。さらに新宮沢プランによって 300億ドルの資金協力を決定しており、すでにその一部はタイやマレーシアなどで実行されているところです。
アジア諸国の経済は1997年と98年には極めて深刻な後退を見ましたが、99年には大半の国でプラス成長になるだろうと予想されるまでになりました。私は、今回のアジア諸国の経済通貨危機は、1965年に日本が経験したのと同じような工業化の途上で生じる一時的後退現象と考えており、比較的短期間で回復可能と見ています。アジア経済が回復することは、アジアに深い繋がりを持つ日本にとっては嬉しいことです。
自由を正義とする経済構造を確立する
日本が世界経済に貢献する最大の道は、日本自身の経済を回復させ、豊かで自由な貿易および投資市場を世界の国々に提供することだと考えます。このために小渕内閣は国民の将来不安を取り除くべく、長期展望と構造改革にも着手する予定であります。既に、1月18日、小渕総理より内外の経済人や学者を集めた経済審議会に対して、今後10年間程度を見通した「経済社会のあるべき姿 と経済新生の政策方針」が諮問されました。私は、経済審議会を担当する閣僚として、本年7月頃には答申を取りまとめる予定であります。
ここで改革の基本とすべきは「自由」であり、自由競争こそが正義だと考える消費者主権の確立された経済構造を築くことだと考えています。第二次大戦後の日本には、縦横の企業集団ができていました。「横の企業集団」とは、官僚の主導のもとに各業界が横並びで保護される体制、いわゆる「護送船団」方式です。しかし、90年以降の不況と小渕内閣の大胆な改革によって、そのほとんどは既に崩壊しました。前述の金融機関はその典型です。運輸、小売りなどの分野でも規制撤廃は進み、情報通信の分野ではかなりの成果が上がっています。小渕内閣は経済分野での自由競争を積極的に取り入れようとしていることは前述の通りです。
一方、「縦の企業集団」とは、主として大手金融機関を頂点とした企業系列のことです。中には大手メーカーを中心とした部品供給や販売の系列もあり、長年の取引と人脈によって堅い結束を示していたものもあります。しかし、これも今次の不況の中で急速に消滅しつつあります。金融機関の多くは、巨大な企業系列を維持する能力と余裕を失い、大手メーカーは価格競争に勝つために、合理的な部品調達をはじめています。また、系列に属した多くの中小企業も系列内での天下り人事を受け入れることは拒むようになりました。日産自動車など、日本の伝統ある大企業が外国企業の資本参加を受け入れたのは、その現れといえるでしょう。金融機関の再編、建設会社や流通業の再建、情報産業の拡大などでも、外国資本との提携や合弁は一段と進むことでしょう。私たちはそうしたことを日本の経済のグローバル化の進歩として、歓迎しています。外資の進出、日本企業と外資の提携、より多くのモノとカネとヒトと情報の交流を期待するものです。
日本は今、経済の本型や体質の面でも国民社会の気性や気質の点でも、革命的な転換期を迎えているのです。
戦後50年余、日本は、効率と安全と平等の3つを正義とし、官僚の主導の下にその達成を図って来ました。この50年余の前半、1970年代の中頃までは、効率に重点が置かれ、規格大量生産型の近代工業を発展されることに努力が傾注されました。
70年代中頃からは、安全と平等がより重点されるようになり、福祉の充実、終身雇用の維持、中小建設会社の育成や教育医療機関の保護が重要な課題となりました。金融機関の護送船団方式による保護監督もその一貫でした。
この結果、日本は、効率のよい規格大量生産型の製造業を持ちながら、社会全体としてはコスト高の非効率な状況になっています。
その上、多くの若者は保護された組織に就職することを望み、新しい事業を起す者は少なくなりました。日本は農業以外の自営業の減少している珍しい先進国です。
私たちは、この日本を、固定した組織の国から柔硬な競争の国、つまり「自由」が効率や安全や平等と並ぶ「正義」とみなされる社会にしなければならない、と考えています。私は、13年前に「知価革命」と題する書物を書き、近代工業社会の次の歴史的発展段階、「知価社会」の到来を予言しました。それは、アメリカやイギリスにおいてはかなりの程度実現していると思います。しかし、わが日本では知価創造はかぎられた分野に留っています。今こそ私たちは、官僚の規制と企業系列と拘束を離れて多様な知恵の値打ちを生み出す数多くの起業を湧き起す好機と考えています。
不況から立ち直った日本は、かつての日本ではないでしょう。より柔軟で、より開放的で、国民と世界により多くの楽しみと豊かさを与える知価社会になっているだろうと考えています。
長時間のご静聴ありがとうございました。