第5回世界における知的活動拠点研究会

議事録

時:平成12年5月17日
所:経済企画庁官房特別会議室
経済企画庁

第5回 世界における知的活動拠点研究会 議事次第

平成12年5月17日(水)10:00~12:00
経済企画庁官房特別会議室(729号室)

  1. 開会
  2. 中間とりまとめと今後の予定について
  3. 閉会

世界における知的活動拠点研究会 委員名簿

  • (座長) 伊藤元重       東京大学 大学院 経済学研究科 教授
  • 伊藤穣一       株式会社 ネオテニー 代表取締役社長、株式会社 インフォシーク 取締役会長
  • 植田憲一       電気通信大学レーザー新世代研究センター長・教授
  • 加藤秀樹       構想日本 代表、慶應義塾大学 総合政策学部 教授
  • 川島一彦       東京工業大学 工学部 教授
  • 北原保之       AOLジャパン 株式会社 常務取締役
  • 椎野孝雄       株式会社 野村総合研究所 リサーチ・コンサルティング事業本部長
  • 杉山知之       デジタルハリウッド 株式会社 代表取締役社長
  • 田中明彦       東京大学 東洋文化研究所 教授
  • 林紘一郎       慶應義塾大学 メディア・コミュニケーション研究所教授
  • グレン・S・フクシマ アーサー・D・リトル(ジャパン)株式会社 代表取締役社長
  • 松岡正剛       編集工学研究所 所長、帝塚山学院大学 教授

〔 座長 〕 それでは、本日ご出席予定の委員皆様がお揃いですので、第5回「世界における知的活動拠点研究会」の会議を開催したいと思います。

 早速、本日の議題に入らせていただきます。本日は中間とりまとめと今後の予定についてご議論いただきたいと思います。

 まず初めに、事務局から資料についてご説明をお願いします。

〔 事務局 〕 それでは、最初に「委員限り」という一枚紙の「今後の予定について」という資料からご覧いただきたいと思います。

 最初に「中間とりまとめ」の位置付けでございます。経済審議会の政策推進部会では、昨年策定いたしました「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」のフォローアップを行っているわけですが、そのフォローアップに反映させることを目的として中間的にとりまとめるものでございます。手続的には今月25日に政策推進部会がございますので、そこで「中間とりまとめ」の概要を本研究会の座長からご報告していただく予定です。なお、経済審議会としての公表の前に、本研究会の中間的なとりまとめとして公表したいと考えております。

 次に、「最終とりまとめ」については、前回いろいろと活発なご意見もございましたので、それを反映するために、補論を付して「最終とりまとめ」として、秋頃を目途に公表したらどうかということであります。補論につきましては、委員の皆様方のご協力をいただきましてご執筆いただくか、あるいは事務局が委員の皆様のお話をお伺いしまして、それをまとめたものという形で作ったらどうかと考えております。そこで扱うべきテーマを幾つか挙げさせていただいております。この他のテーマについて、委員の皆様にご意見を伺っているところでありますけれども、現在のところはこのようなものを補論として記述したらどうかと考えております。

 3番目は、本研究会と直接の関係はないのですが、「最終とりまとめ」以降の展開として、本研究会でのご報告をベースにシンポジウムなどを開催して、知的活動拠点の形成に向けた環境作り、あるいは形成に資する施策について、さらに幅広くご議論いただいたらどうか。その際には委員の皆様方、あるいは委員の皆様が推薦する有識者のご協力もいただいて実施したいと考えております。

 そういう位置付けで「中間とりまとめ(案)」についてご説明させていただきたいと思います。では、「中間とりまとめ(案)」をご覧いただきたいと思います。

 この案につきましては、前回、お配りさせていただきました素案について、前回の研究会でのご議論、それからその後に委員の皆様方にご提出いただきましたご意見をもとに修正を加えたものであります。下線を付している部分が、前回の案からの主な変更部分でございますので、そのようにご覧いただければと存じます。改めまして、中身をざっとご説明させていただきます。

 1ページのⅠは「『世界の知的活動拠点』を形成する背景とそのイメージ」ということであります。背景については、多様な知恵の時代への移行、ネットワーク型社会の形成、グローバリゼーションの進展といった歴史的な潮流の変化の下で、知恵とか多様性、さらにはスピード、異文化との共存といったことがより一層重視される。こうした状況で、世界の変化や進歩のスピードに対応して、我が国の経済的、さらには文化的、知的豊かさの増進、あるいは、世界への貢献とか国際的な安全保障といったことを実現していくためには、得意とする分野で世界に発信して、世界から最新の知恵・情報を牽引すること、即ち「知恵・情報の創造・受発信において世界の中核の一つとなること」が不可欠ではないかということであります。

 具体的なイメージとしては、「様々な分野における最高水準の知的能力を有する人々と最新の情報が現実社会やサイバースペースの中を頻繁に行きかって集積する場の創出」というものであろうかと思います。

 Ⅱは、今申し上げたことを目的という形で改めて大きく2つに整理したものであります。1番目が「我が国の経済的・文化的・知的豊かさの増進」ということであります。繰り返しになりますが、得意分野で世界に発信して、最新の知恵・情報の集積を図ることによって、経済成長の新たな源泉を確保すると同時に、文化的・知的豊かさの増進を図る。

 2番目の「世界への貢献と国際的安全保障」ということでは、世界共通の課題への対応などの人類共通の知的資産を創造、発信することで、世界の発展と安定に貢献する。同時に、国際的な安全を確保する。特に地理的に近接しておりまして、緊密な関係を有するアジア地域で積極的な役割を果たすべきということであります。

 2ページのⅢは「環境整備」ということで、ここからがメインテーマであります。知的活動拠点を形成する基本的なパターンとしては、「知恵の創造によって世界から人材や情報を牽引できる『魅力』あるコンテンツを創る。それを世界に積極的に発信して、世界からのアクセスを確保する。その結果として、世界水準の知的交流が進み、さらに新しい知恵が創造され魅力あるコンテンツができる」という好循環によって形成されると思われます。したがいまして、知的活動拠点を形成するためには、(1)魅力あるコンテンツの創出、(2)世界への情報発信、(3)知的交流の促進といった3つの大きな柱に沿った環境整備が必要ではないか。そのためには、「世界の知的活動拠点」となるべき目的について国民全体の理解を促し、意識改革を図っていくということが前提となるのではないかということでございます。

 3ページが一つ目の柱である「魅力あるコンテンツの創出」であります。ここの内容はやや盛り沢山になっております。魅力あるコンテンツを創るために、まず源泉に関しては、「(1)大学等における魅力的な研究開発環境の創出」、「(2)知恵を生かしたビジネスの展開」、「(3)日本に固有の文化の積極的活用」という3つを重要としてございます。その中でも戦略的な取り組みとして、「(4)国際競争力のあるコンテンツを生み出し得る分野への重点化」が不可欠である。さらに、その担い手として「(5)創造性を有する人的資源の育成」が必要ということであります。以下、この5点について議論を展開しております。

 最初が、「魅力的な研究開発環境の創出」ということであります。大学等の研究開発で人類共通の知的資産、あるいは新たなビジネスの源泉となる技術シーズ等を創造するためには、評価とか競争、資金、産学官の相互補完といった面で魅力的な研究開発環境の創出が重要ということであります。

 1番目が「評価の充実」であります。ピア・レビュー、360度評価、アウトプット評価といった評価の充実と結果の公表が重要。特に、論文の学会ジャーナルへの掲載は学術研究のレベルを高めていく大きな効果があるので、積極的に実施すべきである。また、広く社会一般が関心を持ってサポートできるようにという観点からも、専門家による評価だけではなくて、一般人も参加する評価体制の整備も重要ではないか。

 2番目は、次代を担う若手研究者層を充実して、同時に競争的環境の下でキャリアアップを図るシステムの構築という観点から、まずポストドクターについて、企業での採用を含む処遇改善等の制度拡充を進める。それから、任期付きの研究者の割合を増やして、その中で実績のある者を終身雇用とする等、任期付任用といわゆるテニュア制の一体的な導入を進めていく時期ではないか。

 3番目が資金の問題であります。研究予算の重点的確保、あるいは外部事業の積極的導入ということが重要でありますし、同時に補助スタッフの充実やその地位の向上も必要だということであります。

 「ア.研究予算の重点化」ということでは、国として世界をリードしようとする分野や世界水準の研究施設の整備のために、予算を重点的に配分すべきである。この際に、その配分は世界最新の研究水準が視野に入っている者によって行われることが重要であるとしております。

 次に、「イ.外部資金の積極導入」についての話です。寄付金とか共同研究費といった外部資金は、公的資金を使用しにくい多様な研究の実施などの効果がありますので、積極的に推進すべきでありますが、資金を提供する企業の側でも、必要な投資として積極的な位置付けが必要である。具体策としては、やや細かな話になりますが、私立大学への寄付金とか受託研究収入の税制上の問題とか、国立大学への外部資金の受入れ・円滑化のための委任経理等の措置といったことを書いてございます。

 4番目ですが、大学の研究成果の実用化、あるいは反対に産業界のニーズの大学研究への反映など、相互に補完し合うという観点から人材交流を一層強化する必要があるということであります。5ページでは、具体策としては、インセンティブを通じた任期付きの任用制度を活用して、外部専門家の大学教員等への積極的登用を進める。あるいは反対に、国立大学の教員等についての研究休職制度ついても、次に書いてありますように、国立大学教員の兼業規制の緩和がなされたところでありますけれども、この研究休職制度を弾力化すべきではないか。

 「なお」書きですが、国立大学教員等の研究成果を活用する企業の役員等との兼業が認めれたところでありますけれども、例えば兼業時間や報酬についての基準を設けることも検討する必要があるのではないか。また、不正な癒着が生ずることによって産学官連携が後戻りすることのないように、自らを厳しく律しなければならないという注意喚起もしているところであります。

 5番目が研究成果の特許化の促進ということであります。ここでは研究者等のインセンティブを高める措置が必要ということで、研究者への発明補償金の引上げとか、国に入ってしまう特許料収入の大学の研究費への還元といった措置。それから、TLOへの支援を拡充して、設置を促進すべきといった事柄も書いてございます。

 6ページに参りまして、リソースとしての2つ目、「知恵を生かしたビジネスの積極的展開」ということであります。「知恵」を企業戦略の柱として積極的に位置付け、独創的なビジネスの積極的展開を通じて、コンテンツを創出していくことが重要。この際に、単に消費財として国際競争力を持つだけではなくて、オリジナリティのあるビジネスの仕組みでありますとか、製品やサービスに日本のアイデンティティーや文化が感じられるようにすることによって、世界から人材や情報を牽引する力を持ち、それが新たな付加価値の源泉となることが重要である。

 こうした取り組みは民主導で行われるべきでありますが、多様な主体により積極的に展開されるような環境整備が必要であろうということで、新規参入や異業種連携を容易にする規制緩和でありますとか、IRの充実等によるベンチャー向け資金供給システムの拡充、研究成果の事業化を促進する産学の共同研究・人材交流、あるいは、起業家や技術者の育成といった施策が大事だといったことを挙げております。特に、米国のインキュベーター事業がネットベンチャーの育成に大きな役割を果たしていることから、我が国でもこうした事業を促進するため、今不足している、それを担う人材を育成するということを特記しております。

 最後に、電子商取引がこうした知恵を生かしたビジネスの基盤になりますので、その本格的な普及を促進するための環境整備を挙げてございます。

 8ページに飛びますが、3つ目のリソースとして、固有の文化の活用ということであります。日本で生まれ育った文化を積極的に活用していくことも重要ということであります。伝統文化というのはグローバルな環境に置かれても、日本で生まれたときのスタイルを保持することが重要ではないか。また、ストリート文化やアニメ、ゲームソフトといったものも世界から注目されておりますが、日本的なものを生み出して、日本固有のイメージが浮かび上がり、日本への共感を呼ぶようなコンテンツとしていくことが重要である。

 これらを世界と共有できるコンテンツとしていくためには、日本という国の総体的なイメージ(「ジャパン・イメージ」)を体系的に世界に伝えることが必要である。英国の「クール・ブリタニア」のような戦略もあるわけでありますが、我が国でも国家プロジェクトとして文化資産のデジタルアーカイブ化、あるいは、「ジャパン・イメージ」を表現する場の整備を進めて、「日本経済文化系統樹」ともいうべきコンテンツを創出する。

 1番目は、「デジタルアーカイブ化」ですが、米国の「アメリカン・メモリー」にならって、美術品、文化財や現代文化も含めて、外国人にもよく分かるように体系的なデジタルアーカイブ化を進める。

 2番目は、米国のスミソニアン博物館に相当するような「ジャパン・ミュージアム」の整備を我が国でも検討したらどうかということであります。

 10ページに参りまして、戦略的な面で「国際競争力のあるコンテンツを生み出し得る分野への重点化」ということであります。(1)の「経済理論」であるとか「環境問題」というような世界共通の課題への対応でありますとか、(2)の「モバイル」のように、我が国が世界の最先端の一翼を担っている技術開発でありますとか、(3)のような「固有の文化」、アイデンティティーといったように、世界に競争力を持って発信できるコンテンツを生み出し得る分野を対象として、重点的に取り組むという姿勢が不可欠ではないか。そのために重点化すべき分野の例を幾つか挙げてございます。

 11ページにいきますが、コンテンツの最後の項目として、「創造性を有する人的資源の育成」であります。魅力あるコンテンツを創出するための担い手として、独創性、起業家精神、あるいは豊かな感性を有する人的資源を育成することが不可欠でありまして、そのために、教育内容の改善でありますとか、学校外の社会人の活用、学外の学修あるいは活動の促進を通じて、独創性を重視する教育環境や起業家精神を涵養する教育環境を整備する。この場合、基礎・基本学力の確実な定着を図った上で対応する必要がある。

 まず、独創性を重視する教育環境でありますが、他者との違い、アイデンティティーや独創性を重視して、アクティブに情報を追いかける姿勢を醸成する教育環境を整備するということであります。教材の例を挙げておりますが、個人が自己の関心に応じて知識を多面的に学習でき、かつ個々の知識の新たな関係性を発見できるような教材の開発等によって、自分の中の創造性を発見し、刺激できるような教育内容を実現すべきであり、また、学校外社会人も積極的に活用すべきである。

 次に、起業家精神を涵養する教育環境の整備につきましては、初等教育の段階からこれを行うということと、諸外国の大学・ビジネススクールとの連携でありますとか、インターンシップの充実等が大事だということであります。

 3つ目には、学外の教育施設における学習やインターンシップを大学の単位として認定することなどを通じて、いわば教育のアウトソーシングを進めるべきということであります。

 12ページが2つ目の柱になりますが、「世界への情報発信」ということであります。コンテンツをそれぞれの創造主体が世界に積極的に情報発信していくためには、まずコミュニケーション、次に言語、ツールに関して情報発信能力を強化する取り組みが必要である。同時に、発信方法を工夫することによって、世界からのアクセスを促進することも重要である。なお、言語につきましては、一方で、衛星放送による日本語での情報発信等を通じて、日本語の国際社会への普及を促進することも重要になりますし、日本固有の概念については、むしろ日本語のままで世界に発信することも必要である。この場合には、同時に、その意味を英語で表現するための様々な取り組みが必要になるということであります。

 なお、マスメディアにおいては、情報発信のプロとしての役割を果たすべきでありますし、学会も世界への情報発信に積極的な役割を果たすべきであると書いてございます。

 (1)は「コミュニケーション能力と異文化との共存」であります。自分の考えを論理的に説明して、議論を通じて相手に理解させるということが重要でありますので、教育内容の改善でありますとか、映像関係学科の設置等によって、総体的なコミュニケーション能力、プレゼンテーション能力、ネゴシエーション能力を強化する。

 それから、国際的なコミュニケーションの円滑化のために、異文化との共存を目指して、留学生との交流などを通じて相手国の文化的背景への理解を深めていく。その前提として、我が国の歴史・文化への理解を深めることも重要である。異文化との共存というのはなかなか難しい課題でありますので、その実現のためには国民一人一人、あるいは家族単位でそれぞれが世界に友人を作るというような運動の展開も検討していく必要があるのではないか。

 (2)が「英語力の強化」であります。効率的な教育方法の確立でありますとか、外国人の活用、大学における英語を使用した授業の実施割合の増加等によって、国際共通語としての英語を使いこなせる国民の割合を飛躍的に増加させる。さらに、大学院での授業の英語化を進めることによって、専門分野における英語での発信能力を高める。なお、補助手段としての翻訳ソフトの開発・普及に努めることも必要ということを書いております。

 (3)が「インターネット利用環境の整備」であります。情報発信の重要なツールとなっているインターネットを、自由自在に使いこなせるような利用環境の整備として、情報基盤の高度化でありますとか、リテラシー向上のための情報教育の拡充、アクセス料金の低廉化・定額化のための競争的な環境の整備、さらには安全性・信頼性を高めるための施策などを推進するということであります。

 (4)が「編集」に関わる話であります。コンテンツのネット上での発信に際しては、発信方法を日本独自に工夫することによって魅力を一層高め、世界からのアクセスをさらに促進することが重要ではないか。このためには、アグリゲーターの充実を図るだけでなく、これに対する多様な評価を通じて、新しいコンテンツの補充とかコンテンツの再構築が自律的に行われるようにしていくことが重要である。

 そして、コンテンツを単なるインフォメーションに止めるのではなくて、編集して物語性や関係性を有するインテリジェンスとして集積することが重要である。この際に、日本の和歌や能などは、日本独特の連想構造を内包しておりますので、これをこうした編集に生かすことができれば、日本独自の魅力がさらに増すのではないかといったことでございます。

 14ページでございますが、最後の3つ目の柱になります「知的交流の促進」ということであります。個人、大学、企業やNPOの多様な知恵が交流して、刺激し合うことによってまた新しい知恵が生まれる。世界水準の知の交流を促進するためには、基本的には、我が国から魅力的なコンテンツを発信して、世界からのアクセスを確保することが最も重要でありますけれども、研究者の国際的な交流を一層促進するような環境整備が必要であります。対面による交流のほか、現在では知の交流の手段・場としてインターネットが不可欠なものでありますので、ネット上の知の交流を促進する環境整備も必要である。

 この際には、既存の分野にとらわれずに、さまざまな分野の知の統合・再構築も進めるべきということであります。

 まず最初に、「世界規模の多様な知の交流」であります。このためには、個々人が縦横無尽のネットワークを築いて情報交換を行うことが必要でありますが、ネットワーク上の情報交換をより充実したものとするためにも、対面での直接交流が従来以上に重要となりますので、これをサポートする施策の充実を図るべきであるという視点であります。

 その一つ目が「大学等における外国人研究者の受入れの促進」であります。

 2つ目のパラグラフからご覧いただきたいと思いますが、各国の優秀な頭脳を引きつけるために、研究の質の向上を図ることが基本になりますけれども、処遇の面でありますとか生活しやすい生活環境の整備も必要である。特に、ポストドクター制の拡充によって若手の外国人研究者の受入れを促進すべきである。それから、外国人研究者に対して永住権を積極的に付与できるような外国人在留資格に関する見直しも必要ではないか。

 こうして、日本での研究活動が充実した成果を挙げ、日本での経験そのものが世界水準の研究者のステータスとして確立するようなことを目指すべきである。同時に、将来有望な若い人材を受入れることによって、将来の世界水準の研究者を生み出すステップとしての日本の地位を向上させるべきだということであります。

 その2つ目が「留学生」であります。その積極的な受入れを促進する必要があるということで、特に大学院レベルでの留学生の受入れを拡充する。具体策としては、教育の質の向上が基本でありますが、一層の経済的な支援措置を講ずると共に、卒業後に留学の成果を生かす場を提供するという観点から、永住権の問題とか企業の採用ということについても積極的に進めるということであります。

 3つ目が「国際共同研究等の推進」であります。国際的な活動によってアイデアが触発され、新しい発想、研究手法がもたらされますので、国際共同研究でありますとか研究成果の海外への発表、若手の研究者の海外派遣を積極的に推進する。特に国際共同研究というのは、現在では継続的に情報交換・交流を深めていくことが重要であるということであります。

 4つ目が「国際的な知的交流の場の提供」ということであります。スイスのダボス会議、あるいはイタリアのエリチェ・スクールのような、世界水準の著名人の知的交流がなされる会議やフォーラムの場、あるいは世界から知識人が集って知のインスピレーションを触発し合う学習・議論の場を提供するということも必要ではないか。このためには、自由な交流や議論を尊重する社会的気運を醸成するとか、世界にアピールできるようなテーマ設定、人材の招へいに努力を重ねていく必要がある。

 16ページの一番上は、冒頭で申し上げましたように、アジア地域で日本が積極的な役割を果たすという観点から、アジアの各国とも連携し、また国内の各地で機能を分担しながら、日本に行けばアジアの全てが分かるというようなアジア研究の拠点化を目指すべきであるということであります。

 (2)が「インターネット上の知の交流」ということであります。ネット上で知的交流がなされるコミュニティは、人々の主体的な参加によって成り立つ参加型社会でありまして、これからの知の創造・発信の担い手として、こうした社会に形成されるボランタリー組織が大きな役割を果たしていくのではないかと期待されております。このために、より多くの人がネット上の価値生産に参加できるように、利用環境の整備を推進すると同時に、ここでは知恵の創造を誘発するような「ネットワークの中のネットワーク」を築くための「出会い」を促すマッチング技術の向上を図っていくことが重要ということを特記しております。

 以上、委員の先生方のご議論、ご意見を相当盛り込んだ形で直してみましたので、ご議論をお願いしたいと思います。

〔 座長 〕 どうもありがとうございました。

 今、2つ資料を説明していただいたわけですけれども、まずは「中間とりまとめ(案)」について、皆さんにご議論いただきたいと思いますので、どなたからでもご発言いただければと思います。

〔 A委員 〕 12ページの情報発信のところで、「学会は積極的に役割を果たすべきである、マスメディアはなお果たすことが期待される」とある。伝統的な新聞社のイメージとしてのメディアのことをどうこう言うつもりはありませんが、この分野におけるメディアの役割というのは実に大きいものがあります。このレポート全体が多様な知恵の時代というところから大きく入っていることを考えると、もう少しジャーナリズムに期待するものを書いてもいいと感じます。

 少なくとも、ジャーナリストの中で行われていない交流が必要だと思います。本当にお恥ずかしいぐらい日本のジャーナリストは世界から孤立しているというか、全く日本の縮図みたいになっている。その点について、もう少し踏み込んだ方がいいかなと感じております。

 それから、私が「日本に行けばアジアが分かるような研究拠点」ということを提案いたしましたけれども、「アジアの全て」なんて書くと奢っているようにも見えかねないので削除して下さい。

〔 事務局 〕 最初の点については、最初からマスメディアのことをおっしゃっていたことは分かるのですが、敢えてマスメディアについて少し下げて書いたのは、「それぞれのコンテンツの創造主体がどうやって世界に情報発信していくか」ということが、むしろ、ここではメインのテーマだと位置付けましたからです。マスメディアというのは基本的なコンテンツを作る部分もあるのかもしれませんけれども、少し性格が異なるので、こういう書き方にしてあります。

 おっしゃられた「ジャーナリストの交流」とは、そういうコンテンツの創造主体との交流が不十分だとおっしゃっているのか、あるいは世界との交流が不十分であるのか。そういった点を強調して書くことも考えられると思いますがいかがでしょうか。

〔 A委員 〕 特に、インターネットまで考慮に入れる必要がある今のような時代には、非常に多様なメディアが、あるいは非常にパーソナルに近いようなメディアまでも世界的に影響力を与えている。そういう時代になっているだけに、「マスメディア」と言ってしまうと、非常にトラディショナルな大手メディアのイメージがある。むしろ、その呪縛から離れて、インターネットを含む多様な個を意識したメディアを前提にして書いた方が、結果としていいかなと思います。ただ、まだ、私自身でも整理がつきません。

〔 B委員 〕 実は私もメディアの研究をしているものですから、前回に意見メモを提出したときにも、その中で触れました。だけれども、これを積極的に書くのがなかなか難しい。ついつい恨み節みたいになりがちですが、それではまずい。それで、私もその中で提案したと思いますが、「プロなんだからアマチュアをリードしてよ」という書き方で、「間接的にリーダー的なことを期待しています」という具合に止める方法もある。そして、またご議論があればもっと進めて書くこともできると思います。

〔 座長 〕 どうぞ。

〔 C委員 〕 今のことで伺いますけれども、ジャーナリズムとかマスメディアと言ったときに、日本のマスメディアというのは日本のものを外に発信するものとして議論されていますね。世界のマスメディアは世界を相手にしていて、必ずしも自分の国のドメスティックという意識はなくなってきているかもしれない。つまり、こういった意味で、情報とかコンテンツとかいうものは、世界ではグローバルになっている。そのグローバルな視点が日本は遅れているのではないかという気がします。

 ですから、日本から飛び出した世界的なマスメディアが日本から出なければいけないというような視点が必要なのではないでしょうか。

〔 A委員 〕 全くその通りでございまして、私が一番最初に言ったように、海外では個人として物を言う。一方、日本は先進的に自立したジャーナリズムになっていない上に、その上に乗っている既存のメディアが内弁慶で、からっきし外に行って対等に交流ができない。それは内心忸怩たる思いを持っておりまして、そういう意味ではゲーム業界なんかと比べたら三段階ぐらい遅れているんですね。

〔 C委員 〕 ただ、「日本版のCNNを作らないといけない」というのが本来の方向ではないでしょうか。発信のツールとか手段をどうするかという以前に、マインドが変わらないといけないわけだから、活躍の舞台を世界に広げる必要がある。もしかしたら、日本の中ではそのマインドはできないかもしれないと感じます。

〔 A委員 〕 そういう意味で、「日本語によるアジア圏向けの衛星放送」を私も付け足したんです。NHKの日本語放送がアジアの国々に落ちると「文化侵略だ」などとして、衛星のビームをわざと絞っている。こういうものは変えたいと思いますけれども、あらゆるものに渡ってグローバル性が欠けているという点は事実です。

〔 座長 〕 お願いします。

〔 D委員 〕 この研究会は最初から大学からの議論でずっと進んでいます。しかし、どこかで大学までの教育についても一言述べる必要があるのではないでしょうか。

〔 事務局 〕 そこは少し分かりにくいのかもしれませんが、11ページの「創造性を有する人的資源の育成」をご覧下さい。コンテンツ創出のリソースとしては大学をまず採り上げておりますけれども、ビジネスあるいは文化といったことも含めて、それらに共通してコンテンツを創出する担い手として教育が大事だとしております。特に一つ目の「独創性を重視する教育環境の整備」の話は、ご意見に沿って、かなり低レベルからの教育の改善の提案をしているつもりでございます。

〔 D委員 〕 表現は難しいかもしれませんが、どこかで小中高の段階からも変えるという視点が必要なのではないでしょうか。大学生になってからいきなりそういうことを見せてもだめだと思います。最近の17歳の暴走を見ても、「学校があれではね」とも思えるので、ここでもっと何か一言ないですかね。若いときから変えていかなければいけない。例えば、起業家精神などでも、日本は子供にお金を持たせるということを「不浄なもの」としていて、子供がお金のことを話すことも余りよくないという流れがある。そういう中から果たして起業家が育つのかとすごく思います。ですから、何かさらに触れる必要があると思います。

〔 座長 〕 ワープロの検索機能をこの報告書に使用した場合に、「大学」と検索すると三十何回あって、「小学校」、「中学校」、「高等学校」は一語もないのではないでしょうか。それをどう判断するか。ただ、その辺の書き方に工夫が必要なのは確かです。

〔 事務局 〕 「独創性を重視する教育環境の整備」と「企業家精神を涵養する教育環境の整備」とは小中学校のことを念頭に置いて書かれていますので、それを明示して出すことに特に異論はありません。

〔 D委員 〕 それでは、その工夫をして下さい。

〔 座長 〕 どうぞ。

〔 E委員 〕 今おっしゃっていることについても、小中学生が「教育を受ける」という方の観点が強いと感じます。逆に、表現能力を高めるとか、外に情報を発信するコミュニケーション能力を高めるとか、そうした教育がまだ弱いと感じますので、その辺を指摘する必要があると思います。独創性を重視して「教える」のはいいけれども、それを自分の感性をもって表現する能力まで作っていくことも、小中学生の間に入れていただきたいと思います。

〔 座長 〕 今の点は大賛成です。知的レベルというのは分かりやすく3つの段階があると思います。最初の段階は人の言ったことを理解する、学ぶ、勉強する段階。次は、物事をまとめて書いたり、外へプレゼンテーションしたりする段階。3つ目は、相手が言ったことに対して自分で反応して、ディスカッションしたり議論しながら高めていくという段階。今のご意見に私も賛成なんですけれども、今の小中高の程度でいったら、最初の段階の「いろんな知見を学んで自分のものにする」ということは大事ですが、それだけじゃ余りにもさみしい気がするんですね。

 今回の報告書の全体像が、知的交流と知的発想とか知的発信という議論になるとすれば、それが日本の社会で小学校、中学校、高校のレベルに沿ったものとして扱われているかということがメインになってくる。その辺を少しご議論いただきたいと思います。

〔 C委員 〕 今のことに関係するかもしれませんが、どうやって独創性とかアイデンティティーを教育するかというのは具体的にはかなり難しい。だから、それは幾つかの例がないと分かりにくいという気がします。日本の教育の中や学問の中に「顔が見えない」という点が非常に弱いところです。ですから、「顔が見える学問」を追求していかないといけない。

 例えば、昨年アメリカの物理学会が100周年を迎えました。そのときに20世紀を代表する100人の物理学者をCD-ROMにまとめて出しました。それを私の研究室の学生に見せたら、みんな顔を知らないわけです。つまり、いろいろと勉強していても、その学問を作った人の顔を知らないわけです。レントゲンぐらいなら知っているかもしれないのですが。それが学問を少し抽象化して、自分から離してしまう一つの悪いところだと思います。

 前回の研究会で他の委員の方より、「日本はずっと物と物流でやってきた」とのご発言がありました。確かに物と物流でやってきても、物とか製品の中に人の顔が見えたりカラーが見えたりすれば、ソニーならソニーのカラーが見えているということはそれなりのインパクトがあるわけですね。ところが、誰が作っても同じというものになってしまうところに、日本から発信する弱さが出てくるわけです。だから、それには普段から、技術を議論するとか科学を議論する中にも「顔が見えている」ということが必要で、そういう中から「ああいう人になりたい」、もしくは「あの人だったら親近感が得られる」から、自分たちも違った意見を出すことができる。ところが、抽象化されて教科書の法則になってしまうと、法則と自分は違いますから、自分で法則を作るのは難しいわけで、そういうような小さな工夫が必要という気がします。

〔 座長 〕 どうぞ。

〔 D委員 〕 ここ何年間か、小学校等でビデオ機器を子供たちに持たせて撮らせたりして、随分発表の方向に力を入れています。しかし、実は、指導者が模範解答的な表現方法を子供に勧めている場合が多い。「こういうものはこう見て、こう撮った方がいいよ」とか「こう構成しなさい」と指導する。だから、いろいろな素材を集めてきて、子供なりにミーティングをして一番大事な発表するときに、多少変でも、そこにある種の子供なりのクリエイティビティーを認められるタイプの指導者、教員が実はすごく少ないし、その辺がすごく問題なんです。

 だから、実際に知的活動拠点を作るためには、先生の問題というのは本当に大きい。大学の教育学部のあり方とか、一体誰が小学校、中学校の子供たちを教えるべきなのかとか、先生はどんな人であるべきなんだろうということはすごく重要だと思います。

〔 座長 〕 他に意見はありますか。

〔 事務局 〕 先程のアジア研究のお話に戻って恐縮なんですが、16ページです。実は、この点について事務局で議論いたしまして、「全てが分かる」というのはなかなか大変だ。それ故に、「アジア各国とも連携し、国内の各地でも機能分担をしながら、全体を通じて全てが分かる」としたらどうか。ご指摘のように「全て」を取ってしまうと、やや迫力に欠けるかなと話し合ったところです。

〔 A委員 〕 例えば、インターネットで外国のどこかの研究所につながっている。そこまで含めて「全て」という意味でしょうね。一つの場所では絶対無理ですから。

〔 座長 〕 全体像がつかめるという意味でしょうね。

〔 A委員 〕 そういうことです。

〔 座長 〕 どうぞ。

〔 B委員 〕 私も今のような念のためという部分です。5ページの「産学官人材交流の強化」の「なお書き」についての確認で、特にこだわるつもりはありません。

 私もこういうことに触れた方がいいと思って申し上げたのですが、どちらかというとこの部分はネガティブな部分ですので、少し長い気がします。

〔 座長 〕 実は、私はかなり丁寧に読んできて、言いたいことがいっぱいあって、どうしようかなと思っていたのですけれども、皆さんがおっしゃったことに関連して、私も一委員としてコメントさせていただきます。

 すごく大事な点だと思うことは、この「中間とりまとめ(案)」に書かれたものは、10年、15年大事にとっておかれて徐々に効果を現すというよりは、現在こういう問題意識を持っていると世の中にインパクトを与えるという意味で、今の世の中で非常に大きく話題になっていることとか、あるいはなりつつあることとか、あるいは既になっている問題に関わることに何か応える必要があると思います。

 例えば、大学教員と民間企業役員との兼業の問題がある。私の私見を言わせていただければ、この報告書の中にも脈々と出ていますが、いわゆる大学の教官というのは、国立大学であろうが私立大学であろうが、日本の様々な知的活動の一つの重要なベースになる。全くゼロから作るのではなくて、そういうものを如何に素早く活用してやっていくか。ただ、理科系の学者の活動の仕方と、経済学者の活動の仕方と、法律学者の活動の仕方は違うかもしれません。しかし、そうした目で見ると、本当の意味での行政官の国家公務員としてのあり方と大学の研究者としての国家公務員のあり方というのは、知的活動に関する貢献ということだけで考えてみたら、それを同じ文脈で語ることは非常に無理があると思います。

 特に、経済の場合には、並べるかどうかは別として、先程おっしゃったような「なお」書きを書かなきゃいけないとは思いますが、その前提で、もっといろいろと議論しないといけない。例えば、ソニーで何が起こっているかが誰も見えない中で大学で企業論を語るなんていうのはそもそもおかしな話であるし、それだけではなくて、むしろ大学でいろいろ議論されている部分がビジネス・コミュニティーにもインタラクションができない。そういう問題意識を持った人が、もし4ページから5ページの話を見ると、「ああ少し前進したな」と感じることができる。

 さらにもう一つだけ言えば、全然変わってないのに、何かリップサービスで書いたに違いないんじゃないかと誤解される危険性がある。そこら辺をどう書くかというのは非常に微妙で、直して欲しいという意味ではないです。これはなかなか難しい問題だと思いますけれども、今、知的活動の問題というのは世の中で非常に話題になっているから、いろいろな人がいろいろなコンテキストで関心を持っている。そうした観点で見たときに、少し問題がある気がします。

 先程おっしゃったような意味で、後半の「なお書き」の部分も大事です。そうはいっても、じゃあ大学教授が特定の企業に加担しているとか、金儲けに走るとかいうこともあるわけですから、ある種のルールは当然必要なわけです。そういうルールを設けた上で、ブレーキがあればアクセルが踏めるというように考える。この報告書を直していただくのは今の段階では難しいかもしれませんが、4ページの最後から5ページの頭のあたりは、ちょっとバランスが悪いという感想を持ちました。

〔 F委員 〕 日本を知的活動の拠点として評価をするためには、人材育成が非常に重要だと思います。人材育成という課題は何カ所か出ていますが、例えば日本の大学教育の場合、先程、座長がおっしゃったように、一方では学問と実社会とのギャップを縮める必要はあると思います。実際に企業のことを知らない人が単に教科書だけに基づいて経営学を教えるということは余り賢明ではない。しかし、他方で、私が最近の日本の教育を見て気にしていることは、そういう理由付けで学問的な経験や知識のない人が日本の大学で教えることが相当あることです。要するに、学問的な理論とか方法論とか分析力という学問として評価できるレベルの活動と、実社会の知識と両方両立することが重要ではないかと思うのです。それをどう表現するかはよく分からないのですが、例えば「魅力的なコンテンツ」と言っても、「魅力的なコンテンツとは何か」ということの中身を追求する必要があると思います。

 一つには、日本特有のものを出すことによって日本の魅力を高める、あるいは、日本に対する注目を高めることもできますが、他方で、「普遍性」と言いますか、日本の経験や歴史的、文化的なものが、他の国や文化とどういう関係があるのか、どういう位置付けができるのか、そういう関連性、普遍性を考え出さなければ、「非常に限られた日本」ということに留めてしまいます。だから、日本の特殊性とか文化的な素晴らしさを一方では出しながら、世界における日本の普遍性ということも相当主張する必要があります。

 つまり、日本のことだけをよく知っている人が、単なる日本の特殊性を話しても、理論、方法論あるいは学問的なレベルが世界水準に達しなければ、海外では真面目に扱ってくれない危険性があるということです。具体的にどう表現していいかは分かりませんが、ぜひその点を考えていただきたいと思います。

〔 座長 〕 これもおっしゃる通りで、私も、ぜひコメントさせてもらおうと思って来ました。「大学」を一つのイメージで捉えて、どこの大学も同じように考えると誤解を生むと思います。様々な社会活動をしてきた、社会で経験した人達が大学の中で実際に学生に触れながら教えていくことも必要であると同時に、今、おっしゃったように、国際的な学会レベルで通用する学問を大事にする部分も非常に重要だと思います。

 この報告書の3ページにピア・レビューの機能、つまり、「評価を受ける」ということがあります。しかし、例えば、日本の経済学の分野で見ると、残念ながら、一生の内にそういうものを一本も受けたことがない人達や国際的に評価されるジャーナルに論文掲載をした経験がない人達が大学院で教えている人がいるのが実情です。次の時代の研究者を育てることができるとしたら、それは奇跡に近いようなところがある。

 だから、そういう個人的な経験や見識を非常に大事にする部分を一方に置きながら、他方で、新しいジャーナルや先進的で相互作用し得るものの創出ということを同時に書くとすると平板になってしまう。要するに、それぞれを非常に強く書きながら、それが混在する形の中で、社会の知的な創造とネットワークが出てくることをうまく書いていく必要があって、その辺は工夫が必要だと思います。

 さらにもう一つだけ言わせていただくと、今、世の中で言われていることで、この報告書の中にどう入れ込むべきかを悩んでいる問題があります。先程、おっしゃった初等教育と関係がありますが、分数や小数ができない大学生というような本が売れている。たまたま、私の留学時代からの大変懐かしい仲間が記者をしていまして、少し考えさせられたのですが、これはすごく重要な問題だと感じます。

 つまり、日本の国全部がそうである必要はないのですが、ハードサイエンスをきちっと大事にすることがとても大切であるということです。将来の最先端の科学だとかオリジナルな研究を担う現役研究者や技術者という人達が、ある程度の数できちっといて、その人達がある程度の知的レベル、ハードサイエンスの能力を持っていることを維持することが非常に大事だと思うのです。そういう意味でのハードサイエンスは、数学だけではないかもしれません。そういう警鐘を鳴らすような問題がひょっとしたら今の日本で起きているのではないでしょうか。

 実際、日本の数学の凝縮は、凄い量で増えてきています。中学校、高校の段階で、「本当に重要なハードサイエンスを大事にしているかどうか」という議論抜きに進んでいるようにも見える。そう考えてみると、そういう観点の人が、11ページから12ページの初等教育の環境という部分を見たときに、「何だ、この報告書は」と思われない程度のものにする必要性があるという気がします。おっしゃいますような「普遍的で学問的な貢献を日本がする」という論議に直接つながるかどうかは分からないのですが、それが日本の置かれている重要な問題です。ただ、非常に難しいことを余りやりすぎると、小学校、中学校、高校で掛け算と九九とか二次方程式の根ばかり一生懸命覚えて、「お勉強だけはできて、例えば、掛け算はできるけれども、新しいことは何もできない」となっては困るわけです。そういう意味で言うと、いろいろな要素があって混在していて、日本の一人一人の国民が自分に合ったところをうまく住み分けしながら、お互いにネットワークを付けていくことだと思います。

 そういう意味で、大学で言えばハードサイエンス、あるいは中学校、高校でいうと、「分数や小数ができない」というような問題提起に対してどう答えていくかということは、少し気になることです。

〔 局 長 〕 今の点について私が感じていることは、どうも日本の中では「教える」ことの方法論を確立せずに、「学問」として扱い過ぎているのではないかということです。要するに、教える中身、教え方を、「この段階ではこういう具合にして、このくらいのインセンティブにして、このくらいのことを教えれば、こういう成果が現れる」ということがきっちり詰められていない気がします。

 本当にそういうことがやられて、教育の方法論をきちんと確立して教えてくれているのだろうか。「数学のルートなんて誰も使わないから要らない」というように情緒的なところで決められているとすれば、これは非常に問題だと思います。

 「教えることの方法論」ということで今の話を論じることができるなら、報告書に盛り込むことも考えられるかもしれません。

〔 D委員 〕 ぜひ入れて欲しいです。僕は「円周率を3にする」と聞いたとき、ものすごくショックでした。そんなことは絶対あってはいけない。それから、現実の世界では、クリエイティビティーとハードサイエンスに区域はないです。

 例えば、今のゲームクリエィター達は、立体表現が非常に上手ですけれども、それをプログラマーの人達が動かすというやりとりで、これまではゲームを作ってきました。しかし、クリエイティビティーを持っている人達もプログラミングのことを分からないとやりづらい。それで、誰でもがパラメータをいじって、デザイナーが自分で物理シミュレーションができるような新しいソフトが出てきている。

 ところが、そういうものの基礎になっているのは、有限要素法等の流れから入ってきているわけです。それがプレステーションⅡみたいな高速度のものだとそのままできる。だから、すごく「アートセンス」のある子でも、「流れ」を体得しなきゃいけない。分数ができなかったら困るし、芸大を出てからコンピューター・デザイン学校に行く子でも、サイン、コサインが分かるから、バネでビョンビョンと動くものが表現できたりするわけです。だから、私は小学校で数学をもっときちっとやってもらいたい。しかし、今の流れはものすごく後退しています。勉強のための勉強のように子供が感じるように教えているのが問題だと思って、私も算数が好きになる本を出したりしているところです。

〔 座長 〕 どうぞ。

〔 B委員 〕 今のお話と、ある程度関係があると思います。ビジネスと学界の交流に関する話をしたいと思います。

 私は30年以上も民間の会社にいて、それから学界に転じたので、若干はお話ができるかと思います。まず最初に自分が大学教授に転向したときには、「通用するかな」と、すごく不安だったわけです。私が今、まず、絶対通用すると思うのは、「学校のマネジメント」です。これを私がやれば、今やっておられる方よりもうまくできるのではないかと感じます。逆に、「これは学者にやってもらっているとしたら可哀想じゃないかな」というのが私の率直な印象です。これはアメリカ的にプロのマネジメントでやった方がいいと思います。

 それから、ちょっとびっくりしたことは、学者は「教育」と比べて「研究」ということに随分重きを置いているように見えたことです。「学者」というべきでなく、「大学という組織」と言った方がいいのかもしれません。私のところは研究所ですけれども、それでも教育をやっていて、その面については、実は、ここにおられるようなビジネスマンはかなりお上手です。それは、プレゼンテーションがビジネスマンでは必須になってきているからです。

 そうすると、残るのは本当の理論研究のところで、正直言って私は原始的蓄積がないので、完全にお手上げになってしまいます。

 私は法学部を出ているのですが、35年も放っておいた学問が役に立つかどうかということが不安であったのですが、これは今の数学の話と同じで、すごく役に立つんですね。しかも、今だから、「何だそういう意味か」というものが随分あります。私の理解だと、特に法学は、十九、二十歳で法学がおもしろくてしようがないという人は、やはり社会的に余り丸い人ではないと思います。そういう人が法学部を出て、そのままロースクールに入るというやり方は少しまずいのではないか。私の同級生は弁護士をやっている者も含めて、ほとんどその意見です。つまり、他の学部をやってロースクールをやった方がいい。医者もひょっとするとそうではないかと思います。今の医者は医学ばっかり6年も7年もやって医者になる。ひょっとすると対面処理が一番下手な人が、医師の国家試験に受かってしまうという状況になっている。最近は、コンピュータが医学の分野に入ってきて、医学部の先生の中には喜んでいる人もいるようです。つまり、対面処理が下手な人がコンピュータでやれるからです。これは「何のためのITか」ということになってしまうわけです。

 そういうことがあちこちに見えていて、素人なりの感想で誠に雑ですけれども、学界は相当変わらなきゃいけない。例えば、ディスプリンが一体何だったのかということが、さほどはっきりしていないままにインターディスプリンをやっているケースがある。こんな危険なことはないわけです。だけど、片方でインターディスプリンの必要性は絶対あるわけです。

 特にご理解いただきたいのは、「法律」と「経済」というのは、私が大学に入ったときには一緒だったわけですけれども、いつの間にか別になって、ますます縁遠くなっているわけです。「法律」と「経済」というのは隣り合わせの学問で、両方やっている人ももっと沢山いてもいいのではないかと思いますが、これが非常に少ない。そうすると、どういうことが起きるかというと、今、特許とか著作権で最も活躍している人は誰かというと、私は断定してしまいますが、エンジニアで弁理士、弁護士をやっているという人です。一方、旧来の法学部や経済学部を出た人は総体的には物が言えないと感じています。

 何かのご参考になるかもしれません。

〔 座長 〕 どうぞ。

〔 C委員 〕 小学校や中学校を含めて教育の問題が大事だからどこかに入れることは大賛成です。ただし、11ページに「教育のアウトソーシング」ということが強く書かれていますね。これはある意味では今要求されていることだと思いますが、先程、ご発言があったような問題があって、今ある変化を通じて教えるということは、現実の社会の中で活躍されておられる方が自分の体験を踏まえてやれば、非常に生き生きと教育ができると思います。ただし、同時に教育の中にはもっと普遍なものがあるわけですよね。それはおもしろくなくても、やはりやっていかないといけない。

 それから、ダイナミックなものの中から普遍性を導いていくことは、ある意味では「研究」であり「教育」なんですよね。そういう意味では、日本からの情報発信で典型的に弱いのは、「日本からテキストが出ない」ということです。つまり、教科書は外国から来ているわけです。これは学問が向こうで発達したことが原因としてあるとは思いますが、これからは自分達が同じレベルで競争してやれば、日本からグローバルもしくはユニバーサルな原理が出てきて、それが教科書を作るということでなくてはいけないし、同時にそれが初等教育まで普遍化されていくことが必要です。ですから、両方要ると思います。

 そういう意味では、「十年一日の如く教えるのは良くない」ということについては、教育技術的な問題からいえばそうかもしれませんが、「百年一日同じことを教えないといけないものは教えないといけない」わけですね。百年経ったとき、二百年経ったときに、「あれは日本から出た」というものを出していかないと、世界から尊敬されることはない。

 教育の場では、常に、今まで自分がやっていることを取捨選択して、抽象化して、普遍化していくことが重要なことです。大学の中でも高校でもそうです。その普遍的なものを教えるために、今のある側面というか、シャープな側面を現代的に見せているだけなのであって、教えるものは普遍です。今の流れの中で、「変化を教える」ということが余り強くなってしまうと、「次の時代を生む」ということにはならない。今をフォローする人材は生まれるかもしれないけれども、次の時代はなかなか生まれないかもしれない。その両方をどうするかというのが、初等から高等まで含めて問題だと思います。

〔 座長 〕 どうぞ。

〔 E委員 〕 特許の話も出ましたが、6ページの「知恵を生かした独創的なビジネスの積極的推進」と、7ページに話題のビジネスモデル特許の例が出ているように、最近、ビジネスモデル特許は非常に話題になっています。「特許」というのは正に知的活動を形にする仕掛けで非常に重要なことだと思うし、せっかく7ページにその例を書いているのだから、今回の報告書にも「ビジネスモデル特許を積極的に申請できるようにしよう」というようなことを6ページに書いた方がいいと思います。

 「ビジネスモデル特許そのものが新しいビジネスの制約になる」とか、いろいろな問題が言われてはいますが、それは特許の権利保護期間の短縮というようなことで是正されるでしょう。したがって、「特許」は、「自分の発明に自分の名前を付けてそれを形にして世の中に発表する方法」であり、「自分の知的活動でエンジニアリング的であったり、ビジネス的なアイデアを発表する方法」であって、「ビジネスモデル特許もそのように使える」といったようなことをもう少し積極的に書いたらいいと思います。

〔 座長 〕 今の点は私もすごく気になっていましてお聞きしたいのですが、「ビジネスモデル特許」というのは、いわゆる「ビジネスのアイデアみたいなものを大切にする、そういう世の中の考え方を調整する」わけですね。その一つの手法として「ビジネスモデル特許」がある。それを「ある程度前向きに捉えていくべきだ」という意見に異論はないのですが、ただ、他方で、これは昔から言われている問題ですが、ビジネスモデル特許を例にとれば、「どこまで広く認めるのか」ということは常に社会的に議論のあるところだと思います。つまり、「独占を認める」ということはインセンティブを高めるけれども、他方でその他の人の利用を阻害するという部分もあるわけです。ですから、あるソフトウェア会社の独禁法の問題がアメリカでも大問題になっていますけれども、そこの相剋みたいなものであります。

 皆さんがどう思っていらっしゃるかは分からないですが、一般に、世の中で「ビジネスモデル特許をどこまで広げて解釈すべきか」ということは、「単に特許の権利保護の期間の長さだけの問題ではなくて、もうちょっと普遍的な問題があるので重要である」ということを一方で書きながら、「その趣旨の捉え方をどう考えるかということ自身はまだ決着は着いていない。しかし、考えなければいけない問題である」として、両方の議論を出すという考え方もあり得ると思いますが、その辺はどうでしょう。

〔 E委員 〕 ビジネスモデル特許をどこまで認めるかということは特許庁の審査の問題です。「昔は特許の審査が甘かった、だからあの程度のものでも認められた。しかし、甘いときに特許を申請した人は偉かった」という話を時々聞きます。今、実際にそうした問題が出てきているので、段々と特許庁の審査が厳しくなってきています。「これは特許としての価値があるか、前の人が使ったケースは全くないのか」といったように、発明性をかなり厳しく評価した上で認められるようになっているので、その問題は解消してくると思います。したがって、審査の問題はそのように解消するので、出す方は積極的に申請を出す。それが余り大した発明でなければ、そこで却下されるだけだと思います。

〔 A委員 〕 ビジネス特許の問題は、ビジネスとしてのせめぎ合いの問題と、もう一つあるのが、先程、ご発言があったような「普遍性」という問題です。要するに、エッセンスを抽出して、その概念を誰にでも伝えられる方法分析、訓練という側面もあると思います。自分がやっていることを人様に、「これはこういうモデルです」と図式に書いて示すことは日本人が最も不得意な部分です。ですから、ビジネス特許を扱うとしたら、ビジネス上、経済上の問題にするより、「普遍性の問題」として分析あるいは方法論として学ぶべきものの一つだと思います。

 次に、13ページの和歌と能の話についてです。我々がここまで議論を積んだ上でこのような話を聞くと分からないこともないのですが、しかし、これをアイデンティティーの方に位置付けるか、それとも、異文化と共存するためのコミュニケーションの一部として、和歌や能からビジネス特許のような意味でエッセンスを抽出して、その論理構造を解析して、誰にも分かるようにするべきであるという方に位置付けるか、少し難しい問題だと感じます。ご発言の委員の業績を批判するつもりはないのですが、しかし、実際に我々がこれを例に出すとしたら、難しいこともあり得るということです。これはまた話し合う必要があるかと思いますが、そのように感じます。

 我々の出発点は、今回は「多様な知恵」という言葉で表しましたが、「価値観の違う人とコミュニケートしていかなければならない」ということですから、「価値観の違い」をもっと明確に言った方がいい。そうすると、「普遍性」というものを引っ張り出す必要がある。そのためには、いろいろな訓練、方法論が必要です。「マイクロソフトだけに牛耳られている」というけれども、あるいは、日本のビジネス界で使っている「名刺」という慣行が普遍性を持つようにできるかもしれない。「異文化と共存するためにコミュニケートする」といっても、「コミュニケートって何だ?」ともっと突き詰めると、「普遍性を持った説得の仕方をみんなが学ばなければいけない」ということと、「アイデンティティーを高めていく」という問題が浮き上がって、かつ、それが裏腹なものとして混在している気がします。

〔 事務局 〕 ビジネスモデル特許のお話ですが、我々の受けとめ方は、一枚紙の「最終とりまとめ」の補論の「(1)ビジネスモデル特許とフリーソフトの今後の展開」としていますが、ビジネスモデル特許の一方ではLinux等のフリーソフトのような動きもあって、この相反する方向についてどう考えたらいいかということ自身が大きなテーマだと全体的に受け取っております。したがいまして、補論の方で詳論していただいた方がいいのではないかと考えておるところでございます。

〔 B委員 〕 それでは、私も補論で手を挙げておきたいと思います。特許はもちろん大事ですけれども、著作権に比べて特許の方が簡単なんです。つまり、登録制度の下にありますし、権利の存続期間は短いですし、すぐにおよそどういう内容かは決まります。それに対して著作権の方はもっと複雑で、権利の保護期間がさらに長いという余計なことになっております。したがって、特許だけで論議できれば良いのですが、「ソフトウェアは基本的に著作権で保護する」ということになっていますので、著作権の方を議論しないとカバー率が低いと感じます。

 実は、私は、今、そこをやってるものですから、座長さえ良ろしければ、その辺を私もご一緒させていただくか、あるいは別でやらせていただきたいと思います。ですから、この補論「1」に関係して、「1’」としてやらせていただければと思います。

〔 座長 〕 今、話が出ましたが、「最終とりまとめ」の補論として、今言ったような形でそれぞれのお立場から、余り全体のバランスを考えないで、特定の問題あるいは特定の事例で結構ですからぜひ議論を出していただきたいと思います。もちろん、書いていただくことが一番いいわけですが、お時間がなければ事務局がインタビューして、それを事務局がまとめるという形でも結構です。例えば、今の著作権の問題等もあります。後でまた少し時間をいただいて補論について、今の段階でこんなことをやってみたいということがあればお話をお聞きしたいと思います。その前に、「中間とりまとめ(案)」について、さらに追加あるいはコメントをお願いします。

 どうぞ。

〔 F委員 〕 8ページの「(3)固有の文化の積極的活用」で、4つ目のパラグラフの「日本という国の総体的なイメージ(「ジャパン・イメージ」)を分かりやすい形で体系的に世界に伝えることが必要である」という表現が少し気になります。この「ジャパン・イメージ」というのが良く分からないのですが、これは誰が決めることなんでしょうか。

 先程、何回かお話があったように、むしろ日本の多様性とか、日本の文化とか歴史とかを体系的にデジタル化して保存するということは大変結構なことですけれども、「ジャパン・イメージ」というものを作るということはどういうことでしょうか、説明していただけますか。

〔 事務局 〕 我々の理解としては、おっしゃるように多様性や伝統文化、現代文化も含めて、世界を魅了するコンテンツとするために、ある程度、皆が共有できるものにしていかなくてはならない。その前提として、「日本とはどういうものか」ということを、それぞれの要素は多様ですけれども、端的に日本の全体的なイメージが分かるというようなこと、具体的には、「ジャパン・ミュージアム」のようなものを提案しているわけです。それは、アメリカのスミソニアン博物館のように、「そこに行けばアメリカの全てが分かる」というような施設などを整備する。そして、それと全体的なデジタルアーカイブ化といったことを含めて、ここでは「日本経済文化系統樹」という表現を使っていますが、日本の全体的なことが系統樹のように良く分かる形で発信したらどうかということです。それを「ジャパン・イメージ」と言ってみているということです。

〔 F委員 〕 これは言葉の問題かもしれませんが、私はそういう日本の文化とか遺産とか歴史を、日本の人でも外国の人でもアクセスしてきて、それを理解するためにデジタル化するとか保存するということは大変結構だと思うんです。けれども、私は、この「ジャパン・イメージ」の文章を「一つの日本の決まったイメージを作って、それを発信するのが好ましい」という意味で理解するのですが、しかし、それが果たして賢明なことかと疑問に思います。

 ここに「国家的プロジェクト」と書いてありますけれども、日本に関するいろいろな情報等を発信するとか、あるいはアクセスできるようにすることは大変結構なことですが、「ジャパン・イメージ」という言葉そのもの、つまり、誰かが一つの固定した日本に対するイメージをはっきり決めて発信するということはいかがなものでしょう。

 ですから、言葉の問題かもしれませんが、これは誤解を招く可能性があると懸念します。

〔 座長 〕 何かありますか。はい、どうぞ。

〔 C委員 〕 私も同じような意見です。日本から、日本が描く世界のイメージや日本が描く相手国の社会のイメージ、技術のイメージというものを発信することであればいいのですが、自分で「日本はこうですよ」と発信したら、本当に相手がそう受け取ってくれるのか。相手はいろんな側面からジャパンのイメージを作るのだと思います。ですから、そういう点では、日本から外に向かった見方を発信した方がいいのではないかという気がします。その点と関連して、「国際競争力のあるコンテンツを生み出し得ると期待される分野の例」の中にできれば「純粋科学」も入れていただきたいと思っている理由は、「相手の関心事に情報を与えなければ、相手は余り興味を持ってくれないのではないか」と思うからです。自分たちは強いからそれを売り込むということだけではなくて、誰が見ても人類全体に資するようなものを日本でもやっている、もしくは、そういうことがここまで進んでいるということを発信することはいいのだけれども、「押し売り」は余り役に立たないのではないかと思います。

〔 座長 〕 確かに言われてみればそうかなと思いますが、これを読んだときはそんなに問題にはならないかなと考えておりましたが。

〔 C委員 〕 「イメージを作って押し込む」ということは良くない。文章の問題なのかもしれませんが、誰かがどこかで努力して、過去のいろいろな歴史的な情報だとか我々が持っている情報、そういったものを編集して出すことを一つのプロジェクトとしてやるのはいい。しかも、それがなかなか純粋利益活動の中で乗りにくいようなものだとすれば、ここで言う「クール・ブリタニア」というものと同じようなレベルであってもいいのではないか。ただ、それが、おっしゃるような、いわゆる「ジャパン・イメージ」と一緒と言われると、確かに誤解される部分もあるし、その辺は工夫が必要だと思います。

〔 F委員 〕 例えば、「イメージ」という言葉の代わりに「遺産」などという言葉を使って、「日本という国の文化的遺産を分かりやすい形で体系的に世界に伝える」ということだったら、全く抵抗はないのですが。「イメージ」と言いますと、少し抵抗がありますね。

 英語で「ジャパン・イメージ」というと、「正に一つの非常に確立した形でイメージを世界に発信する」と、ひょっとすると国が統制しているというイメージさえ与えかねない危険性があると思います。

〔 座長 〕 恐らくそういうことではないと思いますので、ちょっと工夫してみて下さい。

〔 事務局 〕 はい、検討してみます。

〔 座長 〕 他に何かございますか。

〔 事務局 〕 今、10ページの中で「純粋科学」とおっしゃったのですが、もうちょっと分かりやすくおっしゃっていただきますと、どう入れたらよろしいでしょうか。

〔 C委員 〕 「(2)様々な技術開発・研究分野」という中に、かなり産業として製品を輸出できるものが書かれていますが、「純粋科学」はそれ以外のものになりますね。

〔 事務局 〕 むしろ「(1)世界共通への課題への対応方策」という普遍的な話と思っています。ここでは個別にいろいろな分野の例を挙げているわけですが。

〔 C委員 〕 私が感じるのは、そういう科学を(1)に置いて、(2)の方を技術開発・研究と整理してしまうと、国外から日本が見られているイメージとして自分を固定しているように感じます。つまり、日本は基礎的なところでなくて、ある意味では、応用だとか製品にするところは頑張るけれども、人の役に立つ、ベースを作るところをそれ程やっていないとなってしまう。実際には、今までそういう面もあったわけです。しかし、「純粋科学」を(2)と同じカテゴリーに入れておけば、20世紀の後半以降は技術と科学は密接不可分であって、ここにあるモバイルとか超微細、ロボットという技術そのものが科学にコントリビュートしているとする自分達の主張が入る。逆に、科学と技術を分離してしまうと、「日本は儲かるところだけやる」という外国からの指摘に弁明をしない気がします。

〔 事務局 〕 ここは確かに切り口が違っていて分かりにくいのですが、世界から関心を持たれる共通の課題と言いますか、ある程度普遍的なものとして(1)を整理しています。(2)は我が国が最先端を走っている分野、(3)は日本の固有性、アイデンティティーのあるものを売りにしていったらどうかという、3つの切り口を示したところであります。おっしゃいますのは、「(2)の個別の話の前に、そういう横断的な科学そのものも最先端を行っているんだよ」という意味で良ろしいのでしょうか。

〔 座長 〕 私は科学の分野は素人で分からないのですが、昔、東大の総長補佐をさせられたときにいろいろなところを見ていて、そういうレクチャーを受けました。例えば、宇宙船の研究というのは東大の中で非常に意味を持っていて、一人の研究者が一生をかけてある研究に取り組むわけです。それは(1)に書いてあるバブルとか少子高齢化、環境とか、公害防止、震災、あるいは自然との共生というような現代的な問題に対応する話ではなくて、もっと根源的なものでして、私がその説明を正しく理解していれば、日本の宇宙船研究は世界でもかなり高い評価を受けている。だから、先程の話に関して言うと、宇宙船研究は日本人の研究者の何人かが顕著に出てきて、その研究を世界に発信できているわけです。

 数学だとか純粋物理、あるいは経済学の世界でも、例えば「特殊なゲームの理論」など、そういう分野があるわけで、そういう「世界共通の課題」と言えば課題であるけれども、ここに書いてあるようなバブルとか少子高齢化、環境という話でもないし、それからLinuxなり、ロボットでも、微細加工でも、モバイル・コンピューティングでもない。もちろん、大事な部分をここに書いておくか書いておかないかということは、我々の見識を問われるような気がします。

 この取りまとめは、最終的にどのようなスケジュールでしょうか。

〔 事務局 〕 一枚紙の方で申し上げましたように、経済審議会でフォローアップを公表するのが7月に入るかと思いますので、その前に本研究会の中間的なとりまとめとして、最終的に公表するのは6月中ぐらいになります。ですから、それまででしたら、なお修正はできます。ただし、とりあえず5月25日の経済審議会政策推進部会で中間的なとりまとめの概要はご報告いただくというスケジュールでございます。

〔 座長 〕 以上のようなスケジュールでございますけれども、まだいろいろご意見がおありになるかもしれませんので、今後、何か気が付いた点がありましたら、事務局までファックス、または、電子メールでご連絡いただければと思います。

 しかしながら、「中間とりまとめ(案)」の取扱いについては、最終的に皆さんの議論を踏まえた上で、私の方で責任を持って行いたいと思いますが、よろしいでしょうか。

〔 委員一同 〕 意義なし。

〔 座長 〕 それでは、そのようにいたしますのでよろしくお願いします。

 今、ご説明がありましたように、5月25日に経済審議会政策推進部会で「中間とりまとめ」の概要を私の方から報告させていただきたいと思います。

 それでは、「最終とりまとめ」の内容と今後の展開について少し議論していただきたいと思います。

 先程の一枚紙について、事務局から追加的に説明することがございましたらどうぞ。

〔 事務局 〕 補論でどういうテーマを扱うべきかということにつきまして、この例の他にもあるかどうかをご議論していただけるとありがたいと存じます。

〔 座長 〕 前回の会合で出たような話なども踏まえて、この研究会で非常に刺激的なお話があったものを総論でまとめてしまうと、メッセージとして失われる部分があると思いますので、追加的な事例とか、あるいは特定の問題を掘り下げるという形で、それぞれのお立場から出していただけると大変ありがたいと思います。資料にその例が出ていますけれども、これを補論に入れられれば入れたいと思っております。

 今の時点で、もし何か補論の具体的なテーマのお考えがございましたらご発言下さい。なお、先程、著作権の話を提案していただいております。

 それでは、私が「これをやろう」なんて言って、自分で自分を縛ってしまうとまずい気もしますが、先程、言い忘れた点にも関係があるので、一つだけコメントさせていただきます。報告書の7ページに【インターネットの活用と新たなビジネスの例】と整理してありますが、ビジネス特許の話は別としても、それ以外のところがちょっっと分かりにくいような気がします。

 書き方の問題もあるかもしれませんが、例えば2番目の項目で「インターネット上で、企業を支援するためのNPO的なユーザー集団をうまくガバナンスし、顧客間のインタラクションを高める『ネットワークの中のネットワーク』を築く技術の活用により、企業にポジティブ・フィードバックを提供」とあります。私は不勉強だったものですから、最初にこれを読んだときに「何だこれは?」と思いました。これは多分説明を加えれば分かりやすくなるのだろうと思います。なぜこの話を取り上げたかと言うと、今回の報告書の重要な特徴の一つは、インターネットに象徴されるように、オープンネットワークが表に出てきているわけです。そういう新しい技術、情報の変化みたいなものは、社会経済構造を大きく変えるということが今世の中の話題になっていますので、それがもっとビビッドに見えてくる方がいいと思います。

 最近よく使う例ですけれども、80年代後半に私は大手金融機関の第三次オンラインの中身を見る機会がありました。あの当時に私が思ったことは、各金融機関に共通することなのですが、正に自分のための情報化だなということです。つまり、金融機関のクローズドな情報システムの中でいろいろなことをやる。これはこれで大事なことではあります。

 しかし一方で、最近のインターネット証券のビジネスは、根本的に違うと思います。インターネット証券の顧客の口座が何万とあるわけですけれども、その顧客達は喜んで自分の情報を書き込んで参加するわけです。所得とか職業だとか。過去の投資行動は、実際に取引をやれば分かるわけですし。ですから、インターネット証券というのは、金融機関が能動的に動かなくてもお客さんの情報を手に入れることができるスタイルです。それは、オープンシステムだから出きるわけです。しかも、単なる株の取引をするだけではない。これは本当かどうか知りませんけれども、様々な方々が「パソコンの家計簿ソフトはこれから非常に大事になってくる」とおっしゃいます。税金の決済もそこでやるようになるだろうし、その他のいろいろな決済もそれでやるようになる。そうすると、家計簿ソフトとインターネット証券はそこでつながってくるわけです。したがって、システムがさらに進化する。そうすると、当然のことながら、いろいろなサービスがそこに入ってくる。例えば、自分は投資情報に詳しいから、投資情報サービスのビジネスを立ち上げようとしたり、インターネットでビジネスができるために、システムがどんどんオープンに広がっていく。そこが80年代末の特定の企業による大量の情報投資と違うところだと思います。

 例えば、今、自動車メーカーがやろうとしているネットワークにしても、今は既存のビジネスの取引がインターネットに代わるだけかもしれませんが、オープンなネットワークだから、いろいろなものがそこに入ってくるかもしれない。こうしたものは私の非常に単純なイメージですが、現在、起こっている情報化は、社会、経済の均衡を変える。そういうことについて、難しいのでお前がやれと言われると困るのですが、補論として採り上げた方がいいと思います。そうすると、例えば7ページの【インターネットの活用と新たなビジネスの例】が、もっとビビッドに生きてくると思います。

〔 F委員 〕 そうですね。先生がおっしゃる通り、この報告書はコンテンツ、中身ということに重点を置いていて、手段やインターネットの活用方法についてはそれほど触れていない。一つ言えることは、アメリカで今、遠距離教育が非常に盛んです。このディスタンス・ラーニングによって大学教育そのものが、これから相当変わっていくと言われています。教育の一つの現象としてもそうだし、ビジネスとしてもインターネットを使う教育が急成長しているわけです。ですから、この報告書にあるような日本の知的活動の発信とか、あるいは日本は魅力的だということを発信するという意味で、インターネットを利用できる場は相当あると思います。

 そう考えてみると、新しい項目として、これらの全てをインターネットによってどう発信できるか。日本国内はもちろんそうですが、海外にどう発信できるかというテーマも非常に重要ではないかと思います。

〔 座長 〕 ここで補論について意見しても、「それでは、おまえがやれ」という話には特にしませんので、最終報告書までに、「こんなことを考えた方がいい」とか、「こんなことを発言しておきたい」ということがございましたら事務局までご連絡下さい。また、何名かの委員のお名前が資料に出ていますが、これは「やって欲しい」ということだと思います。これについてご意見はございますか。

〔 C委員 〕 このテーマは私が重要と主張したことですから、私はやるつもりです。

〔 座長 〕 時間はまだありますが、最終的な方向は大体見えてきたと思いますので、良ろしければ本日の審議はこれで終わりにさせていただきたいと思います。

 「最終とりまとめ」の補論につきましては、別途、事務局から連絡がいくと思います。可能な範囲で結構でございますので、ご協力をお願いしたいと思います。

 また、今後の本研究会の開催につきましても、別途、事務局よりご連絡いたしますので、よろしくお願いいたします。

 それでは、本日の会議は以上にします。本日はどうもありがとうございました。