尾身幸次経済企画庁長官講演

(於:英国王立国際問題研究所(チャタム・ハウス))

1998年4月29日、ロンドン

(以下は英語で行われたスピーチを仮訳したもの)


紳士・淑女の皆様


日本経済について、私の考えを述べる機会を与えていただいたことを大変感謝する。私どもは、ちょうど先週金曜日に経済を回復させるための新しい経済対策を策定したところだからである。今週の月曜日と火曜日にパリにおいてOECD閣僚理事会で、この対策を説明したところである。参加していた閣僚は我々の決定を歓迎してくれた。今日は、それをあなた方と議論するためにロンドンにおり、明日はそれを説明するために米国のワシントンにいる。今週末はモスクワで過ごす予定である。私は新しい経済対策を世界中に紹介することに非常に熱意を持っており、時差も感じない。

いずれにせよ、この機会を与えていただいて大変ありがとう。我々の新しい対策を紹介するのにこれ以上のタイミングは存在しない。


ここ数カ月、日本経済は非常に厳しい状況にある。1996年に3.9%のかなり高い成長を遂げたあと、1997年の前半は消費税の引き上げの影響が幾分あるものの緩やかな成長となった。秋には、銀行、証券会社の破綻を含む一連の困難により、金融システム崩壊の脅威が迫った。さらに、いくつかのアジア諸国における為替レートの急落による経済混乱が、日本の輸出、直接投資、企業のコンフィデンスに大きな影響を与えた。1997年の第4四半期は-0.2%の成長となった。

実際、昨年12月から本年1月に、日本経済は危機の瀬戸際にいた。日本政府は、速やかに1400億ポンドに相当する30兆円を金融システム安定化のために用意した。このことは後ほど説明する。

それ以降、金融システムに対する内外のコンフィデンスは徐々に回復してきている。日経平均株価は、1月半ばの14,500円から3月には16,000円に回復した。金融システムの安定性という点で、最悪の時期は過ぎた。

一方、銀行の破綻や他の出来事は、消費者、企業のコンフィデンスを著しく引き下げ、経済の実体面を傷つけた。この結果、消費と投資は非常に弱い。1998年の第1四半期においては、製造業の生産と投資は低下し続け、失業率は2月には日本では記録的な高さとなる3.6%となった。経済は停滞しており、最近は一層厳しさを増していると言わざるを得ない。


停滞の背景には、1990年代初期のバブル崩壊後、その調整が遅れているため不良債権が累積しているというようなの根本的な問題が存在する。加えて、グローバリゼーションの中で、日本経済のファンダメンタルズを強化し、民間部門の活力を発揮させるために、構造改革、なかんずく大胆な規制緩和もまた必要である。経済政策は、近年の経済成長を阻害しているこれらの金融及び構造問題を解決しなければならない。さもなければ、どのような財政による刺激策も限定的な効果しか持たないであろう。我々が着実で持続的な経済の回復のために追求すべきことは、マクロ経済政策に加え、構造改革とさらなる金融安定化である。


この考え方に沿って、日本政府は1997年の秋から、90億ポンドに相当する2兆円の所得税減税、金融安定化、大胆な規制緩和を含む数次の経済対策を実行してきた。

なかでも、昨年末、金融システムの安定を維持するために、政府は1400億ポンドに相当する30兆円を確保することを決定した。この枠組みでは、17兆円は、預金者を100%保護し、彼らに金融システムの安定性に対するコンフィデンスを持たせるために用いられた。残りの13兆円は、生き残る見込みのある銀行の資本を強化するために、劣後債と優先株の購入により資本を注入するための原資として確保された。これまでのところ、これらの施策は大変うまく進んでおり、日本の金融システムに対する内外のコンフィデンスは回復している。


金融市場においてコンフィデンスが回復したにもかかわらず、実体経済を示す様々な経済指標は冬期に悪化した。

1998年度予算が承認された日の翌日の4月9日に、橋本総理は新しい経済対策の骨子を発表した。

それ以降、我々は文字通り昼夜を問わず働いた。先週の金曜日の4月24日に、政府は内需主導型経済成長の達成を目標とする経済対策の詳細を決定したところである。


この新しい経済対策の総事業規模は、約750億ポンドに相当する16兆円超である。それは8兆円の政府支出と年内の2兆円の減税を含む12兆円の財政拡大を含むものである。これは、いわゆる「真水」、すなわち実体経済に好ましい影響を持つ施策の財政負担額である。残りは郵便貯金と公的年金基金を活用する財政投融資を通じた事業を含んでいる。

しかし、私が強調したいのは、単に対策の規模だけではなく、そのデザインと基本となる考え方である。対策は3つの柱から構成される。すなわち、早急に内需拡大を図るための財政政策、長期的な潜在成長力を増大させる経済構造改革、そして経済回復を阻害してきた不良債権問題の解決である。

これら三つを詳しく紹介させていただきたい。


まず、政府は内需を効果的に拡大するために350億ポンドに相当する7.7兆円の財政支出の拡大を決定した。この支出は、従来の公共事業よりもむしろ、経済の潜在成長力を増大させる上で最も有効な公共投資に焦点を当てている。例えば、科学技術、情報通信、物流効率化のためのインフラなどである。このようなインフラに対する支出は、経済を内需主導型の成長軌道に戻し、日本経済のファンダメンタルズを強化するものである。

我々は同時に、英国の経験に学び、PFI(Private Finance Initiative)を導入する。公的インフラを整備する上で民間部門の技術力、経営力、資金力を活用するというのは刺激的な考え方である。


第二に、政府は、1998年にGDPの0.8%に相当する4兆円の所得税減税を行うことを決定した。翌年の1999年にも、この所得税減税の半分の2兆円は維持される。我々はまた、所得税制全般の見直しを行うことも決定した。所得税減税は可処分所得の増加により消費を拡大し、経済に好ましい影響を与えよう。

企業活動がグローバル化した現在、法人税の減税は本当に重要である。我々は既に実効税率を昨年の50%から今年は46%に引き下げたところである。この対策を受けて、今後3年間の間に可能な限り速やかに国際的な水準にまで、さらに引き下げられるであろう。さらに、設備投資及び住宅購入に対するインセンティブとして政策減税が決定された。


これと関連して、中期的な財政再建に対する我々のコミットメントについて言及したい。

財政再建は急速に高齢化する日本の将来にとって決定的に重要である。現在、中央及び地方政府の財政赤字はGDPの4.7%であり、公的債務の累積額は1998年度にはGDPの103%に達し、OECD加盟国の中では高い方に属する。従って、我々は財政再建についての基本的なスタンスは決して変えない。

しかしながら、この経済の緊急事態に対処するために、日本政府は、財政構造改革法を改正することを決定した。弾力条項が導入され、一時的に財政赤字を拡大することが可能になった。加えて、財政赤字をGDPの3%に削減する目標年次を2003年から2005年に遅らせた。


第三に、我々は、経済の回復を阻害してきた不良債権問題の解決のため、効果的な対策を取ることを決定した。この目的のため、我々は、特別の調整委員会の設置、担保不動産の証券化、土地開発への公的資金の利用により、不良債権処理の加速と土地の有効利用を促進する総合的なプログラムを決定した。私はこのプログラムの推進により、不良債権問題が解決され、二、三年のうちに経済成長に対する大きな障害が取り除かれることを期待している。


最近、都市中心部においては地価の下げ止まりを示すいくつかの兆候が現れてきている。これに関連して、日本の不動産をいくつかの外国企業が購入し始めたと報道されている。


第四に、我々は、大胆な規制緩和、ベンチャー企業にとって魅力的な環境づくり、金融改革である「ビッグバン」の実行を含む経済構造改革を強力に推進している。

特に、ベンチャービジネスのための政策について詳細に見てみたい。


ベンチャービジネスは経済のダイナミズムを促進し、新規のビジネス、雇用をつくり出す上で必要不可欠である。日本においては、ベンチャービジネスはこの10年間に160万人の雇用を創出したが、米国においては1980年代に1600万人もの雇用がベンチャーにより創出されたと言われている。米国の人口は日本の二倍あるため、ベンチャーによる雇用の創出率は米国は日本の5倍になる。したがって、日本経済の停滞に取り組むにあたっては企業家精神を刺激することが鍵となる。

この対策において、ベンチャー企業のために様々な資金調達方法を創設することを提案した。同時に、中小企業に対する債務保証を拡大した。日本の従来型の資金調達は銀行信用による間接金融であった。このいわゆる「メイン・バンク・システム」が戦後の日本経済の奇跡に貢献したことは事実である。しかし、最近の資産デフレにより、不動産担保による銀行信用を中心とするシステムの限界に疑問が呈されてきている。したがって、政府は、店頭登録市場などにより、ベンチャー企業が直接資金を調達する選択肢を促進することを決定した。


さらに、日本の巨大な金融資産を活用するために、資産運用の効率性を上げることが重要である。これについては、ファンドマネジャー及び投資顧問業者に関する規制緩和を行うことを決定した。現在、401K型年金ファンドと同様の確定拠出型、ポータブル型の年金を導入し、日本の金融市場を活性化しようとしている。これにより、投資の資金源が多様化すると同時に、労働者が容易に転職できるようになろう。


科学技術は、企業家精神と新規ビジネスを刺激するためのもう一つの重要な源泉である。我々の政策の原則の一つは我が国を「科学技術立国」とすることである。これは私が提案し、1995年に国会で決定された科学技術基本法の基本理念である。この法に基づき、今年度、政府は、一般歳出が1.3%削減されるなか、研究開発に関する支出を5%増加させることを決定した。加えて、今回の対策により45億ポンドに相当する1兆円が先端情報通信と科学技術に供給された。これらは、需要面に大きな影響をもたらすだけでなく、ベンチャービジネスを拡大し、日本経済が21世紀に向けて繁栄するのに寄与しよう。


私は、この対策が様々な面から日本経済に大きな効果を持つことを確信している。

財政政策については、公的投資の効果は1.32の乗数効果によりGDPの1.9%程度となると推計される。2兆円の所得税減税は、0.46の乗数効果を含めGDP の0.2%の効果を持とう。合計すれば、乗数効果を含む経済効果は向こう1年間に少なくとも2%と推計される。この結果、1998年度の政府見通しの1.9%経済成長は十分に達成されよう。

長期的には、このような財政刺激の効果は、今回の対策に盛り込まれた他の構造改革の効果と相まって、確実に経済回復に資する。これにより、民間部門の潜在力を十分に発揮させ、内需を拡大し、日本経済を持続的な成長軌道に戻すことになろう。


日本は、対外資産を含めると合計8000億ドル、外貨準備高2200億ドルの巨大な資産を蓄積してきた。これは世界最大である。日本はまた、5.6兆ポンドに当たる1200兆円以上の家計金融資産を持ち、高度に熟練し高学歴の労働力が豊富にあり、技術力も高い。私は日本経済の潜在的な成長力について何ら疑問を持たない。この経済対策は、経済の潜在力を最大化し、21世紀における新たな経済発展に向けてファンダメンタルズを改革するものである。したがって、対策により経済が成長軌道に戻れば、回復は徐々に力を取り戻そう。


日本のGDPはアジア経済の60%程度、世界経済の15%程度という大きな部分を占めている。このことを考えれば、私は日本の着実な経済の回復はアジアの経済の回復に資すると信じる。

アジア経済については、私は危機的な時期は過ぎ、経済は次第に回復すると見ている。新しい対策には、我々は危機にあるアジア経済の構造改革を促進するとともに、支援策を盛り込んでいる。


1998年は、21世紀に向けて日本が歴史的な構造改革を行う最初の年として記されるべきである。私は日本経済が二、三カ月のうちに持続的な成長軌道に戻り始めることに疑いをもっていない。したがって、私は、今が「日本買い」の最良の時期であると信じている。


ありがとうございました。