第2回経済審議会総括部会議事概要

1.日時:

平成12年10月10日(火)16:00~18:00

2.場所:

経済企画庁特別会議室(436号室)

3.出席者:

香西泰部会長、清家篤部会長代理、荒木襄、伊藤進一郎、岩田一政、浦田秀次郎、角道謙一、木村陽子、嶌信彦、清家篤、高橋進、長岡實、畠山襄、原早苗、福武總一郎、水口弘一、八代尚宏、鷲尾悦也の各委員

小野総括政務次官、中名生事務次官、坂官房長、牛嶋総合計画局長、永谷総合計画局審議官、塚田総合計画局審議官、仁坂企画課長、藤塚計画課長、前川計画企画官 他

4.議題:

1950年代から2000年までの日本経済の変遷の中で、経済審議会が果たしてきた機能と役割の評価について

5.議事内容:

1950年代から2000年までの日本経済の変遷の中で、経済審議会が果たしてきた機能と役割の評価について事務局から、論点の説明があった後、審議を行った。委員からの主な発言は以下のとおり。

  • 各時代区分毎に評価、反省点を挙げているが、極めて平面的であり、時代区分ごとに評価できる点、反省点のウェイトづけが必要ではないか。80年代から90年代は官民共にバブルの認識を誤ったのであり、特に総懺悔的に反省すべき点が多いはずである。
  • 経済審議会は総論的に色々な問題提起を行い、各論は他の機関等で行ってきたということを、今後どのようにして考えていくか。評価と反省の上に立って明確にしていくことが重要ではないか。
  • 総理大臣のリーダーシップを強調しすぎるのはいかがなものか。総理が自覚を持ち、政治が役割を果たすべきではあるが、全て総理のリーダーシップがあればできるという単純なものではない。
  • コンセンサス方式には、構造改革のスピードを遅らせている等の限界はあるが、こうした複雑な時代にはコンセンサス方式をどのようにして運営するかということを考える必要がある。審議会の情報公開等の方法により、一般の国民の声を直接聞き、まとめるといったコンセンサス方式のスピードと深さを工夫する必要がある。
  • 戦後の経済計画には役割の変化がある。第一に指示的計画の時代、次に展望を示す時代があって、今求められているのは、全てを網羅したものではなく、経済財政面で論点を絞り込んだ国家戦略の提示である。今までは戦略の絞込みが弱かったがゆえに、他の研究会等を作らなければ間に合わなかったのではないか。
  • バブル経済については、マクロの政策をどこで間違えてしまったのか。財政再建に縛られながら、国際協調の為に過度に金融緩和を続けすぎてしまったことから生まれた。キャッチアップは80年代には既に終わっていたのに、金融等の様々な国内の制度変更を90年代に持ち越してしまい、新しい日本が取組むべき課題に対し制度の変革が遅れてしまったため、マクロ経済のパフォーマンスが悪い。
  • 計画には戦略の実施方法が書かれず、具体性が乏しい。国の経済改革では財政のウェイトが大きく、毎年の予算決定のプロセスまで踏み込んでいかないと、具体性がいつまでたってもない。
  • 「総理のリーダーシップ」とするよりは「内閣のリーダーシップ」とすることが適切。同時に民主主義が進展する中、一般の人々の意見をどう反映させるかも重要。
  • 反省点として、計画を作る時期が適当だったかにふれられていない。経済計画の重要性は整合性のある見通しを民間に提供することにある。第一次石油危機、バブル崩壊のような今までの前提が変わるのは仕方がないが、すぐに計画を作り直すことが重要。ところが、変化が起こり立ちすくんでしまって3年ぐらいたって計画を改訂するのでは、経済計画の機能、役割が減殺されてしまう。予想しない条件変化が起きたら、少なくとも計画の見通し部分は直ちに作り直すことが今後の課題。
  • 内閣府の経済財政諮問会議は提言もさることながら、いかに実行するかが重点となる。従って、これまでの計画で提示した政策の実行がどこまでいったかの反省もすべき。
  • 時代区分に関し、50年代前半はまだ苦労していた時代で、高度成長前期からは除くべき。また、今から思えば反省点の多いバブル期に「頂点期」という名称をつけるのには違和感がある。
  • 「頂点期」というと二度とないという印象になるので、表現を変えたほうが良い。
  • 経済審議会での評価を科学的に行うためには、経済学の果たした役割、果たさなかった役割が縦糸として必要。高度成長期か安定成長期には、マクロ経済モデルも平行して発達し、経済審議会がこれをうまくとり入れていた。その到達点が世界経済モデルだろう。しかしながら、その後一方でミクロ経済学にも大きな成果があり、マクロモデルが後退した。制度改革の効果をみるためにはミクロモデルも有効である。また社会保障モデルのように目標を限定して分析するのもいい。これからも経済学が政府のビジョンのバックボーンであるために、過去の経済計画と経済学の関係を整理すべき。
  • 1980年代はGNPは伸びても何か不安があり、「戦後経済の頂点期」というよりは成熟期、爛熟期ではなかろうか。
  • 計画で見通しを誤るのはやむを得ない。むしろ、誤った時にフォローアップがすぐできるような体制を作っておく必要がある。
  • 具体的な施策に踏み込むべきだったという意見があるが、これは経済審議会としてはできなかった。基本的方向は経済審議会でやるべきであるが、そこから先の具体的施策は経済審議会の能力を超えている。
  • 今後、これらの経済審議会の評価をどのように経済財政諮問会議に生かしていくかを、もっと踏み込んで議論すべき。例えば、経済財政諮問会議では小委員会は限定して活用するという話があるが、むしろよく活用すべきである。各省で作っている私的懇談会は各省の利害を反映しているので、内閣府としてこれらをうまく活用するとともに、重複するものは整理すべきではないか。
  • 総理のリーダーシップという点を協調しすぎるのは気になる。リーダーシップが発揮されたのは、臨調、行革会議等の限定された場面であった。
  • 前半の経済審議会には国民、マスコミに訴える力があったし、政治的にも目標が達成されていたのに対し、後半の経済審議会はいいことは言うが、力がなくなったという印象。政府全体を引っ張る指針を出しているというよりも、他の審議会や民間シンクタンク等のOne of Themになってしまった。その理由は、戦略性がなかったためか、言及に鋭さがなく訴える力がなかったためなのか、それとも戦略性はあったが政治的な圧力で実現できなかったのか、その辺をもう少し詳しく分析しておくと、経済財政諮問会議の問題を考える上での足がかりとなっていくのではないか。
  • 経済審議会では経済が中心になっていたが、最近では生活、ソフト、文化、教育といった視点をもっと取り入れる必要がある。経企庁でも安らぎとか、癒しといった視点から「豊かさ指標」等を出しているが、それを示す指標が病院の数では、結びつきがはっきりしない。指標の取り方を幅広く、実態を表したものに工夫していくべきではないか。
  • 指標のうち、計画の手段と結果という因果関係がはっきりわかるかという面で工夫の余地がある。もっと因果関係がわかる指標が良い。
  • 家族のように予測が難しい指標については、かなり幅を持たせたほうがいい。
  • 日本全般にわたる構造改革を議論できる場は他にはないので、場が動いても経済全体の構造改革を議論する場であってほしい。
  • 消費者が豊かさを実感できない時代が80年代前半からであった。その理由は、基本的な住まい、老後、医療というところが政策的に充足していないからである。それは何故なのか。
  • 消費者団体は基本的に規制緩和に反対ではないが、これまでの規制緩和には何かが足りない。それは消費者が主体となる社会を目指すという姿勢を政府が明確に打出せなかったからである。経済審議会でやれたのではないか。
  • 経済審議会に限らず審議会の分析はまとまっているものの、実行する戦略が欠けている。なぜ、それができないかの分析は詰めてみる必要がある。
  • 経済全体としては成長型経済体質から成熟型経済体質への変化の認識が遅かったということに加え、日本は豊かになっただけでなく、平均的、平準的社会が生まれた。それは良いが、その中でものを考える難しさが加わってきているのではないか。それが80年代以降を考える一つの切り口になるのではないか。生活大国5ヵ年計画では、若干これらの分析ができている。
  • 過去と比べて現在はどうかという比較に加え、比較の対象を他のOECD諸国等まだ目標になる国との比較が重要ではないか。それによって日本人の生活が本当に他の先進国と同じような水準にいっているのかが言えるのではないか。
  • 今日提示された評価は量的な部分が重視されすぎている。例えば国際貢献はODAの金額で示しているが、World BankやADBにいる日本人の数は非常に少ない。色々な視点から見ないとかなり間違った印象を持ってしまい、計画を評価するのも、計画を立てるのも狂ってくる。
  • 過去の計画の評価は、今後の戦略に反映されるべき。特に少子高齢化について反省として触れられていないのは問題。少子高齢化はけっして未来の問題ではなく、過去の問題でもある。75年頃から少子高齢化が始まっていたのに、それに対応した社会保障改革は全く行われなかったという対応の遅さの反省が重要ではないか。
  • 経済審議会は前半にマクロモデルという武器による優位性を持っていたが、マクロ分析一本槍で過去の成長期のシステムをそのまま維持してきた為、優位性がなくなった。ミクロ分析等のアカデミックな分析をいかに政府の公式の分析として認知できるように活用していくかが経済審議会の大きな役割ではないか。それを通じて優位性を発揮する必要がある。
  • リーダーシップ型かコンセンサス方式かについては、議論すべき。これからの進路なき時代には間接民主主義をもっと評価すべきで、選挙で誰かを選んだらある程度その人に委ねる必要がある。選挙をしておきながら足を常に引っ張っているのがコンセンサス方式であれば、何の改革もできない。
  • 各経済計画において、社会資本整備の目標が相当揺れ動いている。これからの経済計画でも社会全体に関し何らか目標が必要であり、かつある一定の期間揺れ動かない目標が必要。
  • 結果のフォローがされていない感じがある。少なくとも世の中に対して開示がないのでフォローをする必要がある。目標数値の実行確保に政策評価制度を位置付けることによって実効性が出てくる。
  • 過去の計画では金融の問題について、ほとんどとりあげられていない。これはバブル経済の生成と崩壊においての政策的な対応が必ずしも十分でなかったことにも現れている。金融分野の変化が実態経済に大きなマイナスの影響を与えていることは、はっきりしている。21世紀も金融システム全体の動向をどう情報としてとらえ、あるいは政策の中に位置付けていくかが重要である。
  • 制度論に関して各省にまたがる項目で提起をしたのはそれなりに有効だったが、まだ中途半端に終わっている。特に介護とか社会保障について、問題が先送りになる原因を追求すべき。
  • 50年代のキャッチアップ型の考え方を80年代にも引きずっていたため、バブルに対してもビジョンがない対処療法だけとなった。国民の感性に近いビジョンを作れなかったのが一番の問題。もっと生活者が消化できるビジョンが必要。しかもストックとして蓄積していくような考えが重要であるが、経済と財政のみが中心だとそれが難しい。
  • 均一的、画一的な国柄の後は、個性ある地域の集合体が活力を生むというコンセンサスもない。内閣府では、問題を先送りしない、力を持ったタスクフォース的なものが必要となってくる。
  • 各期間に区切って反省点と評価を挙げているが、次の期のときに前期の反省点が生かされたかが重要。経済財政諮問会議では単にビジョンを示すのみか、具体的な実行計画まで出していくのかで、反省点の考え方も変わってくる。経済財政諮問会議に引き継ぐ範囲も検討すべき。
  • 今までの議論では、経済が右肩上がりの時には合意形成が容易だったと考えられているようだが、実際には、右肩上がりだから合意形成はなくてもできたのではないか。右肩上がりでないこういう時代こそコンセンサス方式が必要。

6.今後のスケジュール :

次回の総括部会(第3回)は11月13日(月)14:00~16:00に開催する予定。
 なお、本議事概要は、速報のため事務局の責任において作成したものであり、事後修正の可能性があります。

(連絡先)
経済企画庁 総合計画局 国際経済班
Tel  03-3581-0464